27.完成間近
「わぁ~! やっぱりこの青色はブルームさんのお花のような色の髪に映えますね!」
クラッセンさんが宝石のような瞳をキラキラとさせて姿見を覗き込んでくる。
その姿見に映っているのは、例の青いドレスを着た私だ。ぎこちない笑顔の自分なのである。
ここはクラッセンさんが働くブティックの2階にある部屋。普段はお得意様が来られた時に使用されるという部屋。
ここを通されたのはほかならぬ、あのドレスの調整のため。クラッセンさんがこの上ないくらい幸せそうにふにゃりと笑いながらもテキパキと私を着替えさせてくれたのだ。
例の青いドレス……殿下が注文してくださったドレス……。どんな顔をして鏡に映る自分を見たらいいのかわからない。
ドレス自体はとっても素敵だ。今日初めて見たのだが、上品で洗練されたデザインで、クラッセンさんが私に合うと思ってこれを作ってくださったのがとても嬉しい。
ドレスは胸元と肩が空いている。肩の下から腕までは胸元から続く薔薇柄の繊細なレースに腕を通すようになっており、薔薇を身に纏っているようだ。
ウエストは腰より高い位置でキュッと細く見せるようにしており、そこから裾まではふんわりと広がる。ウエストから裾までにはドレスより淡い青色の薔薇のレースが散りばめてある。
すごく素敵。まるでお嬢様やお姫様になった気持ちだ。
こんなドレスを着ることはこの先はきっとないだろう。
今までお師匠様の元で修行していた時に人に選ぶことは多々あったけど、自分が選んでもらうことってそうそうないから嬉しいのには変わりない。
だけど……殿下が私用に注文したドレスをクラッセンさんが作っているこの状況はいかがなものかと思ってしまう。
だって……私は殿下とクラッセンさんを引き合わせようとしているのに!!!
やるせない気持ちである。クラッセンさんが嬉々としてお仕事をされている姿を見られるのは嬉しいのだが……複雑だ。
「早くこのドレスを着たブルームさんを王太子殿下に見ていただきたいです!」
「殿下に……」
クラッセンさん、殿下に私を見せてどうするのですか……。おめかししたあなたを見せるのであればいざしらず、裏方を着飾らせて表に出すなんてあってはならないこと。
殿下も殿下で、どうして私に着させようとしているのだろうか。
そもそも、殿下はなぜこのドレスを注文されたのだろう?
私が着る機会は……まあ、クラッセンさんが夜会に行くときに付添人をする場合は着るけれど、当初はそんな予定なんてなかった。
予定変更となった今では殿下とクラッセンさんを引き合わせるために夜会を開いていただくことになっているけど、そうでなければ着られることのないドレスだ。
やはり殿下は掴みどころがない。
何をお考えなのか読めないのだ。
それにクラッセンさんもどうお考えなのか気になるところ。
私が引き合わせると言ったことの意味を理解されていると思うのだが……。このドレスを作っている間に殿下のことをどう思われていたのだろうか?
「クラッセンさん……その、殿下のことをどうお思いですの?」
「うちのブティックの上顧客です!」
速やかにそう答えられる。仕事に私情を持ち込まないすばらしいプロフェッショナル精神。
確かにクラッセンさんからすると殿下はお店に注文をしてくださるお客様なのだが、聞きたいのはそれではない。
「お仕事としてではなく個人的にはいかがです?」
「え~っと……国民のことを一番に考えてくださっていて戦に強い王太子殿下です!」
確かにそうなのだけど、やはり聞きたいのはそれではない。
それは彼の王太子殿下としての印象である。そうではなくてもっとこう……憧れのような……異性としてどうお考えなのか……そういうことが知りたいのである。
「恋愛対象として今はどのようにお考えなのです?」
「リタはどのように考えているんですか?」
「私は……」
ん?
言いかけて違和感に気づいた。
後ろから問いかけてきた声。
クラッセンさんは目の前にいる。きょとんとした顔でこちらを見ているのだ。彼女が言ったのではない。
男性の声だったもの、間違いなく彼女が口にした言葉ではない。
それに、背後から何かの気配を感じる。なぜだか鳥肌がたってきた。先ほどまでは微塵も感じなかった気配。扉が開いた音も気づけなかったほど私は話し込んでいたのだろうか。
予想だにしない登場に恐ろしくなって、後ろを振り返ることも目の前の姿見を直視することもできない。
見なくてもわかっている。この声の持ち主はあのお方である。
後ろから聞こえてきた男性の声は……紛れもなく、殿下の声である。
なぜに?!
意を決して振り返れば、すぐ傍に立っていらっしゃった。穏やかな笑顔を湛えて姿見を覗き込んでいらっしゃる。その遥か後ろに居るのは明後日の方向を見るブラントミュラー卿。
またもや不意打ちの登場。
思わず頬がヒクヒクと動いてしまった。
「もうすぐで完成なので、見ていただくために支配人が連絡したんです!」
クラッセンさんは思い出したかのようにそう言った。お忘れだったのですね……。
なるほど……殿下がいらっしゃるのならなおさらこの部屋を通されるだろう。この部屋に入った時点で気づくべきだった。
気づいたところで私は心の準備をすることしかできないのだが。
「で、殿下わざわざお越しいただきありがとうございます」
「とてもお似合いですよ。目が眩みそうです」
「このような素敵な贈り物を誠にありがとうございます。クラッセンさんも、素敵なデザインを作っていただきありがとうございます……?!」
クラッセンさんの方を向いていると、急に殿下に体を引き寄せられた。驚きのあまり声も出せなかった。そんな私にはお構いなしで、彼はステップを踏み始める。止めるわけにもいかず、私もそれに合わせてゆく。
殿下、何をお考えなのでしょうか?
こういうことは
顔を顰めそうになるのを堪えた。そんな気持ちなんて全くご存知でない殿下は目を細めていらっしゃる。
全く音楽のない室内。
殿下に合わせて踊る。
なんとも奇妙な光景。
しかもすぐには終わりそうにない。
そして気まずい。
殿下がなぜ踊り出したのかは見当つかないが、それとなく止めるように言ってみよう。遠回しで、やんわりと。
「殿下、ダンスの練習をありがとうございます。そろそろ着替えませんとクラッセンさんがドレスの仕上げをすることができませんよ」
「……そうきましたか」
そうきた?
殿下は何がどう来るものだとお考えになっていたのだろうか?
顔色を窺うにもいつもの笑顔のためその真意がわからない。しかもまだステップは終わらない。ゆっくりと足を止めようとすると、殿下の顔が近づいてくる。耳元に、吐息がかかる。
「ゾマーを侮蔑する顔も素敵でしたよ」
「……へ?」
一瞬、殿下が何を仰っているのか理解できなかった。
ゾマー侯爵を睨んでいた時のことだというのはわかった。すぐに抑えたつもりだったけど、殿下に見られていたなんて。
しかしそれが素敵というのは……聞き間違いですよね。
「すみません、もう一度仰っていただけますか?」
「ゾマーを侮蔑する顔も素敵でしたよ」
「……へ?」
なんてことでしょう。
聞き間違いじゃなかった……。
殿下が仰るなんて夢にも思わない言葉だ。開いた口が塞がらない。
一体全体、どういうことなのだろうか。何も思い当たらない。
「その顔が見たかったんですよ。ごちそうさまでした」
「え? ごち……顔?」
姿見に目を向けてみたが、実にひどい顔が映っていた。すっかり取り乱してしまっている自分がこちらを見つめている。プロフェッショナルとしてあるまじき姿を
この顔を見たいだなんて……殿下、私がどんな恨みを買ったというのですか?
殿下は私の手を取ると、膝まづいて手の甲に唇を寄せられた。
「夜会が楽しみですね」
「え、ええ……」
顔を上げられた殿下はそう仰って部屋を後にした。
彼が居なくなってもなお、私は状況が呑み込めていない。今日の殿下は様子がおかしかった。いつもの笑顔で、私の取り乱すようなことばかり仰った。
先ほども……視線がかち合ったその一瞬に、蒼い瞳の中に黒い影が見えたのは気のせいだろうか。
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