#3-2
***
少女が奴隷となって初めての仕事は王宮内の8つの甕を川の水でいっぱいにすること。その甕の場所を女中に聞くと、あとは何も考えずに川から水を汲んでその甕まで運ぶだけだった。しかし何も考えずに、と頭を意識すればするほど少女の頭は考えでいっぱいになっていく。
―こういう力仕事は圧倒的に男性の手で行った方が効率がいいんじゃないかしら。でも奴隷部屋には女性しかいなかった。この王宮に男性の奴隷がいないのか、それとも居住区が分けられているだけなのか。もう少し情報がいるわ。
すっかりバケツを抱えすぎた少女の手は皮が少しめくれて赤くなってしまっていたが、少女はそんなことを考えながら水汲みの仕事に従事していた。朝早くから始めてすべての甕に水が満たされたのはそれから数時間後のことであった。正確な時間はわからないがすっかり高い位置の太陽を光を浴びて少女は川の側の草の上に寝ころび、「はぁっ」と大きく声を出してから手にしていたバケツを投げ捨てた。奴隷として買われた昨日の砂漠越えも体力的にはきつかったが、この水汲みも決して楽ではない。そして、この水汲みの仕事とは日々付き合っていかなければいけないことになるだろう。
―さすが私、奴隷ね。
ここで少し寝てしまおうかと目を閉じた少女だったが、ほかの奴隷がどうしているのか気になって起き上がった。川の水で軽く手と足を洗ってから再び王宮の中へと入っていく。慌ただしく行き交う人の流れを見て、まるで役所のようだと思った。そしてその人の波を避けるように王宮内を歩いて回る。もちろん、廊下の端、毛足の長い絨毯を踏まないように。
いい匂いがする。朝から何も食べていない少女がその匂いに誘われるように足を進めていくと、匂いの元は人々が右へ左へ駆け巡る騒がしい厨房だった。少女の目に大きな甕が止まる。
―いけない、もう一つあったんだわ。
少女が足を厨房内に足を踏み入れようとした瞬間、大きな怒鳴り声が浴びせられた。
「おい、お前!」
その声に少女の体はびくっと反応し少女の足が止まる。見ると、ひげ面の大男が腕を組んで少女の方を睨んでいた。
「ったく!だから奴隷は嫌なんだ。隙あらば厨房から飯が盗めると思ってる、
吐き捨てるようにそう言うと「帰った、帰った」と追い返そうと男は少女の腕を取る。小さな少女の体では男の腕にひょいと担がれてしまう。まるで小さなカバンのようだった。縦にも横にも体の大きいその男はまるで大木のようだった。そして少し全身を白い装いで纏め、頭には小さな帽子を被っている。彼が声を上げた瞬間から、手を止めずに厨房内の人間がこちらをちらちらと見ているのがわかった。どうやら彼のことを皆恐れているようだった。
「違うのよ!私すべての甕に水を入れるように朝言われたの!そこに甕があるから、また水を運ばないとって!」
少女が弁明すると、男はため息を吐いて少女から手を放す。
「奴隷はみんなそう言って厨房に入って飯を盗むから、出入り禁止になったんだ。お前さんも覚えておきな」
そして「さあ」と背中を叩いた男に少女が問いかける。
「じゃあ、その甕には誰が水を入れるの?」
「いいか、お前さんが入れたその甕の一つから、わざわざ俺たちが運びなおすんだ。だから、あの甕には水がいっぱい入っている。わかったな?お前さんの仕事はここにはないんだ」
「じゃあ一つだけ答えて!」
少女はぐっと足に力を入れて、押し出そうとする男の力に抵抗した。
「あの甕の水を、ここの人たちは飲んでいるのよね?それは身分の高い人たちも?そのまま?」
「当たり前だ、でもお前は自分のところから飲めよ、いいな?」
―つまり、この世界の人間は川の水を直接飲んでいることになる。水に対する衛生観念がないということなのね。
「あなた料理長なの?」
少女が尋ねる。
「料理長だ?俺は厨房のトップ、ガンスリールだ。お前も城で働く奴隷なら俺のことを覚えておけ」
「ではガンスリール、あなたは厨房のトップ失格よ」
少女がそういうと「なんだと!?」と再びガンスリールの怒号が厨房内に響く。ガンスリールの顔は真っ赤に染まりまるで沸騰したような蒸気が頭からのぼっている。そんなガンスリールを見て少女は「熱エネルギー」と呟いた。
「あなたは人の口に入るものを扱っているんでしょう?そしてそれは、この王宮に住む王族たちのためでもあるのに、あなたの意識がそんなに低くてどうするのよ。あなた、王を殺す気?」
「なんだと!?奴隷の分際で!」
掴みかかるガンスリールを遮るように厨房から一人男が飛んできた。そしてへらへらとした笑みを浮かべながら話す。
「まぁまぁ、ガンスリールさん、相手はただの奴隷の子どもですよ。ね、君も頭を下げて、ね、言いすぎましたって」
少女の頭に手を置いたその男は優しい力で押す。少女はその男の手の平の体温を後頭部で感じていた。
「あなたは?」
上目遣いで少女が尋ねると、へらへらした男はそのままのヘラヘラ顔で早口で答える。
「僕はデール。ここの厨房の見習いさ。見習いって言ってもただの見習いじゃないよ、よくできる見習いさ。だから僕のことはよくできるデールと皆そう呼んでいるんだよ」
「デール、お前はうるせえから口を閉じていろと今朝も言ったはずだぞ」
ガンスリールが睨むとデールはヘラヘラした顔で頭を何度か下げた。デールは少し汚れた白い衣服を身にまとった手足の長い細身の男だった。話している間もせわしなく腕や指が動いていて、機械仕掛けの人形のようにも見える。
「わかっておりますともガンスリールさん。ですからこうして今の今まで黙っていたじゃありませんか。先ほどもデールはよく黙っていると厨房の中の誰かが言ったか言っていないとか。そして今度はこうして奴隷の少女を助けて、またよくできるなんて評判が立てば、いよいよ、よくできる厨房のデールとして王宮中で評判になってしまうかもしれませんな。そしたらガンスリールさん、あなたはよくできるデールの上司のあなたはよくできるガンスリールとして有名になれるかもしれないのですよ。どうです?よくできた話でしょう?」
「…まったく、なんで俺がお前なんかの面倒を見なきゃいけないんだ」
ガンスリールは呆れて両指で耳を塞ぐ。途切れることなく早口で続くデールの口上を少女は顔色一つ変えることなく止めた。
「じゃあデール、頼みがあるの」
「なんだい?」
すかさずガンスリールが割り込む。
「おっと奴隷!余計な真似をしてもらっちゃ困る!」
少女はむっとしてガンスリールを見上げた。そしてまっすぐと大きな目を見開いて言う。
「これはあなたのためでもあるのよ!あなたは少し黙って見ていなさい!」
年齢に似つかわしくない少女の気迫にガンスリールはたじろぎ、そのまま腕を組んで不愛想に立っているだけだった。その間に少女はデールを使う。
「用意して欲しいものがあるのよ。どれも絶対に必要なものよ」
少女が次々と告げるものをデールは「へいへい」と言いながら聞いていた。不機嫌そうなガンスリールの前に、ヘラヘラした顔で。
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