第29話 変態後輩と見送り
『――アテンション・プリーズ――』
この空港のアナウンス、よくアニメだとかドラマだとかでよく聞くけど……こうして実物を聞くのは初めてだな。
聞き慣れているのに、聞き慣れない英語に耳を傾けていると、やがてそのアナウンスも人混みの中に消えていくように薄れていき、最後は飛行機の飛ぶ音に完全に隠れてしまった。
俺が、いや……俺たちがどうして空港なんて縁があるようで実はそこまで来る頻度は高くない場所にいるのか、答えは単純。
1週間の休日を終えた未来さんが仕事の為に海外に戻る日がきたからだ。
「忘れ物はないですか?」
「大丈夫そう……かな……多分」
「もし忘れてたらちゃんと連絡するので、大丈夫ですよ。そもそもお姉ちゃんなら忘れて困る物を忘れないでしょうし」
確かに、天然で抜けているところも多い未来さんだけど、そこまで忘れ物が多いという印象は無い。
少なくとも……この隣でにこにこと笑う変態みたいに、下着を上下付け忘れるほどの忘れ物は絶対にしないって断言出来る。
「……お姉ちゃんが次にこっちに帰って来られるのはいつ頃になるんですか?」
「うーん、夏休みぐらいかな。多分また休日を取らなすぎて皆に無理矢理取らされると思うから……」
キャリーケースを持った未来さんは、スマホで仕事のスケジュールを確認し始めた。
……社長って大変そうだな。自分のことじゃなく、会社のことも考えて部下のことも考えないといけない。
未来さんのような責任感のある人ならなおさら投げ出すことは無いどころか……多分自分のことを気にかけるよりも、周りを優先する。
だから、部下の人たちもそんな社長が無理し過ぎないように休みを取らせようとするわけだ。
まさしく、1人は皆の為に、皆は1人の為にを体現したいい会社だ。
……でも気になることがあると言えば、そんないい会社が出来るきっかけが家からの独立なんて物騒な理由だったことだ。
今思えば、あの時の奏多は……俺をその話題から遠ざける為に買い物を無理矢理頼んだように見えた。
なんて、推測に過ぎないけどな。
「あ、飛行機の時間みたい。それじゃあ、またね」
「……お姉ちゃん、体に気を付けてくださいね」
「司ちゃんもね。……っと、そうだ。大地君」
未来さんが俺に向かって手招きをしたので、1歩近くに寄った。
「司ちゃんのこと、よろしくね? 色々無茶する子だけど、本当は意地っ張りでとっても寂しがり屋さんだから」
「まあ、一緒に住んでる限りはちゃんと面倒見ますよ」
「素直じゃないなぁ。でも、大地君ならなんだかんだ言いつつ大丈夫だよね? 司ちゃんと私が認めた人なんだから!」
にこりと笑う未来さんは相変わらず、男なら10人が10人見惚れそうな笑顔を浮かべながら、俺の目を下から覗き込むようにしてくる。
くっ……可愛すぎて恥ずかしいから目を逸らしたいのに目を逸らせない!? なんだこれ魔力か!?
あとさっきから心臓が高鳴って破裂しそうだ! これも魔力か!?
「ほらもう早く行ったらどうですかお姉ちゃん。わたしがせんぱいとイチャイチャする時間が減るじゃないですかぁ。ほらほら」
「司ちゃんが急に冷たく!? 反抗期なの!?」
奏多は抑揚無く喋って、未来さんの背中を押していく。
やがて搭乗口に未来さんを運ぶと、頬を膨らませて未来さんを見つつ、俺の腕に抱き着いてきた。
はぁ……こいつ……。
「抱き着くなっての! ほら、未来さんをちゃんと送り出せって」
「……お姉ちゃん、行ってらっしゃい」
「ふふっ。――はい、行ってきます」
未来さんは俺たちに手を振りながら、やがてその後ろ姿は人混みの中に消えていった。
……ああ、俺の心の癒やしが……
「さて、せんぱい。ホテルにでも寄って帰りましょうか!」
「寄らねえよ! 何コンビニ行くみたいな手軽さで言ってんだ!」
意気揚々と歩き出した奏多を追おうとすると、ポケットのスマホが軽く震えた。
……未来さんから?
〈追伸! さっき伝え忘れたことだけど……司ちゃんがもしかしたら、その内大事なお話をするかもしれない。その時はちゃんと聞いてあげてほしいな〉
俺は奏多の背中を見ながら……。
〈分かりました〉
と短く返信して、奏多の背中を追った。
◇◇◇
「……今、何時だ?」
目を覚ますと、真っ暗だった。
どうやら……部屋に戻って軽く眠るつもりが、寝過ぎて夜になってしまったみたいだ。
21時? おいおい……今から寝るぐらいの時間じゃん……もうこれ今日は眠れないことを覚悟した方がいいか。
「……はぁ。また潜り込んできてんのか」
隣を見ると、いつもの膨らみが健在で寝起きからため息をつくことになった。
未来さんがいる時は、たまにしか潜り込んできてなかったけど、また毎日こうなるんだろうなぁ……。
「おい奏多。起き――」
俺はそこで言葉を区切った。
いや、区切らないといけなかった。
「うぅ……ぐすっ……お姉……ちゃん……」
――布団の中から奏多の嗚咽が聞こえてきてしまったから。
あぁ、空港の時から様子が変だと思ってたけど……やっぱり、こいつ寂しかったんだな。
もし……俺がこの家に住むことがなかったら、こいつは1人で暮らすことになってたんだよな。
こいつの家族のことだとかはよく分からないけど、1人ぼっちでこの部屋で過ごしている奏多を想像してしまって……何故だか無性に心が痛くなった。
――あーくそっ。
「……はぁ、しょうがないな。今日だけだからな」
俺は起こしていた上体を静かに膨らみの傍に戻して、大して眠くもない瞼を閉じた。
すると、どういうわけか……眠くも無かったはずの体はすぐに心地の良い眠りの中に落ちていった。
……翌朝。
「見てくださいせんぱい! お姉ちゃんパンツを忘れてます!」
すっかり元気になったように見える奏多が洗濯物の中から1枚の布切れ……純白のパンツを取り出してきたのを見て、俺は苦笑した。
――あぁ、流石姉妹だ。
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