恋文とゲラ紙と

1

「なるほどな、それで右頬が腫れている訳か」


 眼前で老眼鏡をかけ、何やらタブレット端末を眺めていた目線を上に、俺へと向けたじいさんが、苦笑を浮かべてそう言った。

 未来にぶたれて赤くなった頬に目ざとく気づき、色々と言うようになったじいさんには、昨日の事を気づかれた。

 よりによって、一番気づかれたくない奴に。


「にしたって、私が留守な間に逢引なんて。結構なご身分だな。穂高くん」

「っけ、言ってろ」


 いつもは仕事の話の時、気に入らない時に発しているのを耳にする声色で、窘められ、気が悪くなって憮然と言葉を吐き捨てる。


「君のそういう感じの悪さか、はたまた歯切れの悪いところがその子を傷つけたんじゃないのかい?」

「……」


 図星だった。

 流石、腐っても昭和の時代を生きてなお、独り身の元・政府の高官様はいい目をしておられると、思わず舌を巻く。


「まぁ、べつにここで逢引しようが構わないが、君も頬を赤くするのは心を掴まれた時だけにするんだな」

「もうしねぇよ」

 少なくともあんたの前ではな。という一言は飲み込んだ。

 これ以上、余計な事を言われるというのも癪に触るというものだ。

 となれば、自身も余計な事は言わないのが筋だろう。


「――そうか、残念だな。……君の若さで色恋を捨てるのは」

 再び手元のタブレットに目を落として呟く、じいさんの真意の読めない一言に居心地が大層悪くなる。

「ちょっと、煙草」

「そうか、飽きないな……君も」


 いたたまれなくなって、部屋を出る。

 そしてあいも変わらず、ポケットからくしゃくしゃの煙草とくたびれたマッチ箱を取り出して、火をつけようとした時だった。


「やぁ、久しぶり。とでもいえばいいかな?」

「お前は――」


 煙草をくわえたままに、声がした方を一瞥する。

 錆びかけた非常階段の階下の方に、一人。

 よく見知ったおっさんがいつも通り気の良さそうな笑みを浮かべ立っていた。


「やっぱり、藤乃ちゃんの言う通りここに戻ってきてたのか。……にしても、銃の扱いは下手なんだね」

「何のことだ?」

 手に持ったマッチ箱からマッチ棒を取り出して、勤めて平静に呟く。

 こいつは、なにかを握ってる。

 でなければ、一度自らを撃ったという奴の前でこんなに会話のイニシアチブを握ろうとはしないだろう。


「うそぶいても無駄だよ。三ヶ月前の夜。国立の街で、僕を撃ったのは君だろう」

「しらねぇよ。人違いだ」

「いいや、君だ」


 さらに確信めいたものがあるようで谷川は俺に突っかかる。

 無視して、マッチを吸って咥えた煙草に火を灯す。

 これ以上、こいつの妄言には付き合ってはいられない。

「あの日僕は確かに撃たれた。そしてその晩から君は姿を消したようじゃないか。何か、急用でもあったのかい?」

「チッ……んどくせぇな……。そうだよ。なんか悪いかよ」


 もう、認めているようなものだった。


「そうか。だとしても、もう一つ。証拠がある。——声だよ。君はミスを犯した。幾ら外套で姿を隠しても、ボイスチェンジャーでも使わない限り声は変えられない。加えて僕は記者だ。人の声を覚えるのは当たり前のスキルだ。——君の唯一のミスは話した事だ」


 自信ありげにそう推理する谷川。

 言い逃れ出来そうにない。

 俺にはどうやら暗殺は向いていないようだった。


「——っ。そうだ。あの日、あの晩。谷川さんを撃ったのは俺だよ。復讐するなりなんなり好きにしたらいい」


 煙草の煙を吐いて、自らの罪を認めた。

 谷川は俺の自白を聞いて笑っていた。

 ムカつくほどに清々しい笑みを浮かべていた。


「別にいいさ。死んじゃいないし。それよか、君を銃刀法違反及び殺人未遂の罪で立件して、警察に突き出そうとも思わない」


 一呼吸置いて、谷川は続ける。


「——それに、僕がそんなことしたら。馬に蹴られて死んじゃうかも知れないからね」

 そう言って、谷川は二つの封筒を俺に差し出してきた。


 一つは、普通の茶封筒。そしてもう一つは、綺麗な紫陽花の花が印刷された洋封筒だった。


「これは……?」

「君への届け物だよ。僕は記事を書くのが仕事で届けるのは違うんだけどね。茶封筒は僕が書いた物。これは君の主。河本宛だ。中は見てもいいさ。でももう一つの封筒は君宛だよ。冬馬くん。誰が書いたなんて、野暮な事は言わないよ」

「——でも、これは僕の。いや、僕達の宣戦布告だ。……じゃあ、失礼するよ」


 そういって、非常階段を降りる彼の背中ともらった封筒を見比べ、よれたジャケットの内ポケットに押し込んで、半分灰になった煙草を吸う。

 梅雨本番の湿ったぬるい風が、俺の吐いた煙をさらっていった。

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