第23話 救われない愚者 後編

 一足先にクラブを出てナスチャを頭に乗せて三番通りを歩いていると、エラーが遅れてやってきた。

「そこを曲がって裏通りに入ってください」

 エラーは顔を洗ったようで血液の汚れは無くなっていた。だからこそ殴られた鼻や頬が腫れ上がっているのが目立つ。

「了解。一つ言っておくが、適当な道を案内して、袋小路に連れて行ってさっきの仕返しする──なんて馬鹿なことを考えるなよ」

 僕は振り返らずに背中にあるクレイモアに手をかける。

「もちろん分かっています。神に誓ってそのようなことはしません。自分はあなたに懸けているんですよ。あなたなら、もしかしたらあの方に勝てるかもしれないって。──あ、そこを真っ直ぐ行ってください」

 エラーは恐怖に顔を歪ませ、震える声で言った。

 住人でなければ迷子になってしまいそうな、迷路のように入り組んだ通りを進む。この任務が終わって無事に戻れるのか心配になってきた。

 ここは三番通りとは比べ物にならないほど静かだった。僅かに聞こえるのは、道端で倒れている人間の唸り声だけだ。

 しばらく歩き、僕は扉の前で立ち止まった。クレイモアを握りしめて神経を集中させる。

「着きました──って知ってるんですか?」

 エラーは目を丸くして言った。

「……臭いで分かる。血と死の嫌な臭いが混じっているからな。僕はこの臭いを嗅ぎ慣れている。間違うことはないよ」

 鼻腔を刺激する不快な臭い。またしてもこの街で嗅ぐことになるとは思わなかった。──嫌な記憶を思い出す。

「あなたは一体、何者なんですか?」

「僕は吸血鬼を殺すための組織の人間だ。それは慈善団体でもなければ、営利団体でも、政府の秘密組織でもない。吸血鬼がいたら殺す、それだけだ」

 そう答えた僕に、エラーは怯えた。一瞬の間を置いて僕はその理由に気づいた。クレイモアを握る手に力が入っていた。筋肉が小刻みに震える。

「早く任務を遂行しよう」

 僕が扉を開けようとすると、

「待ってください! それは自分が開けますから」

 と手首を掴んで止めた。僕はとっさにそれを振り払った。

「──合図はなんだ? そこの壁に打ってみろ」

 そう言ってエラーの首に剣先を宛てがい、いつでも首を刎ねられるように準備した。出血しない程度に表面を切る。

 エラーは壁の二回、三回、二回──とノックした。

「間違いないな?」

 僕はその通りにノックすると同時に、エラーを自分の盾になるように抱き寄せた。刹那──銃弾が扉を貫通してエラーの体に突き刺さる。

 計五発のハンドガンの弾が体に刺さる。それらはエラーの体を貫通することなく、体内で止まった。

「やっぱそうなるよね……」

 呆れた表情でナスチャが言う。

「さて、突撃するか」

 僕はエラーを盾にしたまま扉を開けて部屋に乗り込んだ。

 屋内は照明を落としているせいで暗くなっているが、僕は夜目が利くので問題はない。──人間が二人、武器は拳銃だ。

 続けて数発の発砲音が静かな空間に響く。全弾が吸い込まれるようにエラーの体に当たり、洋服に血が滲む。

 僕はエラーを前方に押し出すように投げて、暗闇に紛れているつもりの人間の片方と距離を詰め、腕を掴んだ。そして手首を捻って拳銃を落とさせた。床に音を立てて転がる。

 もう一人が音がした方に射撃した。弾切れを起こすまで撃つが、それらは一発たりとも僕には当たらない。

 僕の盾としての役割を全うした死体をその辺に転がし、もう一人との間合いを詰める。相手はトリガーを引くがカチカチという音が虚しく鳴るだけだ。僕は腰を捻って勢いと体重を乗せた拳を顔面に入れた。

 殴られて大きく仰け反ったところを追撃した。右足を軸にして体を回転させ、左の踵を落とす。当然避けられずに眼窩に直撃した。そのまま受け身も取れずに床に仰向けで転がった。

 僕はすぐさまクレイモアを右の手のひらに突き刺し、床と縫い付けるとその男性は叫び声をあげた。指先がビクビクと痙攣している。

「吸血鬼はどこだ?」

 この空間からは血と硝煙の臭いこそすれ、吸血鬼特有の嫌な臭いはしない。近いのは分かるが、ここではない。

 男性は顔に絶望の色を滲ませ、

「……知らない」

 と震えた声で答えた。

「もう一度訊くぞ。吸血鬼はどこだ?」

 僕は氷のように冷たい声で訊ねる。

 視線を逸らして首を小さく横に振った。やはり答えてはくれないようなので僕は肋骨を折るつもりで男性の脇腹を蹴り飛ばした。体が跳ねる。

「知らないのか?」

 男性の瞳には僕以上の恐怖が映っていた。多分この人は僕がどれだけ痛いことをしても答えることはないだろう。

 僕は大きなため息をついて、顔面を踏みつけた。先ほど蹴った眼窩を執拗にグリグリと体重をかけて踏んでいると、左手が僕の足を払おうと動く。それをポーチに入っているナイフを取り出すと投擲した。

 左手を貫通して床に刺さる。

 男性は痛みから叫ぶが、僕はその音を右から左に聞き捨てた。変わらず顔を踏み続けて、

「早く答えたほうがいいと思うんだがな……」

 と言ってため息をついた。

 男性は苦痛に喘ぎながらも口を割ることはなかった。ならば──。

「お前は誰を人質に取られている? 娘か? 息子か? 配偶者か?」

「……誰も人質に取られてはいない」

「──そうか。じゃあお前は札束で頬を叩かれたんだな?」

 この世界で人を動かす方法は二つある。一つは抵抗できないほどの暴力。もう一つは圧倒的な金だ。どちらかを用いればできないことは何もないと言っても過言ではないだろう。

 男性は小さく頷いた。

「いくらで買われた?」

「……最低でも五十年は一通りの延命措置を施せるぐらいだ」

「誰を延命させているんだ?」

 ──延命なんて行為は無意味だ。人はいつか必ず死ぬ。それを意図的に遅れさせるというのは生命に対する冒涜に思える。

「……妹だ」

 一瞬、男性の瞳に恐れが消え、悲しみが現れた。

「──分かった。僕が所属する組織がそれ以上の金を出すから寝返れ」

 当然ながら払うつもりは毛頭ない。そもそも僕にそのような権限は持たされていないし、僕に金があったとしてもこの男性に使うことは絶対にしないだろう。

「……そんな保証のないものに乗れるわけないだろう。大体、お前はどこの誰なんだ?」

「僕はレジスタンスという吸血鬼を殲滅するための組織の隊員だ。金は払う。ついでにお前の命を守ってやる。どうだ? 悪くないだろう?」

 一呼吸置いて、右手に刺さっているクレイモアを引き抜き、首に宛てがった。少し力を入れて横に動かせば簡単に両断できる状態にして、

「──受け入れろ。でないとお前をここで殺す。そして延命装置に繋がれた妹も必ず探し出して殺す。僕はこれまでに三人の人間を三途の川の対岸へ放り投げてきた。今さら殺しに躊躇などしない」

 と獄卒を演じた。

「……悪魔だな、お前」

 男性は苦虫を噛み潰したように言った。

「交渉成立。さあ、吸血鬼はどこにいるんだ?」

 そう訊ねると、男性は出血している右手で黒いカーペットが敷かれた床を指差した。赤い雫が垂れる。

「……そこのカーペットをめくって、金属のプレートをずらせ」

 僕は言われた通りに動く。すると暗証番号を入力するためのボタンと打たれた数字を表示するスクリーンが出てきた。

「……そこに『六、三、三、一、〇、四』って打て。そうしたら開くから。その先にあの方はいる」

 するとセキュリティが解除され、内部のロックが外れる音がした。床下収納と同じように開け、

「ありがとう」

 と言い残して地下へと降りていった。

 梯子で三メートルほど降りると、そこは細長い通路になっており、突き当たりに一つの扉があった。

 通路の天井に電灯が埋め込まれているが、それは本来の意味をなさないほどわずかな光しか発していない。

 ゆっくりと扉の方へと進んでいく。距離にして約十メートル。現実と乖離したような異様な静寂を保つ空間に、自分の足音が騒音のように響いた。

「ねぇ、セシリア。あんなこと言ってよかったの?」

 頭に乗っているナスチャが口を開いた。

「あんなこと? 脅したことか?」

 そう僕が首を傾げると、

「お金払うって話。別に暴力をチラつかせて言うことを聞かせることなんてよくあるからどうでもいいよ」

 と言った。

「もちろん払うわけないだろう。そもそも僕にそんな金ないし。……任務終わったらアレを解体しといたほうが都合がいいかな?」

「ぼくは知らないよー。行動はきみに任せる。精々、殺人の罪に問われないようにしなよ。面倒だから」

 ナスチャは呆れた顔をしてそっぽを向いた。

「そうだな。まあでも、この街で殺人は日常茶飯事だし、組織の人間でもない限りは報復はないし、警察も来ないよ」

 死体の処理方法を脳内で反芻する。

 奥の扉に近くと嫌な臭いが鼻腔を刺激し、神経が研ぎ澄まされる。

 僕は扉を蹴破って部屋に踏み込んだ。蝶番が破損し、扉が外れて前に音を立てて倒れた。

 その空間は秘密基地のような小さな空間で、ところ狭しと植物が栽培されており、テーブルには空と赤色の液体が入った二種類の注射器が散乱し、棚には色とりどりの怪しげな小瓶が並べられている。

 成人男性の風貌の吸血鬼は奥で椅子に腰掛けて読書に興じており、音を立てて入室した招かれざる客に軽蔑の視線を向けた。

 美しい顔の頬にかかるブロンドの蓬髪を指に巻きつけるようにしていじっている。日焼けしていない白い肌を高級そうなブラウンのコートが包んでいる。

「お前が元凶で間違いないな」

 剣先を向け、語気を強めて言った。

「……あーあ、レジスタンスに目つけられちゃった」

 面倒くさそうに椅子から立ち上がると本を置き、テーブルを飛び越えて一瞬で間合いを詰めた。上背がある割に動きは細やかで、血管の浮いている拳が顔面を捕らえる。

 これまでに戦ってきた吸血鬼とは速度が比べ物にならないくらい早く、回避することができなかった。

 当たるのと同時に後ろに飛んでいたが、それでも威力は強烈だった。顔面に上から当たったせいで後ろへの回転がかかり、体が回る。

 とっさに手をついて後方転回して体勢を整える。

 鼻から生温かいものが垂れた。手で拭うとそれは赤く、生きていることを実感させた。一瞬の間を置いて鼻に鈍い痛みを感じる。

 ナスチャは当たる瞬間にぴょんと頭から飛び降りており、部屋で吸血鬼と対峙している。

 僕はすぐに部屋に戻り、ナスチャと向き合って僕に背を向けていた吸血鬼の頭にクレイモアを振り下ろした。──しかし頭には当たらない。親指と人差し指で挟むようにして止められた。そしてそれを前方に投げる。握ったままの僕は一緒に投げ飛ばされ、ナスチャの上に背中から落ちた。

「ああ、もう! セシリアってば重い! どいてよ! 早くど、い、て! 可愛い体が潰れちゃうじゃん!」

 と下敷きになりながら文句を言った。

「ああ、ごめんな、ナスチャ」

 すかさず吸血鬼は拳を振り下ろす。僕は横に転がって避けたので無事だが、僕の下敷きになっていたナスチャは避け損ねてクレーターのように潰れた。血や臓物が辺りに散らばる。

 しかしすぐにそれは修復され、元の愛らしい鳥の姿に戻った。

 そして治ると同時にナスチャは体に殺気を纏った。このような様子は今までに見たことがない。

「ぼくはそんなんじゃ死なないよ」

 ナスチャの腹部の模様が歪み、剣山のように無数の棘に形成し、吸血鬼の体を貫いた。首から後頭部にかけて刺さっているが、刺さる瞬間に軸をずらし、脳幹の損傷はなかった。それを引き抜かれると同時にナスチャをサッカーボールのように蹴った。

 鳥にしては重たいはずのナスチャは吹っ飛んで小瓶が並ぶ棚に激突した。棚に並べられた薬品の小瓶が割れ、中身がナスチャに降り注ぐ。

「なにこれ! 熱い、熱い、熱い!」

 色々な薬品が混じり、化学反応を起こして熱を発し、煙も出ている。

 辺りに刺激臭が漂う。

「大丈夫か、ナス──」

 吸血鬼の右足が僕のみぞおちを捕らえる。ナスチャと同じように僕も吹っ飛んで、テーブルの上に叩きつけられた。注射器が割れ、中身が服を汚す。

 もがいているナスチャには目もくれず、吸血鬼は僕を仕留めようと飛びかかる。とっさに避けようと体を捻るが、それは叶わなかった。

 手首を押さえつけられ、逃げられない。

 吸血鬼の整った美しい顔が近づく。このようなことをされれば、巷の女性は簡単に落ちてしまうだろう。吸血鬼は舌舐めずりをし、僕の耳元で囁く。

「私はただ人助けをしているだけなのに、なぜレジスタンスはそれを妨害しようとするんだ? ──ああ、分かるよ、分かる。君たちは不幸なんだ。不幸だから幸福な人たちが妬ましい。そういうことだろう?」

 真紅の双眼から深い慈愛の色が見える。吸血鬼特有の人間に対する殺意が全く感じられない。

「さあ、今日は特別サービス。お代は結構。君に最高の幸福を与えてあげよう。嫌なことは全部忘れてしまえばいい」

 吸血鬼は自身の舌を噛み切って血を流した。ちぎれた舌がぼとりと落ち、断面から血液が滴り落ちる。

 僕は必死に逃げようとするが、力が強く、掴まれている手首が外れない。

「ほら、口を開けて、私の血を摂取するんだ。そうすれば君は解放される。この形骸化した世界から逃げられるんだよ。なんて幸福なことだと思わないか?」

「……そんなクソったれな世界でも、僕はまだ生きていたい!」

 僕はそう叫ぶとテーブルから下ろされている足を上げ、合図する。

 同時に復活したナスチャの腹部から出ている朱色の液体生物が吸血鬼の脚に巻きついて蛇のように締め付けた。

 一瞬、手首を押さえる力が緩み、その瞬間にずっと握っていたクレイモアを首めがけて薙ぎ払った。

 両断され、頭が宙を舞う。

 僕はテーブルから転がり落ちるようにして吸血鬼の胴体から離れた。僕がいた位置に血の滲んだ爪が振り下ろされる。テーブルに突き刺さる。

 ──危うく異能を受け、道連れにされるところだった。

 吸血鬼の体が黒い煙を出して消えていく。

 手から力が抜けてクレイモアが床に音を立てて転がった。一拍置いて、僕はその場にへたり込んだ。するとナスチャが僕の背中にすり寄ってきた。

「お疲れさん、セシリア」

 僕はナスチャを撫でて、

「お前のおかげだよ。ありがとな」

 と言った。


 こうして僕たちはこの街を後にした。地上に上がったとき、ナイフが手に刺さったまま呻いている人間の首を斬り落としていった。


 朝日が昇る。昨晩の出来事など誰の記憶にも残らない。そのような掃き溜めの街は、また今日も意味もなく屍を積んでいく。

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