第46話 納屋の二人(★)
ベイクウィッドの邸を辞した後、当初の予定通り隊を進め、日が僅かに傾きつつある時刻に、目的の邸を見つけることができた。しかし、
「ギル様、どうも様子がおかしいですね。人が住んでいるような気配がありません」
「なんだと? まさかベイクウィッドが報せたのか?」
手入れが行き届いていない生垣の隙間から邸を窺ってみたものの、使用人の一人も目にすることはなく、窓越しにも人影は見つけられない。
ならばとダヴィデが代表してドアをノックしてみたが、やはり誰も出てはこなかった。
「それは不可能でしょう。ベイクウィッド子爵があのあとすぐに目を覚ましてここへ遣いを出したとしても、我々より先に到着し、更にはジョルジュたちが全員で邸を出るのは無理でしょう」
「だな。ではいつここを引き払ったのか…」
顎に拳を当てて考え込むギルバートに、ダヴィデが部下から上がった報告を伝えに来た。
「どうやら二、三日前に、たまたまここを出て行ったようです」
暫くこの邸に生活用品や食料を配達していた商店は、一様に肩を落としていると言っていたらしい。
「クソっ! 一足遅かったか!」
ギリリと歯ぎしりをして悔しがるギルバートに代わり、グイードが行き先について訊ねた。
「いえ、それはわからなかったようです」
「ですよね…」
「ですが代わりにちょっと気になる話がありまして」
聞けば、ジョルジュが邸を出て行った同日、夜半過ぎにこの近くに住む農夫の家を二人連れの男女が訪れたという。
「男は病気なのか酷くグッタリとした状態で、女はこの邸のメイドが着ていたお仕着せの格好だったそうです。男を休ませてほしいと懇願してきたとかで、今もその農夫の家で世話になっているようです」
「…その二人、フィンの件に関係していると思うか?」
「わかりませんが、話を聞いてみれば何か手懸かりがあるかもしれません」
思案した結果、とりあえず邸の庭に陣営を張り、ギルバートとグイード、ダヴィデを含む数人の護衛は、僅かな手掛かりを求めてその農夫の家を訪ねることにした。
情報を得てきた兵士の案内で小川に沿って下り、畑に囲まれた細い農道の先に、煙突からうっすらと煙が立ち上る、小さく粗末な家が見えてきた。
長く旅をしてきたギルバートだからわかる。ごく一般的な平民の…農夫の家なら、これでも十分に広い方だと。しかも住居とは別に農具を仕舞う納屋があるところから、この家はやや裕福な方かもしれない。
玄関先に立ったギルバートたちは、迷うことなくドアをノックした。
「もし? どなたか居られませんか」
ドア越しにグイードが声を掛けると、中からは
「はいはい。どなたかな?」
ややして開いたドアの向こうから、腰の曲がった痩せた老翁がこちらを見上げており、首を傾げて要件を訊ねてきた。
「なにかご用かのう? 今息子は町に行っておって留守なんじゃが…」
「いえ、私たちは旅のものなのですが、あなたに少々お聞きしたいことがありまして」
「ワシにかい?」
見るからに身分の高い、きちっとした旅装姿のグイードにそう言われ、老人はキョトンと目を丸くした。
「ええ。先ほどムットで聞いてきたのですが、今こちらには男女二人が泊めてもらっているそうですね」
自分にではなく、助けた男女に用があると告げられた老人は警戒したらしく、人の好さそうな柔和な表情を険しいものに替え、じろりとグイードを、その後ろに続くギルバートやダヴィデを睨んだ。
「彼らになんの用じゃ? 事と次第によっては憲兵を呼ぶぞ」
老人は曲がっていた腰をシャキリと伸ばすと、近くに立て掛けてあった杖に手を伸ばした。
「いえ、落ち着いてください。その方々になにかする気はありません。ただ誘拐された彼の従妹を捜していまして、もしかしたらこちらにご厄介になっている二人は、行き先に心当たりがあるかもしれないのです」
「頼む、じいさん! 時間がないんだ。二人に会わせてくれ!」
とうとう黙っていられなくなったギルバートが、グイードを押し退けて老人に詰め寄ると、その鬼気迫った表情にグイードの言葉が真実なのだと悟った老人は、僅かに逡巡した後に、諦めたように嘆息した。
「…わかったよ。彼らは納屋にいる。案内するからついてこい」
「っ、ありがとう。頼む」
手にした杖をつきながら、ゆっくりした足取りで外に出てきた老人の後ろをついて行く。老人は古い納屋のドアをコツコツとノックしたあと、建付けの悪い引き戸を慣れた手つきで開けた。
「ニックさん、どうなさったのですか?」
納屋の中から聞こえてきた女性の声に、ニックと呼ばれた老人は、後ろにいるギルバートたちを一度振り返り、客が来ていると告げた。
「お前さんらに聞きたいことがあるそうでの」
「え、客…」
女性が動揺したのがわかったが、ニックが脇によけて場所を譲ってくれたので、ギルバートは納屋の中へ踏み入った。
中は薄暗く農具が所狭しと置かれていたが、強張った面持ちでこちらを見ている黒いワンピースを纏った中年女性が片付けたのか、一人が寝られるくらいのスペースが確保され、筵や藁束を重ねた上に細身の男が横たわっていた。
ギルバートの視線が男に向けられたのを察知したようで、女性はそれを遮るように体を割り込ませた。
「どなたですか? 私たちになんのご用でしょうか?」
ピンと背筋を伸ばした姿勢で用向きを訊ねる女性に、ギルバートは礼儀を以て対応した。
「私はギルバート・ノクター・ザイザル。突然訪問し、恐怖を与えてしまって悪いが、緊急を要する故ゆるしてほしい」
「なんと…!」
「ザイザルって…まさか」
国の名を背負う青年が誰なのかがわかり、ニックと女性は驚愕し目を瞠った。
慌てて頭を下げて腰を折る二人に畏まらずによいと告げると、ギルバートは女性に問いかけた。
「あなたの名は? ムットの外れにある、ベイクウィッドの別邸で働いてはいなかったか?」
「え? あ、はい。私はナタリアと申します。雇用主の不興を買って先日解雇されましたが、それまでは殿下が仰ったお邸で、メイドとして勤めておりました」
「解雇? その後ろの男もか?」
ナタリアの後ろを覗き込み、男も同じ理由でここにいるのかと訊くと、彼女は一度男を見下ろし、弱々しく頭を振った。
「坊ちゃ…いえ、この方は私とは関係ございません。たまたま邸の外に倒れていたのを見つけて放っておけず、こちらのニックさんに助けを求めたのでございます」
「今よりももっと具合が悪そうだったしのぅ」
正直言えば、厄介ごとに巻き込まれたくないニック親子は、二人に手を貸すつもりはなかったという。だがあまり必死さに負け、納屋を貸すだけならと答えたそうだ。
ナタリアがなにかを言い直したのが気になったが、フィンの手掛かりが優先と思い、ギルバートはあえて追及しなかった。
「解雇されたとはいえあの邸で働いていたのならわかるだろう。邸を借りていた人物は、ケーマス子爵で間違いないだろうか?」
「! ……はい、間違いございません」
「そうか。では一番重要なことなのだが、あの邸にはフィンという名の少女が捕らえられていたはずなのだが、何か知らないか?」
「っ!」
ひゅっと息を吸い込む音が聞こえ、ナタリアは両手をきつく握り締めた。
「どうだろうか? ずっと幼い頃に攫われた私の従妹なんだ」
「従妹…、あの子がギルバート殿下の…」
愕然と呟くナタリアを見つめていると、意外なところから答えが返ってきた。
「フィン、が…どうしたって…?」
声の主は筵に横たわっていた男。彼はふらつきながらも体を起こし、鋭い眼差しでギルバートを射抜いた。
「おい、アンタ。今、フィンがどうのって言ってなかったか?」
ゼイゼイと苦しそうに息をする男は、壁に手をついて体を支え、なんとか立ち上がった。
「お前は?」
「オレのことなんか…どうでも、いい。フィンは? アイツは…連れて行かれちまったのか?」
「連れて行かれた? どこに?」
男の質問に質問で返すと、彼はギルバートたちを無視して歩き出した。
「動いてはいけません、リチャード坊ちゃま! お体に障ります!」
慌てたナタリアが男を支えようと腕を伸ばしたが、男はそれを振り払った。
「はあ? アンタ誰だ?」
訝し気に睨まれたナタリアは少し怯みはしたものの、グッと覚悟した顔つきになると、男に向かって頭を下げた。
「ご無沙汰しております。…と言っても覚えてはおられないでしょうね」
「…?」
どこか寂しそうな微笑を浮かべたナタリアは、眉を顰めて自分を見る男から顔を逸らし、再びギルバートへ向き直った。
「ギルバート殿下。従妹様の捕らわれている場所に心当たりがございます。私の願いを一つ叶えてくださるのなら、殿下が知りたいことで私が知ることなら、すべてお話いたします」
「…願いとは?」
些か警戒しつつ訊ねると、彼女は男を振り返り、そしてこう答えた。
「ポーションを。彼の怪我を完治させることができる、上級ポーションを頂きとうございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます