第19話  推測

「え?」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 ポカンと目を丸くしてアマンダを見つめると、彼女はもう一度ゆっくりと同じ言葉を告げた。


「あなたを、養女に、お望みなのだそうです」


 それを聞いた瞬間、弾かれたようにコリンナを振り返る。すると彼女は辛そうに顔を顰め、フィンから目を逸らした。

 どういうことだろうか? フィンは以前、成人後にジューンの弟子になる約束をした時、ちゃんとコリンナにもその話をした。彼女はとても嬉しそうに『よかったわね』と言ってくれたのに、突然の話に思考がついて行かない。


「なんで…わたし?」


 困惑して再びアマンダを見上げると、彼女は心底楽しげに唇を歪めた。


「あら、嬉しくないの? ジョージ様は貴族なのですよ。あなたは貴族の娘になれるのに、なぜ喜ばないの?」


 フィンの気持ちを知ってる上で言っていることが、手に取るようにわかる。血の気の引いた顔で懸命に首を振り続けるフィンに、アマンダは更に続けた。


「彼は実業家で投資家でもあるのです。トランティオ公爵家をはじめ数多くの名家とも懇意にされているそうですから、大金持ちですよ。美味しい物がたくさん食べられ、キレイなドレスを着せてもらえ、何でも好きなものを買ってらえますよ。良かったわね」


 良かった? そんなことちっとも望んでいないのに?

 フィンは胸元でぎゅっと両手を握り締めると、普段アマンダに抱いている恐怖心もかなぐり捨て、懸命に拒否した。


「いやですっ。わたしはジューンさんの元で薬師になりたいんです! ごちそうもドレスもいりません!」


 ガタリと椅子を倒す勢いで立ち上がり、養女にはならないと拒絶する。いつもとは違う必死な様子でフィンが叫ぶ中、コリンナは苦しそうに固く目を閉じて顔を背けていたが、アマンダはフィンの悲痛な訴えをまるで小鳥の囀りでも聞いているかのように、うっとりとした表情で楽し気に聞き惚れていていた。

 大きな声を出し過ぎてハアハアと息を切らしたフィンに向け、アマンダはわざとらしく芝居がかった仕種で肩を落とした。


「そうですか。ジョージ様の元へ行けば、一生働かずに楽ができるというのに…残念ですね」


 フィンは言葉が届いたと安堵した、が、すぐにそれは覆される。


「ですが、そうなるとこの孤児院は閉鎖でしょうねぇ…」

「え…?」


 アマンダの不穏なセリフに、背筋を冷たい汗が伝った。


「だってそうでしょう? ジョージ様は領主様…フォルトオーナ伯爵様のご友人なのですよ。ここに彼をお連れしたのに、望んだ子供を断られたとなれば、領主様の顔に泥を塗ることになります」

「っ!」


 突きつけられた現実にコリンナを見るが、彼女は相変わらず渋面のまま、固く瞼を閉じている。

 そんなコリンナに反し、楽しくて楽しくて堪らないとばかりに、普段の無表情が嘘のように、頬を上気させた満面の笑みでフィンを更に責める。


「恥をかかされた領主様は、きっととてもお怒りになられるでしょう。補助金もかなり減額…いえ、減額どころか一切頂けなくなるかもしれません。領主様の怒りを買った孤児院に寄付してくださる方もいなくなるでしょうし、あなたたち孤児院の子供に手伝いを頼むこともなくなるでしょう」


 あまりのショックにただ呆然と立ち尽くすフィンへ近づくと、アマンダは顔を寄せて内緒話のように耳元で囁いた。


「あなたの我儘が孤児院を潰すのです。子供たちの居場所を奪い、将来への夢や希望を断つ。…いったい何人の子供が路頭に迷うのかしら?」

「あ…ぁあ…」


 歌うように告げられる言葉は、鋭いナイフのようにフィンの心を傷つける。青褪めた顔でカタカタと小刻みに震えだした少女に、神に仕えるシスターは優しい声でとどめを刺した。


「さあ、フィン。もう一度よく考えて決めなさい。孤児院やみんなを犠牲にしても養女の話を断るのか、それとも自分の夢を諦めてジョージ様の元へ行くのか」


 逆光となったアマンダの表情はよく見えなかったが、暗がりに浮かぶ三日月のように細められた目が、彼女が嗤っていることを知らせていた。

 その彼女の視線を浴びながらフィンは思った。はじめから自分には断るという選択肢は用意されてなかったのだ、と。

 結局最後までコリンナは目を閉じたまま、何も言ってはくれなかった。



 *



「なんてこったい…」


 ジョージの元へ養女に行くしかないみたいだと話した途端、ジューンは愕然とした表情で額に手を当てた。

 そんな彼女の様子にフィンは申し訳ない気持ちになり、俯いて何度も謝った。


「ごめんなさい。だから、弟子になるって約束は守れそうにないんです。…ごめんなさい」

「顔をお上げ。お前さんが謝る必要はないんだよ」


 涙を堪えながら謝り続けるフィンを抱き寄せ、ジューンは慰めるように頭を撫でる。けれどその優しく温かい手のひらが引き金となり、再び少女の頬を涙が伝った。

 ジューンの胸で静かに泣き続けるフィンを、険しい面持ちで見つめていたギルは、少女が落ち着いた頃合いを見計らって口を開いた。


「フィン、もう一度聞かせてほしい。そのジョージという男、トランティオ公爵とも付き合いがあるって言ってたんだな」

「うん。コンイにされてるって…」


 泣きはらした赤い目でギルを見上げるフィンの返答に、彼ばかりかイドまでが渋面を作って嘆息した。

 そんな青年二人の態度に不安になったフィンが自分を抱き寄せている腕をぎゅっと掴むと、ジューンが眉を顰めて彼らに訊ねた。


「なんだい? 公爵がなんか関係しているってのかい?」

「多分な。推測だが、最終的なフィンの引き取られ先はジョージとかいう男の所ではないと思う」


 ギルは苦虫を嚙み潰したような顔でそう告げた。





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