第二章 救急病院

 諒輔は八王子市内の病院のロビーにいる。先程、看護師から怪我人の緊急手術と輸血が無事終わったと聞き安堵して休息しているところであった。

 疲れが一挙に出てこのままベンチで寝てしまいたいほどであったが、紳士が麻酔から覚めるのを待って、警察の対応など色々相談しなければならないので、こうして座り続けているのである。今頃、落下事故の現場検証に向かった警察が、崖から墜落したワゴン車を発見して大騒ぎになっていることだろう。いずれ諒輔も警察から救出の経緯など聞かれるに違いない。しかしあの一連の出来事をありのまま話しても、誰もまともに受け止めてはくれないであろう。

『それにしても……』諒輔は心の中で呟いた。

『あの土煙の中で蠢いていたものは何だったのだろう』

影のようにぼやけており、はっきりした形は見えなかったが、巨大な亀のようでもあり、首の長い恐竜のようでもあった。

『いずれにしても、あの白髪の紳士がただ者じゃないことだけは確かだ』

 そう結論付けると、それ以上深く考えるのを止めにして飲み物を買う為に立ち上がった。その時、看護師が近寄ってきて、患者が目を覚ましたと諒輔に伝えた。

 

 病室は狭いながらも個室で、左足をギブスで固定されたあの紳士が窓際のベッドに寝ていた。諒輔が近づくと、その気配を感じて目を開けた。

「あー、君か……」

「怪我は痛みませんか」

「いや、大丈夫だ。それより、先ずは君に礼を言わねばならん」

 紳士は礼を述べると、安倍忠彬(あべただあきら)と名乗った上で「それからこう見えても、私は八十過ぎの爺いじゃ。大きな口をきくが年の功に免じて勘弁してくれ」と言って破顔した。あのドライブインの老夫婦が言うように、見かけによらず気さくな人であるようだ。

 諒輔も自分の氏名が三輪諒輔であること、周囲の皆は諒輔とか諒さんと名前で呼ぶこと、会社を退社して今は運送店でアルバイトをしていることなど、簡単な自己紹介をした。

 そんなやりとりが一通り終わると、諒輔は最も気になっていることを口にした。

「ところであなたは、不思議な力を色々と持っているようですが、一体何者なのですか」

「うーむ、そうだな」

 眼を閉じ考え込む様子であったが、目を開け諒輔の顔まじまじと見つめた。

「私がただ者ではないと気付いておるようだし、君は命の恩人だ。それに君は我々と同じ匂いがすると言うか、何故か他人には思えんのだ。君が私の……」

 忠彬はそこで一旦黙し寂しげな表情を浮かべた。

「君が私の?」

「いや何でもない、それより君の質問に答えよう、私は一言で言えば継承者だ」

気を取り直したように元の表情になって諒輔の問いに答える。

「継承者……ですか?」

 怪訝そうな顔をしている諒輔を見て、忠彬は説明を始めた。その概要は以下のようなものであった。

 

 土御門安倍家は天文、暦、占術などを司ってきた陰陽道の家柄であり、公家として代々天皇に仕えてきたが、忠彬の家系は裏土御門と一族内で呼ばれる特殊な存在であった。この家系の者は、世に出ることなく、密やかに陰陽道の陰の部分を千年以上の長きにわたり継承してきた。その一族の長である継承者は代々摩訶不思議な力を駆使する能力を有しており、天皇家や安倍家が危機存亡の折に、その特異な力を発揮して危機を救ってきた――――

 

 諒輔は忠彬の不思議な能力を目の当たりにしていたこともあって、この突拍子もない話を疑うこと無くすんなりと受け入れた。そして忠彬の話が終わるのを待ち構えていたように訊ねた。

「するとあなたは、陰陽師として有名なあの安倍晴明の子孫なのですか」

 安倍晴明のことなら諒輔も知っていた。諒輔がまだ幼い頃、母が晴明に纏わる不思議な伝説を色々話してくれたのだ。

「うむ、安倍晴明公こそが裏土御門の始祖にあたられる方だ」

「それはすごい! 僕にとって安倍の晴明はあこがれのヒーローでした」

 子供の頃、母から聞かされた話を思い出して諒輔は興奮を覚えずにはいられなかった。

「もうひとつ聞いてもいいですか」

忠彬が頷くのをみて諒輔は質問を続けた。

「岩盤が崩れて、あの二人組が土石流に押し流された時のことですが、土煙の中に何か巨大な蠢くものを見たのです」

「ふむ、それはどんな形をしていたかな」

 あの時に見た印象、巨大な亀あるいは恐竜のような生き物と伝えると「不思議だな、常の者には彼の者の姿は見えぬはずだが……」と首を捻り「あれは玄武じゃ」と告げた。

「玄武というと……あぁ、覚えがあります。確かキトラ古墳に描かれていた」

「そう、その玄武だ。裏土御門家の守護神獣として我々が危機に瀕した時に現れて救ってくれる」

 なるほどあの蠢く影は、歴史の教科書に載っていた亀と蛇が合体したような姿の玄武であったかと納得した。

「あ、それから最後にもうひとつ、あの二人組は何故あなたを襲撃したのですか」

「ふむ、その理由を理解して貰うには、先ず安倍一族の歴史的な背景などから説明しなければならぬ」

 忠彬はそう前置きして話し始めた。


「安部一族に恨みを抱いたり、敵対したりする者が過去の長い歴史において少なからずおった。特に仏教は陰陽道と平安の昔から、朝廷の政への影響力を競い合い、何かと抗争を繰り返してきた間柄であった。しかし時代と共に、仏教が次第に勢力を伸ばし、陰陽道は天文・暦の分野でようやく命脈を保つような有様になってしまったのだ。そのような訳で、それ以降、陰陽道は仏教勢力とは、持ちつ持たれつということで一種の共存を図って来たのだよ……」

 忠彬は疲れたのかそこで一息入れ話を繋ぐ。

「ただあの二人組が所属する組織だけは頑強に和解を拒み、我々に敵対を続けてきたのだ。君は織田信長が比叡山を焼き討ちしたのを知っておるかな」

「えぇ、知っています。全山の僧侶、学僧などを皆殺しにしたのでしょう」

「そうだ、この時実は生き延びた者が少なからずいて、それ等が密かに徒党を組み、信長への復讐を誓ったのだ。当時は阿修羅党と名乗っていたそうだが、明智光秀が信長を討った本能寺の変は、あ奴等が背後で糸を引いたと裏土御門家では伝えられておる」

 明智光秀が謀反を決意した理由は、色々の説があるが未だに歴史の謎である。もし本能寺の変が阿修羅党の陰謀であったら、歴史の謎が一つ解けたことになる。

「本能寺の変が阿修羅党の陰謀だとしたら、それは歴史の大きな謎を解き明かすことになるのではないですか」

「うむ、だがな、すべては秘密裏、闇の中で仕組まれた事だ。それを立証するものは何一つ残されていないのだ」

 そう言われてみればその通り、陰謀とはそういうものであろう。

「そうですか、何か残念ですね……ところで阿修羅党とあの二人組にはどのような関係があるのですか」

「阿修羅党は、後の時代になっても、国家権力に弾圧されたキリシタンや新興宗教の信者などを仲間に引き入れて勢力を維持してきたのだ。我々裏土御門家は、時々の権力者からの要請を受けて、彼等と抗争を続けてきた歴史があり、彼等にとって我々は不倶戴天の敵と言う訳だ。現在は阿修羅教団と名乗っておるようだが」

「つまりあの二人組は、その教団に属する者なのですね」

「うむ、それ以外、考えようがない」

 これからも襲撃は続けられるのだろうか、それとも今回に懲りて襲うことは無くなるだろうかなどあれこれ諒輔は思いを巡らした。

「この程度で懲りる相手ではない。油断は禁物だ」

 諒輔は、自分の心が忠彬に読まれているのではないかとふと思った。忠彬ならその位のことは造作も無いことだろう。

 

 そのとき、病室のドアが勢いよく開き一人の男が慌ただしく入って来た。

「会長、ご無事でしたか」

 歳の頃は六十前後、小柄で貧相な感じの男であるが、声は大きい。表情はくしゃくしゃですでに半泣き状態である。

「心配かけたようだな、もう大丈夫だ」

 忠彬がそう言っても、まだ心配が解けないのか男は興奮してしゃべり続ける。

「崖から落ちて大けがをしたと連絡がありまして、びっくりして駈けつけてまいりました。大量出血して意識がないとか、緊急手術するとか聞かされたものですからもう……」

いつまでもしゃべり続けそうな勢いに「まあ待て、それよりもこちらは私を助けてくれた命の恩人だ」と諒輔のことを紹介した。

「いやあ、これは挨拶もせず大変ご無礼いたしました」

涙をぬぐうと男は上着のポケットや、ズボンのポケット、更には鞄の中身などひっくり返している。どうやら名刺入れを探していたようだが、ようやく見つかったようで、その中から名刺を抜き出すと、恭しく差し出した。名刺には、《財団法人日本伝統行事研究保存協会 事務局長葛城保興》と印刷されている。

「わたしは、三輪諒輔と申します。あのう、失業中なので、名刺は持ち合わせていないので……」

 諒輔が言い終わらないうちに、葛城が口を挟む。

「いやいやいや、名刺などそんなものはどうでもいいことでして。それよりなにより、この度は会長を助けていただいて心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました」

 どうやら忠彬は、その財団の会長であるらしい。忠彬は葛城に、一部始終を手短に話し、警察・病院・マスコミなどへの対応を指示した。

 

 病室に医師と看護師が入ってきたので、諒輔と葛城はロビーに移り、話し合いを続けていた。何でも困ったことがあれば相談して下さいと言う葛城の申出に甘んじて、諒輔は軽自動車を損傷してしまって困っていると申し出たのであった。

「分かりました。アルバイト先の運送会社にも何かと迷惑をおかけしたようですね。その運送会社には近日中に私が伺いましてお詫びを申し上げ、車の弁償についてもきちんと致します」

 諒輔はその言葉を聞き、肩の荷が下りたような気分になり、運送会社の名前と所在地を教えると、葛城と別れて病院を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る