第89話 死なせないように殺せ

 首が切断された。視界がなぎ倒されたように動く。頭はそれが持つ質量によって首から滑り落ちて地面へと転がる。一拍置いて膝から崩れ落ち、うつ伏せで倒れた。

 意識はなかなかなくならない。

 遠くから人の声と銃声が聞こえる。それがどこか別の世界で起きているように思えた。自分が涅槃に踏み込もうとしているせいだと気づくのにそれほど時間はかからなかった。

 当然ながら声帯も切られており、声を出すことはできない。頭から下がないから動けと脳が指令を出しても動くことができない。モニカはただぼんやりと夜空を眺めるだけだった。

 今さら足掻くつもりなど微塵もなかった。中世にあったギロチンで処刑された人の気持ちを味わいながらモニカはゆっくりと目を閉じる。

 出血量が多いのに加えて脳に酸素が送られないから臨終は近かった。

 視界は真っ暗になり、意識がなくなる。折られた腕の痛みも和らいだ。


「──ナスチャ、やるよ!」

 モニカは勢いよくサーベルを振り下ろす。執拗にヴェロニカの首を狙っている。

 よく研がれた刃が当たればタダでは済まない。それはモニカ自身がよく理解していた。しかし今はそれを使ってヴェロニカを殺そうとしている。

「当たってもぼくが治してあげるからどんどん突っ込んで!」

 ナスチャが声を荒げて言った。

「分かってる!」

 モニカはタップダンスを踊るように走り、ヴェロニカとの距離を詰めた。足が着地するたびに拳銃で狙われては撃たれるのだ。だからこのようなけったいな走り方をしなければならない。

 鼓膜を引き裂くような発砲音や屋根に着弾して跳ねる弾丸の金属音が辺りを満たし、硝煙の臭いが漂う。

 拳銃の間合いからサーベルの間合いへと距離を詰めたモニカがサーベルを振るう。ヴェロニカがそれを拳銃で受けた。金属が衝突する音と共に閃光を発した。

「ナスチャ、どうやったら支配から逃れられるの?」

 ヴェロニカに発砲させる猶予を与えないようにとモニカは距離を詰めたままサーベルを振り回している。しかし疲労から呼吸は荒く、動きが徐々に鈍くなっている。

「一回殺してみたらいいんじゃない? どうせ頭が落ちてもぼくがくっつけてあげるからさ。ほら、頑張りなよ」

 ナスチャは飄々とした態度で言ってみせた。

「──それしかないならやるよ!」

 操られているとはいえ一応生きている人間を殺さなければならないのはモニカにとっては苦痛以外のなにものでもなかった。

「頑張れ頑張れ」

 モニカの後方でぐるぐると回りながら応援とは名ばかりの煽りをするナスチャに対して、

「ナスチャ、ちょっと黙ってて」

 とモニカはぴしゃりと言った。すると今度は後方でナスチャは頬を膨らませながらバタバタと荒ぶり始めた。それに気がついているもののモニカは見なかったことにしてヴェロニカと対峙した。

「ヴェロニカ、首を切るとちょっと痛むかもしれないけれど、頑張って耐えて」

 剣先をヴェロニカに向けてモニカは凄んだ。

「…………」

 ヴェロニカは虚ろな瞳をモニカに向けるだけでなにも答えない。関節のいたるところから出血させ、骨も少なからず折れているヴェロニカにそのような余裕はなかった。

「……ごめんね」

 そう消え入るような声で言ったモニカは小さく息を吐いて踏み込んだ。疲労が蓄積しているとは思えないほどの速度でサーベルを振った。刃は砂漠の夜の冷えた空気を両断し、ヴェロニカの首へと収束するように進む。

 咄嗟にヴェロニカが前腕で首を守る。モニカの顔が凍りついた。しかし薙ぎ払ったサーベルを止めることはせずにそのまま腕ごとヴェロニカの首を切断した。

 ヴェロニカの頭部が宙を舞う。虚ろな双眸がモニカを見据えている。しかし表情は柔和なもので、黒い感情は一切滲み出ていなかった。

 音を立てて生首と前腕がモニカの足元に転がった。一拍置いて両腕と頭部を失ったヴェロニカの体が膝から崩れ落ちた。

 切断面から鮮血がゴポゴポと溢れ出している。それはすぐに血溜まりになるほどの量に達した。早く処置しなければすぐに死に至るだろう。

「ナスチャ!」

 モニカは後方で荒ぶっているナスチャを一瞥して呼ぶと、すぐに生首と前腕を持ってそれぞれの切断面に宛てがった。

「分かってるよ。治してあげるから押さえておいて」

 荒ぶるのをやめたナスチャはひょこひょことモニカのほうへ跳ねていく。

「早く!」

 モニカは声を荒げてナスチャを急かす。モニカの顔からは血の気が引いており、手が震えている。

「分かってる、分かってるから、そう急かさないでよ」

 ナスチャはため息をついてヴェロニカの首をつつき始めた。するとみるみるうちに両断された傷が修復されていく。

「……本当、不思議な能力だね、それ」

 モニカが悍ましいものを見るような視線をナスチャに向ける。

「感謝してよ。ぼくがいなかったら君は殺人犯になるし、そもそももう既に死んでるんだから。だから感謝して。いいね? でないともう一回ヴェロニカを殺すから」

 ナスチャはぷりぷりと怒りながら言った。

 最後の腕を接続し終えるとモニカは、

「それは重々承知しているよ、ナスチャ。ありがとう」

 と言って微笑んでナスチャの頭を撫でた。

「ふん。分かればいいんだよ、分かれば」

 ナスチャが撫でられて得意げに笑っていると、ヴェロニカがゆっくりと上体を起こした。そして額を押さえて唸っている。

「起きた! よかったぁ、ヴェロニカが生き返って」

 モニカがヴェロニカに抱きついた。ヴェロニカは鬱陶しそうにそれを払って立ち上がり、

「……ごめん、迷惑かけて。早くあのセフィラを倒そう」

 と怒気を含んだ声で言うと、近くに転がっていた拳銃を手にした。

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