恋心

 慣れないスーツに着られたままで、会社玄関を後にする。本日、新人研修を終えた。

次に此処へ来るのは入社式、もうすぐ社会人の仲間入りだ。

 吐く息がまだ白く外気に溶けている。頭の隅で、冷たく澄んだ空気に包まれ走るいつかの放課後が顔を出した。

「学校行ってみるか。」

 帰宅しても暇なだけだ。時間には余裕がある。行き先を自宅から母校へ変更し、歩み出した。


          ・


 数週間前に巣立った校門を抜ける。春休み期間だからか、敷地に誰も居ない。少し行くと、眼前に見慣れた校庭グラウンドが広がった。外れの方に部室が見える。

 鍵がかかっていないようで手をかけるとドアが開いた。人感センサーが機能し、灯りがつく。部室の中央で足を止め、辺りを見渡した。しんと静かな室内。

 規則的に並んだロッカーには後輩達が表記した、汚い字の名前プレートが付いている。

使う者が居なくなったロッカーは愛想なく無表記だ。

「なんだかもう、懐かしいな。」

 不意に一つのプレートに目が留まる。

カーンと声をあげるバット.グローブに吸い込まれる硬球.マウンドに立つ逆光の影.次々と思い出される記憶の断片。

 ふざけ合う中、突然訪れた沈黙。交わる視線、痛んだ胸。

 おかしいな。何故か視界が滲んでいる。

「え、」

 いつから泣いていたのだろう。胸元のスーツが濡れていた。

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