第168話 生の本質は学校? 仕事?

 生きるのが辛いというのは、変わった表現だと思う。生きているから辛い思いをできるわけで、ほかにどうしたら辛いと思えるのか、疑問に感じる。また、生きるのが、と、どこか俯瞰的な視点から語っているのは、生以外に確固たる自分が認識できる状態を想定しているように思える。


 生きるのが、と総括して語られているが、辛いのは、本当は個別の事物のはずである。したがって、生きるのが辛いと言う人は、それらの事物が自分の人生に締める割合を、非常に大きなものだと捉えている可能性が高い。現代では、学校や仕事などがそれに当たることが多いみたいだが、それは本当に生の本質だろうか。


 男女平等が主張されるようになって、女性の社会進出が強調されるようになったが、そこで、女性が男性と同じように(もしくは、男性に合わせて)働く方向に向かうのは、少しずれているような気がする。働き先がある、つまりは仕事があるという状態が社会的に価値があると認められているから、そういうふうに考えるのだろうが、それでは根本的な問題の解決には至らないのではないだろうか。

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