第5話ルーン


 戦いの前に精神統一は大切だ。

 精神を落ち着け、対峙する敵を打ち負かす自分を想像する。そこで慢心してはいけない。これはあくまで想像。実践はより厳しいものだろう。これまで格下しか相手にせず、油断して獣にも気付かなかったのだ。一刻も早く感を直しておきたい。

 それに今回の相手は巨人だ。

 人間を喰らう化け物。村で討伐した獣とは訳が違う。どんな相手でも隙を見せないようにしているが、久しぶりの強敵に念を入れる。


 見晴らしの良い場所で、一人座り精神集中をする。

 ゆっくりと鼻から息を吸い、口から吐き出す。新鮮な空気が鼻から喉、そして肺を膨らませていくのが感じられる。その後に吐き出す空気は、吸い込んだ空気とは違い、興奮で熱くなった体温で暖かくなっていた。

 ふと、自分に近づいてくる気配を感じる。


「まだ巨人が出現する時間じゃないけど、寝ているのはどうなんだ?」

「またお前か……俺も暇じゃあないんだけど」


 階段を登ってきたのはフードを深く被った少女だ。その姿を見てまたかと溜息を付く。この少女、初めて出会ってから何故かずっと着いてくる。


 これからの戦いのための準備を邪魔されれば、いくらその相手が子供でもむっとしてしまう。誰か守って貰う人を探しているなら他を当たって欲しいとシグルドは思っていた。戦い以外の場所でなら相手をしてあげても良いが、戦いの最中にお守りをするのはゴメンだった。


「ふん、何よ。ただ眠っていただけじゃない」


 軽くあしらわれた少女が膨れっ面をする。

 子供の目線からすれば、ただ睡眠を取っているようにしか見えないのだが、剣士にとっては大事なものなのだ。それを言っても理解は出来ないだろうが……。


「付き添いの人が心配するんじゃないのか?」


 ここの近くに人はおらず、この子の親はいないだろう。それにここは、商人達が食料や武具を売っているテントからは離れている。子供ならば、買い食いなどは楽しみの一つではと考えていたシグルドは、少女がわざわざこんな所に来ていることに疑問を持った。


「大丈夫、心配なんてかけていない」


 いや、そっちからすればそうなんだろうけど……。そんなシグルドの思いなど露知らずに少女は横に腰を下ろしてくる。どうやら移動する気はないらしい。どうしたものかと考えていると少女が再び話しかけてきた。


「ここに出現する巨人は知っているの?」

「あぁ」


 少女の質問に短く答える。

 少女と別れた時に、出来る限りの情報収集をした。普通は依頼人クライアントから話しを聞くのだが、その依頼人が見当たらない。商人達からの話しによると、この依頼は、ここから一番近くにあるスルーズ領の街にある張り紙が発端らしい。誰がその依頼をしたのかも、張り紙を貼ったのかも分からないという。

 始めに聞いたときは、またデマかとシグルドは思った。顔をしかめたシグルドに商人は、誰でもそう思っていたと言っていた。


 だが、どうやら本当に巨人は出るらしい。当初は、誰もが相手をしなかった。報酬の金貨一万枚という金額がさらにデマを疑わせた。

 ただの誰かのイタズラだと、騒ぎの中心になりたい子供がやったことに違いないと決めつけた。それに面白半分で付き合う者もいたが、大半の人はその張り紙のことを忘れ、自分の日常に戻っていた。

 それが、本当だと分かるまで……

 噂の張り紙に面白半分で付き合った傭兵6人組。彼らの内の一人が、恐怖に捕らわれて逃げ帰って来たのだ。

 全身を細かに震わせ、時折何かが追ってこないかを確認するかのように後ろを見る。城壁に囲まれた街にいても、それは続いている。

 その男が口にした言葉……グルカ城、巨人。途切れ途切れであったがその言葉を近くにいた者達が確認した。彼らが街で実力者であったこと、そして人望を集めていたことがその話の信憑性を増した。

 張り紙の内容は事実だった。それが分かると、あらゆる戦士達がグルカ城跡地を目指すことになった。


 張り紙のことも話しで混ざり、ある貴族が正義心を燃やして名前を隠して依頼していることになっているらしい。

 それって無報酬……と分かるのに時間はいらなかった。巨人を倒したという名声があれば、貴族のお抱えや仕事が依頼されてくるだろうが、それを望んでいないシグルドとしては金貨の方がありがたかったが、今から帰るという選択肢はない。


「………………はぁ~~~~」


 大きくため息をつく。

 誰かが焼いているのか、肉の香ばしい匂いがここまで漂ってきた。それを嗅ぐと無性に欲しくなる。匂いをここまで運んできた風が鬱陶しくなるが、そんなものに腹を立てても、腹は膨れない。


「ちょっと、何ため息なんてついているのよ」


 シグルドの様子を見て、どうやら自分が呆れられていると思われたのか、少女が頬をつねってくる。


「悪い悪い、お前のことでため息をついたんじゃないんだ。少し自分の状況に、ね」

「何よそれ」


 戦いは望んでいるが、金がなければ装備品の補充も出来ない。現実に引き戻されたシグルドは今後の生活をどうしていくかを考える。食料は狩りでどうにかなると考えても、剣の整備品や装備の補充品が欲しい。しかし、手元には金がない。街に入るのにも、身元の確認できる証明がなければ、金を払うことになるため街にも入れない。


 どうしたものかと物思いにふけるシグルドの横で、少女が唐突にマントの下からごそごそと一つの革袋を取り出す。

 中身が余程大事なのか、口は紐で固く結ばれている。

 それに小さな指で少女はほどいていく。悪戦苦闘しながら紐をほどき、少女が取り出したものは、小さく綺麗な石だった。

 上手く加工されているのか、つやつやとした表面がピカリと光る。石を集める趣味でもあったのかと思ったが、石に刻まれた印を見た瞬間に目を見開いた。


「それは……まさかルーンか?」


 その言葉に少女は小さく頷くとますますシグルドは目を見開いた。

 ルーン文字、まだ神が地上に残っていた時代に人間に与えた知識の一つ。全二十五種類の力ある文字を刻むことで、魔術を行使できる代物。

 魔力がある者ならば、魔力をルーンが刻まれた道具にこめるだけで魔術が使用できるが、ルーンを刻むことができるのは、魔術師の力が必要であり、それが市場に出れば、金貨十枚以上は確実にするものだ。

 そんな代物が、シグルドの目の前にいくつも転がっている。


 思わずシグルドは辺りを見渡した。

 少女は気にしていないのか、取り出した石で何やら占っている。シグルドもルーン魔術が目の前で見られる珍しいシーンを見たいがそうもいかない。恐らく袋の中には他にもルーンが刻まれた石が入っているのだろう。それを一つ売りに出せば、しばらくは豪遊して暮らせることが出来るのだ。価値が分かる者が……商人などの目に入れば、どうなるか分からない。持ち主は小さな少女なのだ、奪うのは容易だと思う者が大半だろう。


「おい……もう少し周りを警戒したらどうだ?」

「ん?何故だ?」


 辺りを見渡し、人影がいないことを確認すると少女に注意を促す。しかし、当の本人は、何に対して言われているのか分からない様子だ。

 その様子を見てため息をつく。

 ここにいたのが自分でなければどうしていたのか……。最悪殺されていたかも知れないというのに。


 人前で無防備にルーンが刻まれた石を、地面に置いているのを見ると、価値を知らないのだろう。これほどの代物を簡単に手に入れることができるほどの金持ちか、それともそれの価値に気付いていないだけなのか。

 見かねたシグルドが、その石の価値を説いていく。


「お前なぁ……その石一つで人間がどれだけ暮らすことができる思ってるんだ」

「?」

「それだよ、それ。ルーン石」


 少女が手元にあるルーン石を見て首をかしげる。

 やはり、価値が分かっていないらしい。

 よくこんな世間知らずな少女を一人に出来たなとここにいない親を思う。


「良いか?金貨一枚で村にいる三人家族が一ヶ月暮らせる」

「そして、銀にすりゃあ百枚はくだらない。傭兵でも金貨一枚あれば、必須の道具や装備はそろう」


 突然始まった講義に、少女が目を白黒する。


「お前の手元にあるそれ、一つで金貨十枚はする代物だ。それは並みの商人じゃあ手に入らない代物だし、傭兵や貴族に仕えている騎士でもな。」

「…………あぁ」

「優しい奴らなら忠告してくれるだろうが、ここにいる大半は、金に目がくらんだ商人か荒くれ者で通っている傭兵が多い。金に苦しんでいる者もいるだろう。そんな中で、か弱い少女が大金抱えていると知ったらどうなると思う?」


 あぁ……と少女がやっと理解した顔になった。

 分かってくれたかと胸をなで下ろしたのも束の間。少女は、石を片付けることなく黙々と作業を続ける。


「………………おい」

「ん?何だ?」


 何だではない。さっき自分がいったことが分からなかったのだろうか……こんなものを無防備に置かれると困るぞと安易に伝えたはずなのに、片付ける様子はない。


「俺が言ったこと分からなかったのか?」

「いや、分かったよ」

「だったら「別に良いじゃないか、ここに人影はいないんだ」」


 確かにそうだがそうじゃない。やるなら親の所でやれと言いたい。あって間もない俺がここにいるから気を付けろと伝えようとしたとき――


「何だ?それともお前は私に襲いかかってこれを奪うつもりなのか?」

「…………いや、そんなことをするつもりはないが」

「なら、問題ない」


 そういうことじゃない。自分が言いたいのはそういうことじゃないと頭を抱えても少女は全く動く気配はない。

 別の見方をすれば、初対面であるシグルドのことを信頼しているのではと言えるが、そんな風には見えないシグルドは一人で何とも言えない感覚に襲われる。


「――――――良し。 誰かが来たら片付けろよ」

「分かっているさ」


 本当に分かっているのか疑いたくなるが、自分としてもこれ以上少女に時間を割くわけにはいかない。誰か来たら片付けることを信じ、シグルドは再び精神統一を始めた。

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