第162話 褒めてあげよう 中編

 あれから何度もヴィクトリアと戦ったが、僕は勝てないどころか、この特別訓練の目的である同化による特異体の能力の使用さえできなかった。

 回避しようとするたびに狙ったように頭めがけてハンマーが飛んできて、容赦なく僕の意識を刈り取っていった。そしてヴィクトリアによって水をぶっかけられて目を覚ます、これの繰り返しだ。気絶しては息苦しさから目を覚まし、モーニングコールならぬモーニングキックを顔面に受けるのはもうこりごりだった。

「ヴィクトリア、お願いですから、これ以上僕の脳細胞を殺さないでくださいよ。ただでさえ賢くないのに、脳細胞が減ったらそれが悪化するじゃないですか」

 僕はクレイモアを地面に突き立てて杖のようにすると、もたれるように体重をかけた。

「……そんなの……回避……できないのが……悪い……」

「そんなこと言われたって、僕の動体視力はこれが限界なんですって!」

「……知らない……とにかく……この程度も……避けられなかったら……中層以降の……セフィラ……には……勝てない……それに……」

 ヴィクトリアが言葉を区切り、姿勢を低くしたかと思えば、姿を消した。

「…………妹を……助けられ……ない……」

 次の瞬間には、僕は地面に倒れ込んでいた。しかし今回はハンマーで殴られたわけではなく、手刀が首に叩き込まれただけのようで、僅かな時間、視界が暗くなるだけで済んだ。

「……起きて……」

 覚醒した直後に耳に入ったヴィクトリアの声に、僕はすぐさま横に転がってその場を離れた。すると倒れていた僕の頭があったところにハンマーが叩きつけられており、地面が凹み、放射状の亀裂が入っていた。

「……集中……して……」

 地面に埋まりかけたハンマーを引き抜くと、振り子のように左右に大きく動きながら接近してきて、上段に──頭めがけて薙ぎ払った。それを上体を後ろに反らして回避すると、ヴィクトリアは踏み込んだ足を軸に体を捻り、ハンマーに遠心力を乗せて、中段を薙ぎ払った。回避しづらい高さかつ受け流すには威力が高すぎるそれはまさに凶悪な一撃だった。

 僕は上体を後ろに反らしているのもあり、そのまま地面を蹴って宙返りをしてヴィクトリアと距離を置いた。

 僕が着地するや否やヴィクトリアは地面を蹴って吹っ飛ぶように間合いを詰めてきて、さらに攻撃をしてきた。先ほどと同様に上段、軸足で捻って中段、回転しながら距離を詰めて下から上に打ち上げるようにしてさらに回転。

「……回転……すれば……するほど……威力が……増す……」

 逃げてもこの空間のどこまでも追いかけてくるし、受け流そうとしても無傷のままクレイモア一本で対処するには、いささか経験が足りないせいでできそうにない。

 僕は人よりも体力はあるはずだし、体力の消耗を抑えるように最小限の回避行動しかとっていないのにもかかわらず、いつのまにか肩で息をしていた。しかしそのような僕とは対照的にヴィクトリアはまだまだ余裕といった様子で、跳躍を混ぜながら回転して僕を捕らえようとハンマーを振るった。

 ──逃げてばかりではダメだ。なんとかしてこの状況を打開しないと……!

 息も絶え絶えに全力で逃げ続けた結果、そろそろ限界を迎えていた。どれだけ肺を広げて目一杯空気を吸い込んでも足りない。視界が頻繁に黒く染まり、ヴィクトリアの動きを捕捉するのを妨害してきた。

 ──次はそっちか。

 上体を反らしてハンマーを回避する。ハンマーから生えている手の指先が顎を掠めた。それから即座に上体を起こして地面を強く蹴ると、横に転がって距離を置いた。

 僕はヴィクトリアの足を見続けた。身体能力がいくら高くとも重力に囚われている限り、取ることができる行動はある程度決まっている。だから想定外の対処という難度の高い行為をする必要がないという点では簡単だった。

 ──まだ……まだ……まだ……なんとかなる……。

 視界が暗くなる頻度が増えていく。いくら集中して目を凝らしていてもそれは防ぎようがなかった。

 視界が薙ぎ倒されたように動く。

 ──しまった……!

 足首が許容以上の角度に曲がり、筋が突っ張った。それでバランスを崩し、次の一歩を出そうにも、できなかった。手は縋るように空中を掴み、虚しく僕は地面に倒れ込んだ。

 肺に穴が空いたようにヒューヒューと言わんばわかりに吸っても吸っても酸素が供給されない。目の前が暗くなる間隔がさらに狭くなり、とうとう明るい時間のほうが短くなってきた。

 そこへヴィクトリアのハンマーがトドメのように振り下ろされる。

 コマ送りのように視界が変化していく。

 ──逃げろ、早く起きて、この場を離れて……。

 ハンマーはどんどん近づいてくる。

 ──ああ、ダメだ、避けられない……。

 自分の治癒能力とヴィクトリアの手加減を信じて僕は目を閉じた。

 いつまで経っても痛みは来ないし、窒息感もない。だから僕は恐る恐る目を開けた。

「──! これが──」

 ナスチャと同様に、自分の腹部にある青色の痣のようなところから巨人のように大きな手が生み出されていた。

「──特異体の能力!」

 直撃寸前のところで大きな手はハンマーを押さえていた。包み込むようにしてヴィクトリアに抗っている。

 ハンマーから生えている手足は特異体の手を解こうともがき、爪を立てて引っ掻いているが、手はうんともすんとも言わないように、微動だにしなかった。

「……やっぱり……ヴァイオレットの……言っていた……通り……だった……」

 ハンマーが地面に叩きつけられる。

 ヴィクトリアの目を覆うように長い前髪の隙間から、温かな視線が見られた。

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