アルノ・ベリル
次の日は食卓では顔を合わせなかったアルノという青年に会うために、別館に呼ばれていた。
呼ばれたといっても場所がわからないので、ヒースに連れられて別館に向かう。
昨日、エミリアの屋敷に戻って、彼女に市場での様子を問い詰められたが、どうにかヒースが色眼鏡を落とした件だけははぐらかした。
ヒースは敢えて口を挟まなかったようだが、それでいいのかと後で咎められた。
いいのだ。現状を知っただけの事だ。
後は、服の宣伝が上手くいっているといいが、どうだろう。
私の晩年計画は余計な事情が混じって、真っ直ぐに進んでいない。
はやく夫が決まって、借金から解放されて、叔母達への復讐を遂げたいものだ。
まぁ、色々疲れた、ってのが本当の死因になるわけなんだけど、どうせ死ぬなら死の使い方も有効活用しなければ。
私の復讐は叔母の枕元で恨み言を言いながら命果てる事で完結する。
さすがにうっかり幸せな結婚をしてしまうと、叔母達に恨み言は言いづらい。
しかしながら、今のところ中身がねじ曲がったような人もいないし……困った。
そろそろ私を不幸な花嫁にしてくれる人を紹介して欲しい。
「アルノは、分家のベリル家の出身で、今はうちの仕事も手伝っていて、本家と分家を行ったり来たりしてる。まぁ、仕事で泊まり込むことが多いから、ほとんど別館に住んでるようなもんだがな。愛想はないが、誠実でいい奴だよ」
「優しい」の次は「誠実」か。希望は薄いな。
そんなことを考えながら言葉少なにバロッキーの敷地である広大な森の中を歩いている。
ヒースは口数の少ない私を慮ってなにかと話題を振ろうとしているが、ちょっと話しかけないで欲しい。
昨日の事が消化できないでいるんだから。
昨日の今日で考え事は増えたけど、特にバロッキーという名に怖気付いたという事ではないのだ。
ただ、物心ついてから私の世界は狭すぎた。
私を取り巻く生活にしか目を向けてこなかったから、異国の文化や、他人の気持ち、小さな娯楽でさえ私の気持ちをひどく揺さぶるのだ。
国を挙げての迫害がどんな意味を持つのか分からないが、誰かの利益に結びついているから今の状況があるはずだ。
ちょっと街に出ただけであの騒ぎは異常だ。
あれだけ現実とズレたことを信じ続けるにはそれなりの煽動が必要なはず。
誰が、何のためにあんな大ががりなことを続けているのかしら?
私は借金に対して命が尽きるまで自力で抵抗して、妹たちを守るつもりでいた。
私の場合はそれなりに抗い尽くしただろうし、戦う相手も明白だった。
ヒースは?バロッキーの一族はこんな力にどれだけ長く晒されてきたのだろう。
食卓を囲む皆の顔にはどこにも迫害されている憂いのようなものは見て取れなかった。
すぐ死ぬ予定の私が深入りすべきでないのは分かっている。
それでも、気持ちが揺れてしまうのが苛立ちになった。
なぜ?どうして?と私の鬱憤は溜まる一方なのに、相変わらずヒースはにこやかに極上のお茶を煎れてくれるのだ。
屋敷から歩いて数分の所にやや小ぶりだが洒落た建物がある。
柱に彫刻が施されていたり、大理石が寄木細工のように組まれたり、バロッキーの美に対する鋭さは気後れするほどだ。
贅を尽くしているはずなのに上品に見える。
優美な扉を開けて中に入ると、意外にもすっきりとした内装で好感が持てる。
ヒースに続いて明るい廊下を抜けて階段を上がる。
「アルノ、いるか?」
白い扉の前まで来て、ヒースが軽くノックをする。
「ヒース、今手が離せない。勝手に入ってくれ」
声だけに迎えられ、アルノの自室に入っていく。
嗅ぎなれた新しい紙とインクの匂いに落ち着く。
そこにはしゃんと背筋を伸ばし眼鏡をかけた青年が忙しそうに紙にペンを走らせていた。
切れ長の目が鋭い印象を与える。
うーん、バロッキーには美人しかいないのか?
「アル、誰かから聞いていたとは思うが、サリを連れてきた」
「初めまして、サリと申します」
「ああ、件の生贄の花嫁か」
あ、なかなか良い毒舌。
「アルノ」
咎めるように呼ぶのを受け流してヒースのまだ包帯の取れない右手を見ると眉を顰めた。
「ヒース、お前、手をどうした? また犬でもひろって噛まれたのか?」
エミリアさんにも言われてたな。
動物を拾ってくるのが得意なんだね、ヒースは。善良、善良。
「花瓶を割ってな」
なんか、この件ここに来てから何回か繰り返し聞いてるような……。
もう、いい加減いいんじゃない?
「その、サ、サリが手当てしてくれたんだ」
それもだー!!
特別な事でもないのに耳を染めるな。
いや、特別な事だったのよね。
初めてが私でごめん。
でも、そんなのバロッキーを知らない人なら誰でもやるし。
妹たちだって、うちの父さんだって、隣のおばさんだってそのくらいの事はしてくれる。
いたたまれないから、特別視しないで。
それと、怪我してない方には手袋つけるの? 必要ないじゃない。
思考から追い出そうとしていたイライラがぶり返す。
あまり表情がないのかと思い込んでいたが、アルノは驚愕の表情で書類から私に視線を向ける。
睨まない、睨まない。
ハイハイ、皆さんヒースのことになると妙に力が入りますね。
愛されてますね。
「わかった。では預かった」
機嫌が読めない顔に戻ったアルノは、仕事に戻ることにしたようだ。
「また夕食前に迎えに来るよ」
「わかった。お前も仕事に戻れ」
そう言っている間も、整然と並べられた書類にペンを走らせ続けている。
ヒースが去ったのを見計らってか、やっと書類から顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
「結婚の件だが、せっかくだが、私は結婚願望がない。子孫を残すつもりも無いから、私は除外してくれ」
簡潔に告げるとまた書類に目を戻す。
「わかりました」
分かりやすくて大変結構。
「それと、ヒースには近づくな」
「……?」
ん? んん?
「時々お前のような娘がやって来る。さて、バロッキーの富を何処に流そうというのだろうな。
しかし、痩せ我慢は体の毒だ。竜の血を触って見せたのは良い策だったが、さぞ恐ろしかっただろうにな」
皮肉った顔で唇を笑の形に歪ませる。
無機質な顔が憎悪に歪む。
そうそう、そういうのを待ってたのよ。
いびられても行く所ありませんから居座りますけどね。
居るじゃない、居るじゃない!
アルノさん、お婿さん候補にピッタリの見下したような笑い顔が素敵ですよ!
「ヒースを傷つけるつもりなら容赦はしない。私が娶って幽閉することだってできるのだぞ」
あ。
「……」
あーあーあー、残念。
こちらもヒース愛のひとだったのか。
思わず小さく溜息を漏らす。
「どうした? 家に帰る気になったか?」
だから、帰れないってば。
ヒースを傷つけるなら、自分には必要の無い嫁を娶って監禁すると?
なかなか重い愛の形ですこと。
ヒースを薦めてきたり、ヒースに近づくなとか、ヒースを絡めないで話ができないんだろうか、ここの男達は。
「私は、借金の形としてこちらに来ました。もはや帰る家も家族もありません。借金さえ消えれば、どのような扱いをされようとも厭わぬ身です」
「それでヒースに近づいたのか」
だーかーらー! 話は最後まで聞け!
「初めにトムズさんにヒースを薦めていただきましたが、お断りしました。行き遅れでもなく、仕事もしていて、性格も穏やかで……顔も好みで……。そんな人に嫁げと言われたら何のために借金を都合していただくのか分からなくなります。それでなくとも破格の取引です。私だって商家の出、取引の妥当性くらい弁えております!」
舐めてもらっちゃ困る。
私にだって商売人の矜持がある。
で、でも、この家から放り出されるのは困るのよね。
借金返済第一ですから!
なのに、なんでこの口はペラペラと要らないことを喋るのかしら。
メソメソと、そんなことありません、ひどいですぅ、と涙ながらに言っとけば良かったのに。
意地悪気な言葉が口から出るのを止められない……。
己の短気さとよく回るこの口が憎い。
「もし、あなたが本当に残虐な性質で、普通の花嫁を殺しかねないというのでしたら、私が玩具としてあなたに嫁ぐ意味があるでしょうけど。むしろそういうご趣味なら、是非ともこちらからお願いいたしますが。どうですか? 加虐趣味がおありですか?」
アルノは慌てたように否定する。
「いや、そんな趣味はない」
ないなら無理して牽制してこないで。
「安心してください。善良なヒースも、嫌われる覚悟を持ってヒースを心配する善良な貴方も辞退させていただく所存です」
あ、見逃しませんよ、今びくっとしたでしょ。
この人、実は揉め事は不得意みたいね。
「一族に一人くらいどうしようもない方がいるのではないのですか? 遠慮なさらずそういう方にさっさと妻わせてくださいとお願いしているのに。次から次へと適齢期かつ素敵な男性ばかりに会わされる私の身にもなってください。商人として肩身が狭いのですが」
アルノは心底驚いたような顔をした。
この人もお断りだ。
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