第3話久方ぶりの仕事


「金がない」


 良く晴れた朝。小鳥の囀りが聞こえる村の牧場で、一人の男が手元にある小袋の中身を覗き込み、溜息を付く。その中身は悲しいことにすっからかんだ。

 逆さまにしても、底を持って振っても金貨どころか銀や銅すら入っていない。出てくるのはいつの間に入ったのか、ゴミばかりだ。


 そう、この男シグルド・レイは現在無一文だった。

 まぁこれまで食っちゃ寝、食っちゃ寝していれば当然なのだが、そんなことは頭から離れている。


「ハァ……………………空からお金が振ってこないかな」


 ボケ~と草むらに寝転がりながら、ありもしないことを口にするいい年したダメ人間。

 これまでずっと旅をして来たが、資金が尽きてしまい、どうにか働き口をあっちこっちへと探しているのだが、全てが空振りに終わっている。

 こっちに傭兵を集っていると噂を聞けば、もう国が滅んで終わっていると聞き、あっちに怪物が出ると聞けば、報酬目当てで行ったもののデマだったり……運がないにも程がある。


 歩き回ったは良いものの収穫なしで燃え尽きた男は、帰りに牧場を発見した。トラブルに見舞われていたため、それを解決する条件としてここで過ごさせて貰っていた。現在は、今後のことを考えているのだが、愚痴ばかりが出てくる始末だった。


「シグルドさ~ん、ご飯準備できましたよ~」


 牧場主の一人娘の声が耳に入る。

 後ろを見ると、キョロキョロと辺りを見渡している女性の姿があった。発育がよく、遠くからでも体のラインが分かる。体を動かすたびに揺れる男の夢は眼福である。


「はいは~い。ここにいるよ~」


 体を起こし、手を振るとこちらに気付いたのか駆け寄ってくる。


「もうっ……頼んでいた薪割りは終わったのですか?」


 可愛らしく頬を膨らませる。まるで怒っていないように見えるのだが、これは怒っている……らしい。

 牧場主から聞いていなければ、自分はまだわざとやっているのだろうと思っていたところだ。


「大丈夫、もう終わったよ」


 疑いの目を向けてくる娘に、指を差して照明をする。差した方向には、大量の蒔が積み上がっており、それを見た娘は目を輝かせた。


「わあっ!!これだけあれば、当分は困らない!!シグルドさんがいると楽だな~」


 手を叩いて喜びそうな娘を見て、現金だなと思うが口にしない。前にそれをいって関係をこじらせた女性がいるからだ。口に出さない方が世の中良いことがあると知ったのはその時だ。


「ねぇ……シグルドさん。どう?私と一緒にここ継いでみない?」


 腕を取り、豊満な双丘をこれでもかと押しつけてくる。それに思わず、首を縦に振りそうになった。男なら誰でもこうなると思う、うん、自分は悪くない。だって押しつけられて嫌いな奴なんていないだろ?

 感触を楽しみたいが、そういうわけにもいかない。


「残念だけど、それは出来ないよ」


 そうだ、彼女には悪いがここで旅を終えるわけにはいかない。のどかな牧場……ここでの暮らしは戦場ではまったく味わえないものがある。しかし、自分はそれを望んでいるわけではない。戦いを、心躍る熱き戦いを体が求めている。


「そっか~残念」


 甘えた様子はなくなり、パッと腕を放して、部屋に駆け込んでいく。その背を見ながら、追いかけるべきか迷っていると村人が駆け寄ってくるのが目の端に映った。


「よう、シグルドさん。振られたのか、慰めてやろうか?」

「慰めるって言ってる人間の顔じゃないぞ」


 嬉しそうな顔をしている青年は、ここに泊まることが分かったときから妙に突っかかってくる。よそ者を警戒するのは仕方が無いのだが、この様子だと、村一番の娘の傍に男がいるのが気にくわないだけだろう。


「それで、何かあったのかい?」

「熊が出たらしくてね。また頼むよ」


 またか、と思いつつも頷く。

 一昨日ここに訪れた際にも熊が村の作物を荒らしていると耳にした。それを討伐するにあたってここの牧場の小屋を貸し切れたのだが、新しい熊が現れるのは珍しい。自らの縄張りを持たずに個々の行動圏で活動する熊はいるが、それは決まった地域での話しだ。この周辺では熊は生息しておらず、昨日見たのが初めてだと言っていた。


 何故こんな場所に熊が出現するのかは分からないが、こちらはこの村に住まわせて貰っている身だ。畑に多大な影響を及ぼすのであれば狩るしかないだろう。


「分かった。案内してくれ」


 疑問は尽きないが、しばらくぶりの仕事にシグルドは気合いを入れた。









「一匹じゃなかったのかよ!!」


 思わず出た愚痴と共に、自分を押し潰そうと覆い被さってきた大熊を、体格差をものともせずに押し返す。

 足跡を追って森に入り、風下から一撃で仕留め、さぁ帰ろうと鍔を返した所にもう一匹が襲いかかってきたのだ。

 悠々と帰ろうとしたシグルドが不意を打たれ端ものの、まだ見た後に反応できる速度だったのでやられることはなかったが、最近怠けすぎて気が緩んでいる。で死ぬことなどないが、獣如きの接近に気付かなかったのは自分の落ち度だ。今一度気を引き締めて、目の前の大熊を見据える。


 一昨日仕留めたものや先程仕留めた熊よりも一回りも二回りも大きい。どうやらこれまで仕留めたのは子熊の方だったらしい。ただの獣でもこれだけ成長すれば、魔物と見間違えてもおかしくはない。

 子を殺され、怒り狂った親熊がシグルドに再度襲いかかる。

 巨大な爪は、地面に爪痕を残してシグルドに迫る。当の本人は、それを見て慌てもしなかった。剣ではじいたりもしない、使うまでもないと足運びのみで人一人の命を簡単に奪える脅威を避けていく。


 一回りも小さい人間に、自分が弄ばれている。自分の子を殺した相手が微塵も自分に恐怖していない。

 獲物を追いかけるときも、殺すときも、同じ表情をしていた。泣き叫び、断末魔を挙げていた。それなのに、目の前の獲物から感じ取れるものは何なのか……子供達が遊ぶような時と同じものが感じ取れる。


 一体何処にこんなにも陽気になれることがあるのか、それすらも分からずに大熊は首を切り落とされた。


「……」


 自身の相棒たる魔剣を振りかぶり、魔獣と見間違える程の大熊を狩ったにも関わらず、シグルドは戦いが終われば冷めた表情をしていた。


 ――終わってしまった。何処か物足りない。

 そんな思いが浮かび上がる。

 最初の一匹を一撃で仕留めた後、その親熊だと思わしき熊は、これまで見た熊よりも大きさは段違いだった。人を簡単に襲う所を見ると襲い慣れていると考えて良いだろう。久しぶりに体を動かせて楽しかったものの、それでも所詮は熊。魔獣ですらない獣相手に本気で楽しむことはなかった。


 殺した親熊と子熊を持ち上げる。討伐したとは言え、証拠がなければ意味が無い。それに村の収入源などは分からないが、せっかく狩ったのだ、使い道があるかもしれない。

 軽々と自分以上の大きさがある大熊を片手で持ち上げ、今度こそ漏れ残しがないか確認すると子熊と親熊、二匹を悠々と抱えて山を降りていく。










「…………ん?」


 山から降りてきたシグルドが目にしたのは、村の中央に位置する場所で集まる村人達の姿だ。


 どうやら商人が来ているらしい。街までしばらく歩かなければならない村では、通りかかる商人達から買い取ることが出来るのは、危険が無くて嬉しいものだろう。


 牧場主の娘が帰って来たシグルドに気付き、群衆から抜けて出迎える。


「お帰りなさい。山に行っていたんですね、もうっ……ご飯だって言ったのに」

「あぁ、済まない」


 許しません、と笑顔で言う娘にせっかく用意して貰ったのに悪いと思う。行く前に声を掛けるべきであったと反省した。


「まったく、シグルドさんって「お~い、シグルドッ!」…………」


 途中でシグルドを村人達の中から呼ぶ声が上がる。

 笑顔のまま固まった娘は、駆け寄ってきた村人を睨むが、気付いていない。


「よう、帰って来てたんだな。帰って来たばっかで悪いんだけどちょっと来てくれ。面白い話しがあるんだよ」

「その前に、コイツを下ろさせてくれ」


 後ろに回り込んで、背中を押そうとする青年に頼むが、早く行けと言わんばかりに押してくる。

 まぁ、この程度の力で押されるシグルドではないのだが、現在進行形で、表情を感じさせない娘の目が怖かったので離れることにした。


 熊二頭を邪魔にならないような場所に下ろし、村人達の所に向かう。

 近づいてみるとどうやら商談をしている訳ではなさそうだった。



「おい、商人さん。この人がさっき言ってた人だよ」

「ほう……アンタがそうか」


 ここまで急かして連れてきた青年が、自分を指差してくる。それを見た商人は、何やら品定めするよう目でシグルドを見ていた。


「それで、一体何なんだ?」


 商人の目に居心地の悪さを感じながらも尋ねると、青年が意気揚々として答えてくれた。


「アンタ、巨人って見たことあるか?」

「巨人……」


 巨人、おとぎ話の中にも出てくる人を喰う怪物だ。よくおいたをした子供には『巨人に食べられてしまうよ!』と言い聞かせることがあるらしい。人間だけに限らず、家畜なども襲ったりし、肉のみを喰らうので、山に住む生物全てを喰い、生態系を荒らしたとも噂がある。

 巨人族の祖先――ユミルは雲の上まで届くような巨神だったとあるが、シグルドが見たことのある巨人は精々、物見櫓程度の高さだった。


「まぁ、あるな」

「ほほ~……そいつがさ、出たんだとよ。ある場所によ」

「それで?」


 さっさと先を言えと腕を組んで先を施す。


「どうやら、腕利きを集めているらしい。腕に覚えがある奴なら誰でも来いだとさ」

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