第17話 風邪①

「ゴホッゴホッ。あ゛ー……、頭痛え……」


 お好み焼きパーティーの翌日、俺は風邪を引いていた。茜にあんな事を言われた後その言葉がずっと頭を離れなかった。ついつい長風呂をしてしまい、それでこの有様だ。一人暮らしをしてから風邪なんて引かなかったのに。


 茜には、風邪だから来るなと連絡しておいたので伝染うつることはないだろう。今は十二時か……。薬も飲んだしもう一度寝てしまおう……。


* * * *


 何か物音がして目が覚めた。……茜がいる。あれ?来るなってメッセージ送ったはずだが……。既読もついていたし。


「律さん、おはようございます」


「茜……。お前なんで。伝染るぞ……」


「放っておけるわけないじゃなですか」


「早よ帰れ……」


「そんな弱々しい様子で言われたら余計に心配になりますよ」


「そもそもお前どうやって家……」


「合鍵くれたじゃ無いですか。ニワトリなんですか?」


「…………」


「今のにツッコミしないってかなり重症ですねえ」


 そういえば、昨日合鍵あげたんだった。その後の茜のあの台詞せりふが強烈すぎて記憶からとんでいた。聞きたい。どうしてあんなことを言ったのか。


「私のせいですよね……。ごめんなさい」


「茜は悪くないから。俺が風邪引いた事とお前は関係ない……」


「関係ないって言われるのも結構寂しいものですよ」


「やっぱりお前のせいだよ……」


「手のひら返し早すぎません?」


「そう言って欲しかったんじゃないのか?」


「まあそうですけど」


 茜はベッドの近くまで来て、床に正座した。口を少し尖らせており、不服そうだ。どうしてか俺の顔を見つめて、やがてゆっくりと手を近付けてくる。そうしてその手は俺の額へと触れる。


「うわっ、熱っ。熱測りました?」


「測るのが恐い」


「何子どもみたいなこと言ってるんですか」


「体温計で自分の熱の高さを見ると更に悪化しそう……」


「アホなこと言って無いでさっさと測って下さい。体温計は何処ですか?」


「向こうの引き出しの一番下の段」


 茜は立ち上がって引き出しまで歩いて行った。引き出しの中は整理してあるし、体温計は目につく場所においてあるからすぐ見つかるだろう。


「うっっわ、めっちゃ綺麗に整理されてる……」


「見つかったか?」


「はい。これですね」


「そう、それそれ」


「はい、どうぞ」


 茜が差し出してくれたので、受け取ろうとするが、上手く掴むことができずに手からスルリと落ちてしまった。ヤバいなこれ。自分で思ってるよか、調子が悪いのかもしれない。


「測ってあげましょうか?」


「今のはアレだ。手が滑っただけだ」


「今度は落とさないで下さいね」


 再び体温計を受け取ると、スイッチをオンにして俺はそれを脇の下に入れる。この体温計は測り終わるまでに二分ほどかかる。その間に昨日なぜあんなことを言ったのか聞いてしまおう。


「茜、昨日はなんであんなこと言ったんだ……?」


「ああ、アレですか」


「そうだよ。お前は俺のこと別に好きでもないだろうに……」


「……好きではないかもしれませんが、異性としては見てますよ……?」


「はえ?」


「だから昨日言った言葉通りですよ」


「まじ……?」


「まじです」


『ピピーッ』


「あ、測り終わったみたいですね」


 俺は体温計の数値を見る。……三十九度一分か。高すぎない?こんな数値見たことないんだが。今まで熱出しても三十八度超えることすらほとんど無かったのに。


「見せて下さい」


「俺の脇に挟まれたやつだぞ」


「そんなの気にするわけないんで、寄越して下さい」


 茜はそう言うと、奪い取るように体温計を掴む。別にそんなことしなくても普通に渡すんだがなあ。


「うっっっわ。高っ。超高熱じゃ無いですか」


「寝れば治る……」


「いや、そういう次元じゃないんで」


「大丈夫だって……」


「病院行きましょう、病院」


「やだ……」


「やだって……。今四時半なので早く行きますよ」


 病院は本当に嫌だ。金かかるしヤブだし注射痛いし恐いし。子どもみたいってバカにされるかもしれんが注射だけは本当にダメ。あんな針を人体に刺すっていうのがもうダメ。発想したやつ誰だよ。


「もしかして注射が恐いんですか?」


「そうだよ……」


「注射の何が嫌なんですか?」


「痛いし恐い。血管に刺して液体を注入する瞬間がホントに無理」


「律さんが病院に行きたがらないなら、私がその風邪貰います」


「へ?」


「具体的には私が律さんに接触して風邪を貰います」


 接触って……。どうして茜はここまで言うのだろうか。


「どうやったら風邪って伝染るんだろうな?」


「さあ? 接吻せっぷんでもすれば伝染るんじゃないですか?」


「病院行く……」


「決まりですね。早く着替えて下さい。私はタクシー呼ぶので」


 今のは卑怯だろう。選択肢が一つしか無かったじゃないか。俺は体を起こし、床に足をつけて立ち上がる。転ばないように気を付けつつパジャマのズボンを脱いでスウェットパンツを履く。上も脱いでTシャツを着てパーカーを着る。外は暑いはずなのに寒気がすごい。


「着替えた」


「はい。タクシーもすぐ来るそうです」


「分かった」


「下で待ちましょうか。歩けます?」


「問題ない」


 とりあえず歩こうとするが、これが上手く行かない。視界は歪んでいるし足は真っ直ぐ前に出ない。俺が四苦八苦していると、茜が近くまでやって来る。なんだ?


「フラフラじゃないですか」


「そうは言ってもなあ」


「はい。とりあえずマスク付けてください」


 俺は言われた通りにマスクをつける。見ると茜もマスクをつけていた。にしても、このマスクどこから?俺の買ってるマスクと違うが。


「私の部屋から持ってきたマスクですよ」


「お前マスク持ってたの?」


「本当に私をなんだと思ってるんですか……。あ、水分取った方がいいですね」


 茜は一度俺から離れると、スポーツドリンクを手渡してくれる。妙に美味しく感じるのはやはり風邪だからだろうか。


「財布とか持たないで下さいね。あ、保険証だけは持ってて下さい」


「でも財布は」


「今の状態じゃ支払いできないでしょう。肩貸すので手回して下さい」


「いやそれは」


「早くしてください」


「はい……」


 逆らう力も無いので大人しく従う。茜の肩幅は俺よりも随分狭くて、当たり前だが女の子なんだなと嫌でも意識させられる。華奢なのにどこか頼りがいがあって、妙に心地が良い。鼓動が大きく聞こえる。これは風邪のせいだ。そうに違いない。


 保険証とスマホだけ持って、茜に肩を貸してもらい外に出る。階段を下りると既にタクシーが停まっていた。


「○○内科までお願いします」


「分かりました。風邪ですか? お大事にして下さいね」


 タクシーに乗ると、茜が行き先を告げてくれたので俺が特にすることはなかった。運転手は物腰穏やかそうな男性で俺の心配までしてくれる。態度が悪い人じゃなくて良かった。嫌な人だと更に体力を消耗してしまうからな……。


 茜は今まで見たことのない表情をしていた。気を張っているというか不安というかそんな表情。そこまで俺のことを心配してくれているのだろうか。


 茜と俺は所詮は他人だ。ただ毎日一緒にご飯を食べているだけ。なのにそこまで深刻な顔して俺を病院に連れて行ってくれる茜を見ると勘違いしてしまいそうになる。茜は俺のことを好きなのではないかと。


 こんな考えはまやかしだ。俺の勘違いだ。こんな風に考えてしまうのも……、全て風邪のせいだ。



 




 


 








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