第7話 まるでアナタは闇を切り裂く火種のようにー1


「危なかった……」


 筆記試験を終えた俺は教室の机に突っ伏す。

 現役高校生の頭脳によって余裕だと思っていた筆記試験に苦戦したからである。

 17年分の記憶を一気に思い出して記憶容量から溢れたせいか、こっちの世界に来てからの17年間で俺の脳に眠っていた記憶が消耗していたのか、理由はどうあれ、現在の俺は前世の記憶を全て思い出せる訳ではないらしい。

 筆記試験の問題自体は前世の高校レベルだった。

 とはいえ、俺も前世ではそれ程頭がいい人間ではなかったので、単純におつむの出来の良さの問題かもしれないが。


「……ツヅリ……くん……ど、どうだった?」


 別教室で筆記試験を受けていたはずのシンクが俺のところへとやって来た。


「ああ、シンクか。俺の方はまあまあかな?」

「……そ、そうなんだ……二人共……合格していると……いいね……」


 シンクは相変わらずオドオドしているが、俺はシンクが声を掛けてくれたことが嬉しかった。


「……次……実技試験だよ……私たちも行こう?」

「そうだな。……だけど、その前に一つ用事があったことを思い出した。悪いけど、シンクは先に試験会場の方に行っていてくれ」

「……えっ…………うん……分かった……」


 俺がシンクを残して教室から出ていこうとすると、シンクは寂しそうな表情をしたが、頷いて一人試験会場のある方にトボトボと歩いて行った。


「大丈夫かな、あの子。……まあ、今はそれよりもラビィだな。アイツ、一体どこに行きやがったんだ」


 ラビィは俺がシンクと出会った前後から全く姿を見せていなかったのである。

 もしかすると彼女はこの広い学校の中で迷子になっているのかもしれない。

 俺は消えたラビィを探しに行こうとここまで来た道を戻っていた。


「ねえねえ、そこのイケメンさん! 私ね、迷子なの!」


 すると、その時、廊下の向こうから思いっきり猫を被ったような甘ったるい声が聞こえてくる。

 俺が不意に声のした方に視線を向けると、そこには顔の整った高身長の男子生徒を引き留めているラビィの姿があった。


「へ、へえ、そうなんだ……」


 男子生徒は自分の服の袖を掴んで放そうとしないラビィを面倒くさく感じているのか、気のない返事をする。


「でねでね、今日は私の冴えない童貞オタクのお兄ちゃんが編入試験を受けているんだけど、お兄ちゃんともはぐれちゃって、私、凄く寂しいの!」

「そ、そっか~。なら、ここで待っていればいつかお兄ちゃんが迎えに来てくれるんじゃないかな? お兄ちゃんだってきっと君のことを探してくれているはずだよ」


 男子生徒は額に若干青筋を浮かべてラビィを引きはがそうとするがラビィはなかなか手を放そうとはしない。


「ええ~っ! 私のお兄ちゃんはそんなことしないよ~! それより私、イケメンさんとお話したいな♡ お兄ちゃんが返ってくるまでの間、イケメンさんが私のお兄ちゃんになって♡」

「何を晒しとんじゃワレェ!」


 俺はラビィの背後から現れ、彼女の後頭部にアイアンクローを決める。


「いだだだだだ痛い痛い痛い! ツヅリ!? アンタいつの間に!?」

「話は全部聞いていたんだよ! 一般通行人に迷惑掛けんなクソビッチ!」


 俺のアイアンクローが余程堪えられなかったのか、ラビィは男子生徒を掴んでいた手をすぐさま放す。


「……君はこの子のお兄さんですか?」

「いえ、どちらかと言えば保護者です」

「ふざけないでよ童貞オタク! 誰がアンタから保護されているって言うのよ! アンタが保護されている立場でしょ!」


 ギャンギャンと喚く自称キューピットを俺は小脇に抱える。


「ウチの子がすみません! ご迷惑をお掛けしました!」


 俺は男子生徒に謝り、ラビィを抱えてその場を去る。


「全く! お前という奴はどうして目を離した隙にナンパなんてしているんだ!」

「しょうがないでしょ! 私も女として生まれたからにはイケメンとお茶を楽しむ権利はあるはずよ!」

「明らかにドン引きされてただろ! というか、お前はエロース様一筋じゃなかったのかよ! なんで浮気をしているんだ!」

「お茶をしたくらいで浮気とかいうオタク特有の思考は理解出来ないわ。まだ付き合ってもいないのに浮気と言って騒ぎ立てるのはおかしいと思うわ」

「クソビッチだ……コイツ本当にクソビッチだ……」


 俺のラビィに対する評価はまた一つ下がったのだった。


          @ @ @


「お集まりいただいた受験生のみなさん、ごきげんよう。これより一次試験実技科目を開始させていただく」


 試験会場となる体育館に集められた俺たち受験生に試験監督の男性教師が宣言する。


「……あっ……ツヅリ君……やっと来た……」

「待たせたなシンク。さて、いよいよ実技試験か……」


 体育館にはざっと数百人以上の生徒が詰めかけているが、その全員が入っても場所に余裕があるほどアンコール魔法学院の体育館は広かった。

 そして、体育館の白い床の上には何故か無造作に俺の身長と同じくらいある大きさの岩塊がいくつも置かれていた。


「では、君たちに行ってもらう試験の内容だが、それは『これから30分間、生き残ること』だ!」


 試験監督の教師がそう言って指を鳴らす。

 直後、俺たちの周囲に置かれていた岩塊が意思を持っているかのように一斉に動き出す。

 岩塊は大柄な男を思わせるシルエットに姿を変える。


「彼らは当学院の錬金術師が生み出したゴーレムたちだ。彼らの猛攻を掻い潜り最後まで残った生徒を二次試験の合格者とする。今ここで受験を止めるのならば退出を認める」


 受験生たちは試験の内容を聞いてざわめき始める。

 アンコール魔法学院の実技試験というものは予想以上にスパルタ風だった。

 二割程の生徒は体育館から出ていき、時計の針は賛辞を差す。

 始業のチャイムが鳴り響き、それは同時に実技試験の始まりを知らせるものでもあった。


「試験、始め!」


 試験監督の台詞と共に全てのゴーレムが受験生たちに襲い掛かる。


『――我は猛き意思を持つ者! 灼熱の業火を以て焼き滅ぼす! 天舞う灰の塵となれ!』


 一人の少年が手にしていた杖の先端に火球を発生させ、ゴーレムの一体に向かって撃ち出す。


「アイツが今唱えたのは魔法の呪文か!」


 俺は少年とゴーレムの戦いを観察する。

 しかし、ゴーレムは素材が岩であるせいか、火球を喰らってもビクともせず、逆にパンチで少年に喰らわせて昏倒させてしまう。


「……避けてっ!」

「――――ッ!」


 シンクの悲痛な叫びを聞いて俺は咄嗟に後退る。

 よそ見をしていた俺に別のゴーレムが殴り掛かって来た。


「シンク! こっちに逃げるぞ!」


 俺はシンクの腕を掴み、目の前のゴーレムから逃走する。


「30分生き残る、か。流石に試験だから本気に殺しに掛かって来ることはないだろうが、一撃でも喰らえばただじゃ済まないだろうな」


『我は麗しき情緒を持つ者! 清廉なる飛沫を以て拭い去る! 聖なる水に洗われよ!』

『我は高貴な決意を持つ者! 優雅なる疾風を以て吹き飛ばす! 一陣の風に惑え!』


 受験生の少年少女たちが呪文を唱えて水や風の魔法を発動する。

 だが、水の魔法はゴーレムの身体を濡らすだけで、風の魔法は重い岩石で造られたゴーレムを転倒させることも出来なかった。

 ゴーレムは受験生たちを次々と薙ぎ倒し、立ち上がれなくなった彼らを肩に担いで連れ去っていく。

 ゴーレムたちが連れ去った先にはアンコール魔法学院の養護教諭らしき女性がブツブツと呪文を呟き、魔法で受験生たちを治療していた。


「……なんか、手馴れている感じが絶妙に怖いな」


 俺は一連の作業が機械のように繰り返される様子を見て思わず鳥肌が立った。


「ツヅリ! ツヅリ! 私の声を聞きなさい!」


 シンクと一緒にゴーレムから逃げ回る俺の耳にラビィの声が届いてくる。


「ラビィ!? こんな時にどうした!?」

「私を厄介者みたいに言わないでくれるかしら? 姿を消してアンタをサポートしてあげるつもりだったけど、今の態度が気に入らなかったからやっぱり止めるわ」

「はあ!? 勝手なこと言うなよ! お前から話しかけておいてそれはないだろ!」


 俺は近くにシンクがいることもお構いなしに見えないラビィと口論を始める。


「気に入らないものは気に入らないのよ。私の助けが欲しかったら地べたに這いつくばって今までの態度を謝りなさい」

「くっ、足元見やがって……」


 いずれにせよ、このゴーレムの多さでは30分も逃げ切るのは難しい。

 炎の魔法がゴーレムに効いていなかったとなれば、俺の告白魔法も効くか怪しい。

 ここは素直にラビィの力を借りた方が身のためだろう。


「ふははっ! 本気で首を垂れるというの? プライドないわね~! だけど、そこまでするなら私もアンタに対する言動を水に流してあげても――ぎゃん!?」

「ラビィ!?」

「ちょっ、止めっ、痛あっ! 誰よ今私の翼踏んだの!」


 ラビィの台詞から察するにどうやら彼女は姿が見えないせいで受験生かゴーレムに踏んだり蹴ったりされているようだ。

 ラビィの透明化は声も隠密出来るらしく、任意の相手だけに声を聞かせることも出来るようだが、この乱戦状態で声を張り上げても彼女の存在に気づく者はいないだろう。


「ああっ! ツヅリ! 私を助けなさい! このままだとゴーレムに踏み潰される!」

「そうは言ってもどこにいるんだよお前!」

「アンタの一番近くのゴーレムの足元! 早くしなさいよ愚図! ってうわあああっ! こっちに来ないで! お願い助けてツヅリ様! とっておきの秘策を教えるから!」

「分かってるようるさいな! 今助けるから俺の方に全力で走ってこい!」


 俺はゴーレムの背後にひっそりと近づき、手探りでラビィを探す。

 俺の手が柔らかい何かに触れ、それがラビィだと気づく。


「おっしゃ! ラビィ取ったどー!」

「にぎゃああああっ! どこ触ってんのよスケベ!」

「見えないんだから知るか! ……えっ、俺どこ触ってんの?」

「乙女の口から言わせないでよ馬鹿!」


 取り敢えず俺はラビィを小脇に抱えた。


「ラビィ、さっき言っていた秘策を教えてくれ!」

「そんなもの簡単よ! 告白魔法を使いなさい!」


 ラビィの答えた秘策というものは本当に単純だった。


「告白魔法!? だけど、炎の魔法がゴーレムに効くのか!?」

「……あっ……確かに……告白魔法なら岩のゴーレムにも効く……はず……」


 シンクが俺の言葉に頷いてそう言った。

 ゴーレムの一体がこちらに向かってくる。


「一か八かだが、やってみるか」


 俺はゴーレムに右手の掌をかざす。

 長々と詠唱をしている時間はない。

 簡潔且つ的確に俺の想いを呪文に載せる。

 大きく息を吸って覚悟を決めた。


『椎名さん――俺は君のことが大好きだあああああああっ!』


 刹那、俺の手から紅蓮の炎が放射される。

 火勢でゴーレムを押し返し、炎は岩石の身体に亀裂を走らせ、瞬く間に粉砕した。


「はあ……はあ……本当にやったのか?」

「大丈夫! 『憧憬どうけいの炎』に焼かれたのなら、ゴーレムがいくら高い再生能力を有していてもしばらくは立ち上がれないはずだわ!」

「……告白魔法……それは、『情炎』という特別な炎を使う魔法……なんだ……」

「情炎? 憧憬の炎?」


 使い手の俺ですら知らないワードが二人の口から出てくる。


「……情炎は感情の炎……想いが強ければ強いほど勢いを増す性質があるんです……」

「シンクは随分と詳しいな」

「……いえ……これはその……本で読んだだけだから……」


 俺はなんとなくシンクの知識に感心していたが、シンクは隠しごとをしているかのように目を伏せる。


「30分経過! これにて実技試験を終了する!」


 丁度、試験監督が終了の合図をして、ゴーレムたちの活動を停止させる。


「……ふう。これで今日の試験は終わりか」


 俺は肩の力が抜けてその場に座り込む。


「何よ。一回魔法を使っただけで情けないわね」

「当然だろ。公衆の面前で思いっきり恥ずかしいことを叫んだ直後なんだから」


 俺はラビィに言い返し、ため息を吐く。

 シンクはそんな俺の様子を怪訝そうな様子で見つめていた。

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