Fifth

 その日は、どうも修理に身が入らず、遠くに広がる地平線を眺めていた。砂と岩ばかりが延々と続く、見慣れた景色だ。つけっぱなしのラジオからは、天気や交通情報など、たいして面白くない話題がダラダラと流れている。

 いい加減、仕事に取り掛からなければと、重い腰をあげようとしたところだった。

「速報です。チェロ奏者のティム・ベネディクトさんが、昨夜亡くなったとの情報が入ってきました。ティム・ベネディクトさんは、奏者として数々の賞を受賞するだけでなく、作曲家としてもヒット作を生み出し——」

 ジョージのことが真っ先に頭に浮かんだ。ついこの間、ティムのことを応援しようと前向きに決意していたところなのに、大丈夫だろうか。

 ニュースが終わるのを待っていたかのように、流れ星の到着を告げるランプが光った。穴へと回収に向かい中を覗き込むと、金色の継ぎはぎだらけの茶色い星が見える。予感はしていたが、拾い上げたのはジョージだった。前回送り出してから、まだ三カ月しか経っていない。

 すぐに机まで運び、あちこちひっくり返しながら具合を確認する。やっぱり、大きな損壊どころか傷も少ない。虫メガネで細部まで観察しても、見慣れた表面に、小さなひびがあるだけだ。

 たいした傷もない流れ星が惑星に戻ってくることは、よくある話だ。人間が願いを叶えることをあきらめるか、何らかの事情から途中で辞めざるを得ないことになれば、流れ星の任は解かれてこの惑星に帰還する。

 ティムは死んで、レクイエムの完成を目指すことができなくなり、ジョージはこの惑星に戻ってきた。

 おしゃべりなジョージは、いまだに沈黙したままだ。


 いつものようにコーヒーを二杯用意すると、ジョージの前に腰かける。すると、やっとその重たい口が開いた。

「ティムが死んだ。僕はもう用なしさ」

 香ばしい匂いは、すぐに風にかき消されていく。

「ちょうどさっき、ニュースが流れたよ」

「レクイエムは、結局永遠に完成しないらしい」

 老人は、すでに他の話題に移っていたラジオを消して、苦い液体を一口すすった。

「彼は、どんな最後だった?」

「そうだな。死ぬ前の日は、ほとんど休みなく一日中楽譜を書き込んでいた。遅い時間まで作業して、そのままチェロを抱えるように机に突っ伏して寝ちゃったよ。翌朝なかなか起きなかったけど、寝るのが遅かったし年も取っているから無理がたたったんだと思って、僕はのんびりとティムが目を覚ますのを待っていた」

 ジョージは、淡々と語り続ける。

「花の水やりもせず、お昼を過ぎてコーヒーを淹れることもなく、夕方になっても身じろぎ一つしない。だんだん夜も深まって、ついに寝始めて丸一日が経って、ようやく僕は勘違いに気づいたんだ。彼が起き上がって作曲することは、二度とないんだって」

 老人は、相槌を挟むことなく聞いていた。手の中で冷たくなったコーヒーが、風で水面を波立たせて、反射する宇宙の星々を揺らめかす。落ち着けば元通り、小さな瞬きと、眉尻を下げて口を引き結んだ自分の顔を映した。

 ジョージと出会ってから聞いてきたティムの物語を、一つひとつ思い浮かべる。

「ここまで長かったな」

 ジョージからの返事はない。こうしていると、目の前にあるのはただの石だ。

「少し休むか?」

「いいや、大丈夫。そんなに疲れてないよ」

 そう言いつつも、言葉に覇気はない。

 ジョージは、何年も担当してきた仕事が終わったというのに、解放感とは程遠いところにいた。

「やっぱりね、僕は人を亡くして思い出に浸りながら悲しみに明け暮れるよりも、忘れてしまった方が楽だと思うよ」

「そうか」

「でも、無かったことにしたいなんて一ミリも思えない。この前あなた、ティムがニーナの死を乗り越える方法は、しっかり弔うことだって言ったでしょ。それってどうやるの?」

「それはジョージが自分で探さなければならない。——君の家族や友人だって、そうやって君の死と向き合ってきたんだから」

 ジョージは、両親や弟のジョジュ、それから友人らの顔がよぎった。

〝人は死ぬと星になる〟という話がある。その言葉の通り、僕は十七歳の夏の終わりに人生の幕を閉じて流れ星になった。

 夜の九時をまわるころ、横断歩道を渡っていたところに信号無視の車が猛スピードで突っ込んだ。よける間もなく、気づけば身体が宙を舞っていた。翌月出場するバスケの試合に向けて、同じ高校のチームの仲間と練習をした、その帰り道のことだった。

 全身を地面に叩きつけられて物凄く痛い。頭がガンガンする。試合、みんなと一緒にでたかった。ずっと憧れだったポイントガードを任せてもらえるようになって、初めての公式戦になるはずだった。

 さっきまで汗でシャツが背中に張り付くほど暑かったのに、手足の感覚もなくなって凍えそうなくらい寒い。父さんも母さんもジョシュも、きっとすごく悲しむだろうな。僕は先に逝くけれど、こんな事故のことでくよくよせずに、笑って生きてほしい。だから、僕のことは忘れてしまってもいいよ。それで涙を流すことがなくなるのなら。恩返しができない分、せめて、重荷にはなりたくない。

 舞台の幕が降りるように、徐々に思考が狭まっていく。ジョージはそっと目を閉じた。近くの草むらで、過ぎようとする季節に取り残された虫が一匹鳴いている。集まりだした野次馬の喧騒や、うるさく響く緊急車両のサイレンの音が、ジョージの耳に届くことはない。

 ジョージは、誰かを失う悲しみさえまだ知らない、ただの高校生だった。


 乾いた風が、二人を通り抜けていく。

「家族全員で旅行に行ったり、弟とはよく、近所のバスケのコートでワンオンワンをしたり、うちはみんな仲が良くてさ。友達も、たまに馬鹿みたいに調子に乗るんだけど、気のいい奴らが多くてね」

 老人には、家族や友人らに囲まれているジョージを容易に想像できた。きっと、そのよくまわる口で、みんなを笑わせていたのだろう。その優しさが、周りに人を呼び寄せていたのだろう。

「楽しかった思い出があるから悲しませることになる。それなら、僕との思い出が消えてしまえばいいって思ったんだ。少し寂しいかもしれないけど、みんなはせっかく生きてるんだから、命を大切にして、あんなところで立ち止まらないでほしいんだよ。人生は無限じゃないって、身をもって知ってしまったから」

 僕は、短い人生で大切なものを持ちすぎた。

「それに、みんなが僕のことを忘れてくれたら、僕だって未練を断ち切れるんじゃないかって」

 本当は会いたいんだよ、と涙に濡れた声で、我慢してきた思いがこぼれた。 

「君は、本当に幸せな人生を過ごしたんだね」

 空では、夢を乗せた星達が光の残影を一瞬に力強く刻みながら通り過ぎていった。


 老人はコーヒーを淹れ直して、ジョージの前に戻った。

「ごめん。もう落ち着いた」

「あまりヒントにはならないけど、君が思うままに、手あたり次第なんでもやってみるしかない。それがいつか正解になる」

「そうだね。ただ、僕は流れ星だから、すぐに任務に就かないと」

 次こそは、早く願いが叶ってほしいなあ、とジョージがぼやく。

 老人は、うーんと唸る。ジョージの言う通りだ。実際、いつまでも惑星でのんびりしている訳にはいなかいし、こればっかりは、どうしてやることもできない。でも、何かティムのことをゆっくり考えられる時間を作る方法は、ないだろうか。そうして悩みぬいた結果、妙案が浮かんだ。

「一つ、提案がある」

「何?」

「君は今、任務を待っている状態だ。だから、次に君に願いを託すのは私ってことでどうだ?」

「なるほど。それはいいね」

 これならジョージは私を見守る任務に就いたということで、この惑星に腰を据える理由ができる。それに、ここにいれば、いずれ、流れ星になったティムが、青い星になることくらいは見届けられる。流れ星に願い事をするなんて、やったことないし、そもそも許されるのかわからないけれど、ジョージにとっても、そして、私にとっても、きっと、これが一番いい。ジョージが続けて尋ねる。

「それで、願い事って?」

 流れ星に何を願うのか。大事なことだが、ジョージやティム、ニーナ、それから自分と、いろんな人のことを想えば、出てきた答えは至極シンプルだった。

「ティムが、ニーナに会えますように」

 ジョージが息を飲んだのが分かった。それからすぐに明るい返事が返ってくる。

「うん。うん。僕も、同じことを考えてた」

 星になり、姿かたちが変わっても、二人が再会できたらいい。それは、間違いなく誰もが望んでいることだ。

「死んだ後まで世話がやけるよ」

「まったくだ。それで、願い事はもう一つあるんだ」

「まだあるの?」

 ジョージは、聞き返さずにはいられなかった。

「制限はないだろう?」

「そうだけど、一人一つが基本だよ」

「それは、誰もこんなにのんびりとお願いできないからだろう」

 確かにそうだ、と思い直す。

「まあいいや。それでもう一つは?」

 老人は、笑っているような泣いているような、不思議な表情をして、それからポンポンと僕を優しく叩いた。

「ああ。君の大切な人たちが、幸せに生きていけますように」

 ——それは、僕が常に心から願ってきたこと。言葉がでない僕を尻目に、老人が続ける。

「まあ、人生がどうだったかなんて、判断できるのは最後が近づいたときだ。叶うかどうかを見届けるのに、また何十年も時間がかかってしまうんだけどね」

「ありがとう。いつまでも待つよ。むしろ、ずっと先であってほしい」

「そうだな。それまでゆっくりティムのことを考えればいいよ。それに、私も君と話すのは楽しい」

「うん。そうさせてもらう。本当にありがとう。あと、あなたも大事な人なんだから、ちゃんと幸せに過ごしてよね」

 老人は、僕らが初めて話をした日のように、目を丸くさせてこちらを見ている。

「まさか、そんな風に君に労わってもらえると思わなかったから。でも、ありがとう。君も、まだまだ流れ星としての仕事は続くんだから、しっかり頼むよ」

「任せてよ。ところで、こんなところに住んでいて、あなたって人間だったの?」

「まあ、似たようなもんだ。それよりも、やってみて少しわかったよ。流れ星に願い事をする意味」

「ふーん。何だった?」

「本当に、願いが叶うんじゃないかって気がしてくる」

「……それだけ?」

「充分だろう」

「あなたの件に関しては、僕はどんな手段を使ってでも〝気のせいでした〟なんてことにはさせないからね」

「君にも私にも、出来ることは限られてるんだから、無茶を言ってくれるな。大丈夫。そんなことせずとも、きっと叶うさ」

「わかってるよ」

 僕らは無力で、信じて待つことしかできない。それでも、願いを口に出して共有するだけで、自信が湧いてくる。先のことは、どうなるかわからないけれど、僕らの願いは叶うんだと、信じて希望を抱ける。

 ジョージが言う。

「それじゃあ、改めてよろしく。ところで、そろそろ〝あなた〟って呼ぶの不便なんだけど、名前教えてよ」

 尋ねるジョージに、老人は自分の名を答えた。

 目の前に広がる大地は赤さび色をした砂に覆われ、時おり吹く風が砂粒を煽り、運んでいく。長らくの間、変化や発展といった類とは無縁で、静かに回っていたこの惑星が、わずかに色を変えて新たに動き出した。

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