19.詰まる気持ちと温かいお茶
魔法でぽんっとクラッセンさんの服をドレスに変えると、彼女は宝石のような瞳をさらに輝かせて歓声を上げた。どうやらドレスを着るのは初めてのようだ。
そのように喜んでいただけると私も嬉しくなる。
今日はヴァルター公爵夫人のお茶会にお呼ばれされて、クラッセンさんも一緒に行ってお茶会を体験していただく予定だ。
その前にブラントミュラー邸の客室をお借りして着替えていただいているところである。
ピスタチオのような優しい緑色のドレスに身を包む彼女はとても上品で、我ながら良い色を選んだと自画自賛してしまう。さらに指先に魔法を込めて、髪も結わえさせてもらった。
ハーフアップに編み込みのアレンジを加えて白い小花を添えてみる。
うん、すごく素敵。
クラッセンさんは姿見の前でまじまじとご自分を見つめていらっしゃる。「すごい!」とか「別人みたい!」と仰ってくるりと回ってみせるお姿がとても可愛らしい。
うんうん、いい感じだ。やはり私の見立ては正しかった。さらに眼鏡を外していただき魔法をかけて一時的に視力を強化した。
上出来である。
自画自賛ふたたび。
ついついあれもこれもと試したくなるが、着替え終わるのを待っていただいているブラントミュラー卿に申し訳ないので我慢することにした。
クラッセンさんと一緒にブラントミュラー卿が待つ応接室に入ると、ブラントミュラー卿はこちらを見て動かなくなった。
いつもと変わりなく見える表情だが、若干目が見開かれているような気がする。そして、息をしていないんじゃないかと心配してしまうぐらい動かない。
あまりにも動かなくて心配になったので無礼を承知で腕をつついた。すると、はっと息を零す声が聞こえてきた。もしかしたら、本当に息をされていなかったかもしれない。
見惚れてますよね?
やはりこのドレス姿のクラッセンさん、素敵ですよね?
自分でもわかるくらいニヤリと口元が歪んでしまう。
「このドレス、クラッセンさんにお似合いでしょう?」
「ええ、とても」
彼はそう言ってクラッセンさんに手を差し伸べ、馬車に乗せる。私は彼の返答に満足して小躍りしそうになった。ダメよ、リタ。プロフェッショナルがいちいち浮かれてはいけないわ。
頬を叩いて気持ちを入れなおす。
◇
ヴァルター公爵邸へ着くとクラッセンさんはすっかり緊張してしまい不思議な歩き方になっていたが、ヴァルター公爵夫人とお話しているうちに解れていったようだ。
さすがはヴァルター公爵夫人。社交界のトップの名にふさわしく、どなたとでも話しやすい空気に変えてしまう。その会話術の極意をぜひ教えていただきたい。
そう感心しつつも、私は
一通り終えると、ヴァルター公爵夫人の提案で私たちは自由にお茶を飲むことになった。夫人はブラントミュラー卿も誘ったのだが、彼は「自分は護衛ですので」と断った。
そのため私はヴァルター公爵夫人とクラッセンさんの3人で王都の噂話をしつつ花のような甘い香りのお茶で口を湿らせる。
「貴族の方も噂話をされるんですね」
「ええ、クラッセンさんはなにか面白いお話を耳にしましたか?」
ヴァルター公爵夫人は朗らかに微笑まれながらクラッセンさんにクッキーを勧める。美しい形のクッキーの真ん中には甘いジャムがおさめられており、赤い宝石のように輝いている。
クラッセンさんはおずおずと手を伸ばしてそれを1枚取った。
「私なんてドレスのことしか頭になくて話題があまりありません」
「大丈夫ですよ。話題はいろんなお方とお話していくうちに増えていきますわ」
ヴァルター公爵夫人の言葉に、私はうんうんと首を縦に振る。しかし、クラッセンさんの表情はどこか暗く、目線はテーブルの上に落ちたまま。
ドレスに着替えたときはあんなにも輝いていた瞳が、今は力なく一点を見つめている。その姿を見ると、チクリと胸が痛くなる。
どうしよう。どのように声をかければ安心させられるだろうか。
頭の中でいろいろな言葉がぐるぐるとまわっていくがどの言葉をかけたらいいのか考えあぐねる。
クラッセンさんのお母様が話されていたこともまた、浮かんでくる。
「で、でも私なんて本当に話すのが下手で、ドレスのこと以外はお話はてんでダメで。昔からそうなんです。当たり前のことができなくて……母によく叱られていました。私はできそこないなんです」
「思い込みすぎですわ。私の知り合いもクラッセンさんのお話を楽しみにブティックに行くくらいですのよ」
ヴァルター公爵夫人は眉尻を下げる。クラッセンさんはきまりの悪そうな表情になった。
どうしよう。ますます、彼女は落ち込んでしまったような気がする。
「すみません、せっかくのお茶会なのに暗い話をして……自分のことを話すといつもこうなってしまって……ダメですね」
そう言って、クラッセンさんは髪を耳にかけたりして気を紛らわせようとされている。
やはり、話すべきなのだろうか。
ブラントミュラー卿とはお伝えしないでおこうと打ち合わせたものの、もしお母様の気持ちを知ることで彼女の不安がすぐに取り除けるのであれば伝えた方が良いと思ってしまう。
わからない。なにが正解なのか。
ただ、知っているのに知らないふりなんて、できない。
「クラッセンさん、お母様のことで、お伝えしなければならないことがあります」
「ブルーム様、そのことは……」
ブラントミュラー卿の言葉を遮って、私はクラッセンさんのお母様から聞いたことをお話した。
「……私のせいですね」
クラッセンさんは蒼白い顔になり唇を震わせた。大きく見開かれた目と視線が合うと、どくんと心臓が脈を打った。不安がとめどなく押し寄せてくる。
彼女が傷つくかもしれないとわかっていた。それでも、もしかしたら心の荷を下ろせるかもしれないと、期待していた。そんなの、浅はかな考えだった。私は彼女ではない。自分の物差しでそう判断したのだ。
「クラッセンさん、あなたのせいではありませんよ」
「私のせいです。私が何もできないから、お母さんは好きだった仕事を止めてしまったんです。私なんて好きなことを仕事にする資格は無かったのに……!」
言葉の最後は声が消えそうだった。クラッセンさんは立ち上がるとブラントミュラー卿の制止もきかず部屋を出て行ってしまった。
「ブルーム様はこちらでお待ちください」
ブラントミュラー卿が彼女を追って部屋から出ていった。バタンと扉が閉まると、部屋の中は静かになった。
私は最低だ。
彼女のためではない。我慢することができなくて言ってしまっただけだ。
じわじわと、口の中に血の味が広がってくる。いつの間にか唇を噛みしめていた。
背中にそっと手を当てられて、振り向くとヴァルター公爵夫人が後ろに立っている。
「ブルームさん、座ってくださいな。お茶を淹れなおしますね」
「ヴァルター公爵夫人……でも……!」
「ブラントミュラー伯爵に任せているんですもの。きっとよしなにしてくれますわ」
夫人は私の前に座ると、メイドにお茶を淹れなおすように言った。湯気の立ちのぼるティーカップをじっと見る。琥珀色の水面に映るのは、情けない顔の自分。
「力不足で情けないです。お師匠様の傍でずっと見てきたはずなのに、いざ自分がこの仕事を担うと上手くいきません……」
「責めてはいけないわ。あなたが見てきた師の背中は、あなたよりもずっと経験を重ねて形作られたものよ。あなたもいずれそのお方のようになれますよ」
そう言って、夫人は美しい紺色に金色の線が入ったティーカップの縁に口をつける。
彼女の言葉は優しい。しかしそれでも、胸の中に渦巻く不安が影を広げるのを止めない。
殿下のプロポーズのこと
殿下とクラッセンさんの出会いが思い描くようにはできなかったこと
クラッセンさんの不安を取り除くどころか傷つけたこと
自分で自分の身を守れなくて殿下や護衛騎士の皆さんに迷惑をかけていること
予想外のことや上手くいかないことが、次々と増えていく。
私は翻弄されてばかりで、ちっとも対処できていない。
お師匠様がやっていたように進めているのに、私がすると行き詰まるばかり。
私は、このまま
そんなことを考えていると、ヴァルター公爵夫人が私の名前を呼んだ。顔を上げると、彼女は柔らかな微笑み浮かべて私を見ている。
「私ね、ここに嫁いですぐの頃、自分はヴァルター公爵家にふさわしくない人間だって嘆いていたことがあるの」
「夫人にそんな時期があったのですか?」
今やティメアウスの令嬢がお手本にするほど完璧な貴婦人。貴婦人の鑑のようなお方だとブティックの支配人も仰っていた。
そんな彼女はむしろ、由緒あるヴァルター公爵家に最もふさわしい人物と言えるのではないだろうか。
「本当よ。私はお義母様に憧れてね、あのお方のようになろうと思って私なりに努力したわ。お義母様に教えていただくこともあった。でもね、同じことをしても上手くいかなくて歯がゆい思いだった」
悩んだ末に、夫人は自分はふさわしくないからと離婚まで考えてしまったそうだ。すると、ヴァルター公や前ヴァルター公爵夫妻が必死になってお止めになったらしい。
誰もが最初からそうなれるんじゃない。色んな人に助けてもらいながら、成長して目指す姿になっていくものだから、一緒に歩いていこうと。
「だからブルームさん、私たちと一緒に頑張りましょう。あなたは器用だからなんでもこなせるけど、少しは私たちを頼ってくれても良いんじゃないかしら?」
頬を膨らませてそう言う夫人はとても可愛らしかった。思わず口元が緩むと、夫人は「ああ、やっと笑ってくれたわ」と言って微笑まれた。
自分の頬に手を当てる。夫人のおかげで強張りがなくなった。
クラッセンさんが戻ってきたら、すぐに謝ろう。そして今度はゆっくりと、彼女の心に寄り添おう。それが、
そして、これからはこの国の協力者の皆さんにもっと相談しよう。私が知らない答えを知っているかもしれないから。
ヴァルター公爵夫人が扉の方に顔を向ける。つられて見てみると、微かに人の声が聞こえてくる。扉の前に立つ使用人が誰かと話しているようだ。
「あら、騎士様がお姫様を連れて帰ってきてくださったようね」
夫人がそう仰るのと時を同じくして扉が開き、ブラントミュラー卿につき添われたクラッセンさんが部屋に入ってきた。
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