信じる想い

「気に病むなと言っても安直だな。だが、その気持ちは忘れない方が良い」


「えぇ?」




 ルーにはその意図が分からず、ウィーダルに目線を向ける。




「その想いを忘れてしまえば君は彼女の想いを忘れてしまうかも知れない。そうなれば、善悪の実の影響を受けるやも知れん。だから、その感情とは上手く付き合っていく事だ」




 ルーにはそう言った人間の心の機敏さが分からなかった。

 天の国とは悲しみも嘆きも労苦もない。

 辛い記憶は持たない方が良いと天使達は考えてしまう為、ウィーダルの人間らしい考え方が分からなかった。

 ただ、それが前向きな考えである事は理解出来た。

 天の国でも前向きである事は良い事である事は教えとしてある。




「あなたがそう言うなら、そうします」




 ルーは不承不承ではあったが、前向きに考える事にした。




「そのうち分かるさ、そのうちな」




 ウィーダルもルーの機敏な心を感じ、アドバイスするように諭し、頭を撫でた。

 頭を撫でられる経験などされた事が無かった。

 神は優しい声をかけたり、思いやりのある言葉をかけたりするが、この手の事はされた事がない。

 ルーはこの手の事は慣れず、顔を赤くする。




「ところで君はなんともないのか?」




 一瞬、ルーはなんのことは分からず「えぇ?」と思わず、聞き返した。




「善悪の実の影響だ。君はなんともないのか?例えば、誰かに対して不平不満を抱いたとか、何か違和感を覚えたりとかは?」


「不平不満と言うモノはわたしには分かりませんが、違和感は特にありません」




 天使は基本的に人間と違い不平不満を言わないと言うより天の国ではそんな概念がないのでイメージが湧かないと言うのが正しい。

 もしかしたら、ルーの場合は不平不満を抱いているが、その感情が理解出来ていないだけかもしれない。

 この世界に来た天使達の多くは人間の不平不満を述べる言葉の汚さに憐憫な眼差しを向ける程度の認識しかない。


 天使基準では不平不満さえ言わなければ、争いを生まないのに何故、人間が不平不満を述べるのかよく分からない。

 ルーにとって自分が不平不満を抱いているかと問われても分からないのだ。




「ウィーダルさん。つまり、彼等は今、不平不満と言うモノを抱いているのですか?」




 ルーは悲しいのか潤んだ瞳でウィーダルに問いかける。

 自分の事のようにそれが不安で早く知りたいと焦りを見せる。

 ウィーダルは自分の左腕に埋まった弾丸を痛々しそうに取り出しながら答えた。




「恐らくな……どう言う理由で善悪の実を得る事を同意したか分からないが、その影響で彼等は誰かに不平不満を抱いている」


「誰かって誰ですか?」


「さぁな……ただ、予測は出来ないが、予想は出来る。この場合、我々にとって最悪な状態になり天使に不平不満をぶつけられ、一番不利になる人物だろう」




 ルーは目を見開き、食い入るように体を前のめりにしてウィーダルに迫る。




「まさか……」


「恐らく、君は彼女に不平不満を抱かなかったのだろうが、他の天使はそうではなかった。だからこそ、善悪の実を受け入れたのかも知れないな」




 すると、外から足音が聞こえて来た。

 複数の足音が戦慄を奏で扉の前に集まる。

 2人の額から冷たい汗が流れる。




「どうやら、来てしまったようだな」


「えぇ」




 ウィーダルは表情こそ、いつもの太々しい態度だったが、心胆で焦りを見せていた。

 退路は断たれ、目の前には複数の敵となった味方……これがアリシアなら不利だとしてもこの状況を覆すだろうが、ウィーダルもルーも彼女のような鋼の戦士ではない。

 彼女のような強い心も鋼の肉体もない。

 だが、彼女から教わった事ならある……「やれば、できる」だ。

 だからこそ、彼等は最後まで諦めはしない。

 彼女がそのように希望を掴んで来たなら自分達もそのように希望を掴む。

 それがネクシレイターと言う者だ。




 ◇◇◇




 同時刻 シオン戦艦




 吉火、メラグ、オリジンもまた複数の天使に追い詰められ、部屋にバリケード設置して立て籠っていた。




「まさか、こんな落とし穴があったとは!」




 吉火は今の憮然とした状態を打破できない自分に歯軋りする。

 アリシアに大役を任させ、シオン戦艦の護衛に従事していたにも関わらず、敵に策に嵌った事が歯痒い。

 外からの増援も期待できない。

 外に待機させていたシドやリリー、ブリュンヒルデ達は同じく配備した天使達の反乱に対処してこちらへの救援に来る暇すらない。

 GG隊の構成員の殆どである天使達の反乱は流石に想定していなかった事だ。

 何せ、天使が神を裏切る可能性等、人間の裏切りと比べれば、岩と砂粒ほどの差がある。

 普通はそんな事を予測すら必要ない……ただの杞憂で終わる話だ。




「お姉ちゃん。大丈夫かな?」




 オリジンは自分の姉が気がかりだった。

 ウリエル・フテラも今はジャミングが酷く分からないが、最後のテレパシーからして恐らく、同じ目に会っている。

 そうなるとアリシアは完全に孤立無援の状態で戦いを強いられている。

 GG隊は多々でさえ味方は少ない。

 元々、多くなる事も期待していない。

 多くも必要とはしなかったが、今となっては少しでも味方が欲しいところだ。

 幸い、間藤・ミダレが仲間に加わったが、それでも今の状況を考えると心細い。




「主は負けないさ。それは君が知っているだろう?」




 メラグは一抹の不安を抱くオリジンを諭す。

 気休めなどではなくアリシアは強いとメラグは知っている。

 アリシアが今までどんな戦いをして来たのかメラグは知っている。

 とてもではないが、自分には耐えられないような戦い、それも神だからと言う言い訳出来ないほど過酷な戦いに身を置いていた事を彼女は知っている。


 神であってもアリシアは大規模な神術を使う時以外は肉体を纏い、その制約がある為、人と同じように疲れる事もある。

 アリシアはただ、己の強い意志で押し退け、地獄で戦ってきたのだ。


 だから、神だから完全無敵で何があっても平気と言うのは大きな間違えだ。

 肉体を纏っている以上、人間と基本は変わらない。

 唯一差があるのは物事に対する覚悟の差があるだけだ。

 人間に神に比類する意志があれば、地獄を耐える事は可能だ。

 だが、人間である事に拘る者はその域に達する事は出来ない。


 アリシアの強さとは、それ程の高次の物なのだ。

 だからこそ、メラグはアリシアが負けるとは、思っていない。

 ただ、不安ではある。

 神とは言え、天の世界で言えば、アリシアは自分の妹のような存在だ。

 年齢的な意味合いで言えば、自分よりも子供であり、そんな子供に重い使命を押し付けているのは正直、心苦しい。


 罪人でもない彼女が自らを罪人のように振る舞い、自分の身を地獄で削っていく様は何度も心を打たれ、痛痛しかった。

 だが、それも全ては民を生かす為に必要な事であり、長時間の地獄での活動はアリシアくらいにしかできない。

 だが、彼女は地獄から帰ってくる度に悲観な顔を見せる事無く。

 いつも、「今日も誰かを救えたかな?」と笑っていた。


 あの笑みはメラグの脳裏に焼き付いている。

 彼女は一度として地獄に赴く自分の事を不幸とは思わなかった。

 民を生かす為なら彼女は自分を犠牲にする事は厭わない。

 そんな強さをメラグは彼女から学び、よく知っている。

 だからこそ、今できる全力でこの状況を切り抜けねばならない。

 少なくとも彼女は諦めないのだから……。


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