27_私はびんっと泣いた。






「今のメロディになってたよな?」


「うん。指とかの動きもそれっぽかった」


 斉藤と田中がマイナスの呪縛から自我を取り戻す。さっきの音色は米仲が僕に披露したフレーズと同じだった。

 もう一度同じ音が奏でられる。


「俺も始めはダメダメだったけどよ、ギターと語らってるうちに弾けるようになったんだ。ちょっと前まではお前等と同じで音を出すだけで精いっぱい。そうだよな、悟?」


 米仲の問いかけを目で追うようにして、斎藤と田中の視線が僕の顔へ移る。


「うん。一緒に楽器を買ってすぐに音出ししたけど、全然駄目だったよ」


 米仲からの投げかけを受理する。

 米仲と出合った日。今日、僕がこうしてスタジオにいるのもあの日があったからだ。パソコン室での出会い、悪魔の店員、暑い日、ジャジャン、五感であの日がよみがえる。



「マジか! いつ頃買ったんだ!?」


「一か月ちょっと前くらいだな?」


「その辺りだね」


「一か月そこらでここまで弾けるんか!?」


 斎藤が驚く。通信販売番組に出演できるリアクションだ。


 約一ヶ月間で習得したのがワンフレーズのみ。この上達速度は多分早くない。でも、今重要なのは飲み込みが早い遅いじゃない。僕らはまだそのレベルに居ない。

 大事なのは世界が広がること、出来なかったことが出来るようになることだ。


 僕達は今、身近な勇者を欲している。


「マジのマジのマジ。指もこんなに固くなったぜ」


 米仲はギターのネックから左手を離し、僕達に向けて手を開いた。その指先を斎藤が眉間にしわを寄せながら触っている。


「言われてみれば、固いな。ギターの弦押さえてるうちに固くなったのか」


「おう。ギターをマスターする頃にはマッチが点くようになるぜ!」


 ライターいらずだな。

 俺はタバコは吸わねーぜ。


「出来るかどうかは俺達の決めることじゃねーけどよ、挑むかどうかは自分で決められる。俺はお前等と一緒に挑みてーけどな」


 叱咤激励でも泣き落としでもない、真っ直ぐな願いを米仲は打ち明けてくれた。僕達三人をよどみの無い眼差しが見ていた。


「僕も、米仲と同じで、このメンバーでバンドしたい」


 赤ん坊でツギハギだけど、行けるとこまで行きたい。


「そんなん言われたら、乗るしかないやん」


「だね。僕も練習に励むよ」


 斎藤と田中も後に続いた。二人とも数分前より表情に光が見えた。僕の顔も同じだろう。

 米仲は何も言わず、ニンマリと笑い、ギターを鳴らした。高い音が伸びる。


「あー。こうなるならもっと早く新しいことに挑戦するべきやったわ。もったいねー」


「ほんと。僕も高校からやり直したいよ」


 田中が遠くを見る。僕も人生をリセットしたいと度々思うが、高校英語や数学、人間関係のことを視野に入れるとボタンを押す手が止まる。今のまま戻っても、これまでをなぞるだけだ。


 でも死ぬ前には一回、好きな時間に飛びたい。行き先は決めてある。


 小学生、土曜の夕方、近所の神社で遊んでいると母親が呼びに来る。こんやはカレーだ。


「そういや、悟は米仲と同じタイミングでベース買ったんだよな?」


「そうだよ。同じ楽器屋で同じ店員から買った」


 斎藤の問に肯定を返す。店の名前は忘れたが、赤髪の悪魔が働いていたことは覚えている。



「悟も弾ける組かぁ」


 はい? 弾ける組、とは?


「遅れてるのは僕達だけかぁ」


 待て田中、溜息をつくな。僕も出遅れ組だ。


「待て待て田中。まだ鈴木が残ってる」


 待つのは斎藤、お前だ。また僕に対して見当外れな美化が始まっている。


「確かに僕と米仲は同じ日に楽器を買ったけど全然! 僕はほんと全然何も弾けないんだよ!」


 身の潔白の代償に己の無能さを明るみに出す。情けない話だが自らの無能を語る時、唯一自分に自信が持てる。声量もいつもの二割増しになる。


「そう謙遜けんそんするなや」


「ちょっと聴かせてよ」


 ちょっとは聞いてくれ、お二人さん。僕も練習してる前提で話を進めないでくれ。

 期待のこもった誤解をして勝手に失望されるのは懲り懲りだ。


 何が「悟ならエース間違いなしだな!」だ。

 ちやほや勧誘しといて贋作がんさくだと分かったらグラウンドの隅へポイ。ふざけんなよクソッタレ。サッカー部のあんぽんたん。卓球部の優しさを見習え。



「米仲は悟のベース聴いたことあんのか?」


「まだだぜ」


「ベースってちゃんと聴く機会あんまりないよね」


「普通にイヤホンで聴いてても分からんしな」


「それは斎藤のイヤホンが安物だからじゃねーか?」


「うわー米仲キッツイこと言うなー。でもそうかもしれん。俺未だに本体にくっ付いてきた白いヤツ使ってる」


「あはは。斎藤、三千円位でいいから新しいイヤホン買ったら? 世界が変わるよ」


「でもなぁ、今使ってるの別に壊れてへんしなぁ」


「いやいや。やっぱり音楽やるからにはいいイヤホン買った方がいいよ。ね、米仲」


「そうだな。ロックを聴くならロックなイヤホンじゃねーとな」


「あのー」


「準備出来たので、お耳をお借りしてもよろしいですか?」


 三人の視線が僕に、ベースの黒に集まる。注文したのをすっかり忘れてたメニューに注がれる「そういえばそんなの注文したわね」という視線だ。


 計画では人の話を聞かない奴等へのイライラと、それによって引き起こされた高校時代の嫌な思い出とをアホ三人に叩きつけるつもりだったが、タイミングを逸した。怒りが湿気しけった。


 あんな間延びしたしょーもない、空気と酸素と声帯と外耳と中耳と内耳と時間の無駄遣いを浴びたら、灼熱の太陽でも一瞬消えるだろう。


「おお! 待ってました! 景気よく頼むわ」


 ごめん。湿気った煎餅はパリッとは鳴らない。


「米仲みたいにメロディを弾くのかな?」


 それは無理。猫がピアノで猫踏んじゃった弾くくらい望み薄。


「悟、ロックにイケよ!」


 とりあえず、今、いきます――――


 本体を胡坐あぐらで支え、左手でネックと弦を押さえる。


 弦が指に食い込み、痛い。前回は考えなしに弦を弾いたからピックが飛んでった。だから今回は一番上の弦に狙いを定める。

 ピックを握り、狙いを定め、ゆっくり手首を返す。





  びんっ




  

 何だ今の変なの。




 狙い通りピックは飛翔しなかった。でも、それが産み出したのは音色とはとても呼べない、音と呼ぶのもおこがましい空気の振動だった。


 流石にこんなはずはない。



 もう一度、ピックを握り、狙いを定め、手首を返す。

 お願いします。




 びんっ




  びんっびんっびんっびんっ





 狙った弦を弾けた。

 ピックは飛ばなかった。

 音が鳴った。

 この上なく上手くいった。


 なのに、何一つ足りなかった。



 びんっ



 これは断末魔だ。僕のであり、ベースのであり、取り巻く空間のであり、今なお瞬き一つしない彼らの――――。


 


 だから、僕は弾けないんだって。だって、何もやってこなかったから。



 歌が聞こえる。今年ヒットしたアニメ映画の主題歌だ。こんなにシャウトしてなかった気がするけど。それがなんだか気持ちよかった。


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