魔王の鉄槌~オーバーハンドライト 最強女子ボクサー・周佐勝子の軌跡

麗玲

序章 血塗られた両拳

第1話 いつかこの身が朽ち果てるまで……


 下卑た罵声。


 好奇と悪意と欲望に満ちた視線。


 美しいものが壊される、その瞬間に対する期待の声。


 例えアウトローであっても女子を破壊するという非日常的な機会は滅多に訪れる訳では無い。


 男らしさを強調したり、硬派を気取っていても、彼らにとって所詮女は肉の塊でしかないのだ。


 何時もこの雰囲気は嫌いだ。


 暴走族『盧遮那るしゃな』は私達暴走族潰しのチーム、『うるは』に対してSNSと動画上でタイマンを要求してきた。


 お互い代表同士、タイマンを張り、勝った方が負けた方の要求を呑むという条件を押し付け、挑発を行ってきた。


 チームのリーダーで私の大好きな美夜受麗衣みやずれいい……麗衣ちゃんはこの提案を承諾した。


 そして、金曜日の午後八時、立国川公園でタイマンが行われる事になった。



「わりぃな……勝子。代理任せちまって」


 麗衣ちゃんは私に謝って来た。


 アマチュア女子のキックボクシングの選手でもある麗衣ちゃんは先日の試合で脛を負傷してしまった。


 ストリートの間だけではなく、アマチュア選手としてもミドルキックの威力で有名な麗衣ちゃん対策に、対戦相手はしっかりとミドルを膝でカットして来た。


 試合にはなんとか麗衣ちゃんが勝利を収めたけれど、当たり所が悪く脛が負傷してしまった。


 それは盧遮那とのタイマンの日程が決まった後の出来事だったし、怪我を理由に日程を変えてくれ等こちらから言うのは、あまりにも都合が良いと思われるだろう。


 だから麗衣ちゃんは日程を変えず、怪我も押してタイマンを張ると言っていたけれど、私……周佐勝子すさしょうこ小碓武おうすたけるそして織戸橘姫野おとたちばなひめの先輩が説得して止めさせた。


「大丈夫だよ。心配しないで見ていてね。麗衣ちゃん」


「ああ。勝子なら誰が相手でも勝てるだろう。でもよ……殺しだけはするなよ?」


 麗衣ちゃんはそんな冗談を言って私を送り出した。


 どうしてだろう?


 今もそうだったけれど、麗衣ちゃんは私が戦う時、何時も不安そうな顔をしている。


 私は麗衣ちゃんの為に、いつも結果を残してきた。


 今まで何人もの暴走族に地べたを舐めさせてきたし、どんなに大きい相手に対しても、一度たりとも負けた事は無い。


 それなのに、いや、むしろ倒せば倒すほど麗衣ちゃんは不安そうな顔をするのは気のせいなのかな?


 少なくても姫野先輩に対してはそんな表情は見せた事は無いと思う。


 どうしてかな……麗衣ちゃん。


 もしかして、私を信じてくれていないのかな?


 貴女の為に私は、人生の目標としていた――――を捨てたのだから……。


 いや。こんな事を考えちゃいけない。


 私は心の中で首を振って自分の馬鹿な考えを否定した。


 ――――を捨てたのは自分の意志だから、麗衣ちゃんのせいにしちゃいけない。


 麗衣ちゃんは私を庇ってくれたのだから。


 あの地獄の様な日々から救いの手を差し伸べてくれた、私にとって唯一の光が麗衣ちゃんなのだから。


 そんな思考を、眼前に現れた長身の男の一言が断ち切った。


「このチビが麗代表だって? 面白くもねぇ冗談だな」


 手首の部分がマジックテープで貼られている簡易バンテージと呼ばれる指貫のインナーグローブをはめた男は、私の小さな姿を見てあからさまに嘲った


 公園のライトで照らし出される男の身長は180センチ近いだろうか?


 グレーのTシャツ越しにも発達した大胸筋が浮かび上がり、上腕二頭筋は丸太の様だ。


 成程。これなら強いだろうし、自分が負けるなんて寸毫も想像した事が無いだろう。


「冗談かどうか試してみれば分かるよ」


 私は両拳を顎の位置に構え、左拳を少し前にやり、左足を前に、爪先を内側に前傾姿勢に構える。


「はっ! ボクシングかよ。残念だな。お前が何級か知らねーけど、俺はスーパーライト級(61.235~63.503キロ)のプロボクサーだぜ。しかも、この前四勝目を挙げて、次から六回戦の試合が出来るんだぜ!」


「へぇ……じゃあ結構強いんだ」


 六回戦、つまりB級ライセンスボクサーというと弱いというイメージを持たれがちだけれど、それは違う。


 格闘技ブームの全盛期時、日本の総合格闘技団体の中量級のチャンピオンで有名だったある人物は、当時連続防衛中だったボクシングの世界王者からパンチのスキルだけを見ると六回戦ぐらいとの評価を与えていた。


 また、キックボクシングの日本の団体や、世界王者の肩書を持つ選手たちがボクシングに転向すると大体六回戦ぐらいのレベルなのか、八回戦になると壁にぶつかり、試合に負けると辞めてしまう場合が多い。


 とにかく、拳のみで戦うボクシングのルールにおいて、例え六回戦であっても他の格闘技のチャンピオンクラスの実力があるかも知れないという事だ。


 この男は四回戦のプロボクサーとしてある程度実績を残し、その六回戦での試合が認められる程実力があるのだ。


 だから、この男は強い。


「へへへっ……一度女の顔をボコボコにしてみたかったんだよなぁ」


 そう言って男は品の無い顔をニヤ付かせながら前の腕を下げ、後ろの拳を顎の前へ持って行き、デトロイトスタイルの構えを取った。


 只でさえ身長差があるのに、フリッカーのジャブが主体でリーチが長いデトロイトスタイルだなんて厄介な相手だ。


 まあ、ピン級(-46キロ)の私とスーパーライト級で恐らく通常体重が70キロを超えている彼とでは、そもそもボクシングでは勝負にならないはずだ。


 でも、私は―――を捨てたのだから関係ない。


 男の射程圏内に入ったのか、男は遠距離から左手を下の方から突き上げるようなジャブ、所謂いわゆるフリッカージャブを放ってきた。


 鞭の様にしなり、槍の様に鋭く伸びたフリッカーが私の首を刈りとらんばかりの勢いで放たれる。


 下方からの突き上げの為、背が低い私に命中すれば上体が上がり、右ストレートの良い的になってしまうだろう。


 だが、幸いな事にスーパーライト級という男の拳速は左程早く感じない。


 ボクサー時代に女子では相手が居なかったので、スパーリングではプロの男子を招いてやっており、距離感こそ全然違うものの、フライ級ぐらいの男子の拳速はこんなものでは無かった。


 私は絶えず頭を動かし続け、ダッキングとスウェーで男のパンチをかわし続けた。


「やるじゃねーか。でも、この間合いじゃ、そっちからは全然攻撃出来ないよな? 何時まで躱し続けられるか?」


 そんな事は言われるまでも無い。


 このままじゃジリ貧。


 こちらから手を出す前にやられてしまう。


 でも、大体男のリズムは見抜いた。


 私は意を決して上体を下げて鞭の様にしなるフリッカーをくぐり抜けると、男の前足を思いっきり踏みつけた。


「何!」


 男の意図は予測していた。


 大方、男はわざと避け易いリズムで誘い、懐に入って来た私を右ストレートの打ち降ろしで攻撃するつもりだったのだろう。


 でもこれはボクシングじゃない。


 大体ベルトラインの上しか見ないボクサー相手であれば、ボクシングと空手の両方を知る私ならば前足への攻撃は容易い。


 前足を踏まれ、前進を止められた男は、慣れない痛みで右ストレートを打つはずだったであろう、手の動きを止めていた。


 その一瞬のスキを突き、私は踏みつけた足を軸に正面に身体を向けると、階段を駆けるように右足を男の膝先に乗せ、バネの様に勢いよく跳躍しながら左足の膝を前方へ振り出す。


 ぐしゃり


 鼻骨が潰れる鈍い音共に、膝頭は男の顔面へ減り込み、衝撃に耐えきれず男は後方へ倒れた。


 欲望や好奇の声ではやし立てていたギャラリーは一瞬にして水を打ったようにしずかになった。


「あっ……あれってプロレスのシャイニング・ウィザード?」


 あれ程までに盛り上がっていたギャラリーが静まり返る中、ポツンと格闘技が詳しいらしい小碓武の言葉が響いた。


「いやいや。あれだけ動いている相手の動きを止めて、相手の膝に乗って膝蹴りなんて真似、勝子以外は誰にも出来ないオリジナルだろ?」


 麗衣ちゃんは呆れ果てたように言った。


 その通りだよ。


 だってこの技、シャイニング何とかや、誰かの技の模倣じゃなくて、


「はぁ……はぁ……テメェ……ボクサーじゃねーのかよ?」


 鼻頭を潰し、鼻血が止まらぬ男はよろよろと立ち上がっていた。


「……そうだね。確かにボクサーではあるけどね。これは喧嘩だから、ボクシング以外使っちゃいけないなんて決まりは無いでしょ?」


「テメェ……一体何者なんだ? 周佐って名前、何処かで聞いた事あるような気がするが……」


「ふーん……。ボクサーの癖に、選手だったも思い出せないんだ……。良いよ。私がその人の事を体で思い出させてあげる」


「訳の分かんねーこと言うんじゃねーよ!」


 頭に血を登らせたのか? 男は間合いを詰めると、いきなりの右ストレートを振り下ろす。


 そのリーチは奥手の右ストレートであるのにも関わらず、私の前手のジャブが届く間合いよりも長い物であったけれど、先程のフリッカーに比べても随分スローに見えた。

 ヘッドスリップして懐に飛び込むと、左のリバーブローを男に叩き込む。


「ごおぇ!」


 拳がリバーに減り込み、私の頭上では嘔吐するかのような音と共に熱湯の様に熱い大量の唾液がばらばらと私の頬に降り注いだ。


 汚いなぁ。


 六回戦ならば、せめてもう少しちゃんとボディを鍛えて下さい。

 そう心の中で呟きながら、右腕は何万回と繰り返し反復練習したパンチを繰り出していた。


 ――オーバーハンドライト――


 私の、そしてあの人……志半ばで夢を絶たれた私の兄が得意とした必殺の一撃。


 この拳がきっかけで私は魔王サタンズ・鉄槌ハンマーなんて奇妙なあだ名を付けられたらしいけれど、そんな事は知ったことではない。


 オープンフィンガーグローブ越しに男の顔面に拳が減り込むのを感じながら疑問に思った。


 相手が軽い。


 これでスーパーライト級?


 通常体重70キロ?


 体重差が約25キロ?


 軽い。軽すぎる。


 なんて軽い男だろう?


 男は私のパンチを喰らい、まるで単車に跳ねられたかのように吹き飛ばされていた。


 鼻血なのか裂けた唇なのか、折れた歯からなのか分からないけれど、華々しく散った男の熱い鮮血が私の頬を汚す。


 これならば蹴りを使うまでも無かっただろうか?


 最早これ以上勝負を続けるまでも無いし、男がどうなったのか確認するまでも無い。


 男は鼻が完全に陥没し、中切歯と側切歯が全て折れただろう。


 彼のボクサーとしての選手生命は終わったかもしれない。


 でも、それが如何したというのだろうか?


 こちらは蹴りまで使ったとは言え、所詮は選手としてのボクシングを捨てた私にすら負けるような男だ。


 この先続けても六回戦で終わるか、街のチンピラか暴走族の助っ人ぐらいしか出来ないだろう。


 ならば早めに心まで砕いてしまった方が良い。


 何時までも覚めぬ夢など抱き続けるべきではない。


 私も兄も諦めたのに、この程度の男がダラダラと続けるのは許しがたい。


「勝子! もう十分だ! 勝子の勝ちだ!」


 麗衣ちゃんは私を遮る様に両手を広げ、私の前に立った。


 私が更に男を痛めつけようとしていた事が分かってしまったみたいだ。


「あ……うん。御免。ちょっと嫌な事思い出していたから。御免ね……あっ!」


 麗衣ちゃんはそっと私を抱きしめてくれた。


 私を包み込む麗衣ちゃんの柔らかい体と良い香りは私のささくれ立った気持ちを和らげてくれた。


「わりぃな……こんなヤロー、あたしがやれば良かったのに、嫌な事思いさせちまって」


 麗衣ちゃんは私がボクサーと戦う事で過去を連想してしまうと危惧していたのだろう。


 実際その通りだけど、麗衣ちゃんは何も悪くないんだから。


「麗衣ちゃんのおかげで、もう大丈夫だよ。それよりか、私、アイツの血や涎がかかっちゃって汚いよ」


 私は背に手を廻したい気持ちをぐっと抑え、そっと麗衣ちゃんの体を引き離した。


「構うものかよ。勝子だけ汚い目に合わせるなんて出来ねーだろ」


 麗衣ちゃんはそう言ってハンカチを取り出すと、男の涎や血に塗れた頬を拭ってくれた。


「麗衣ちゃん……」


 私は麗衣ちゃんのハンカチを持つ手に自分の手を重ねる。


 多分、麗衣ちゃんは私の事を妹ぐらいにしか思っていないだろうけど、それでも構わない。


 たとえこの両拳がどれだけ血に塗れようが、麗衣ちゃんの為ならば敵を打ち砕く鉄槌になり続けよう。


 いつかの日か、私がボロボロになってこの身が朽ち果てるまで――



              ◇



 この度は「ヤンキー女子高生といじめられっ子の俺が心中。そして生まれ変わる?」の番外編として麗最強の少女、周佐勝子の話を書いてみました。

 のっけからトンデモない戦闘描写になりましたが如何でしょうか?

 彼女の狂気や麗衣への強い想いを感じてくれたら幸いです。


 今後、「ヤン女と心中」本編では触れられない勝子の過去や麗衣との出会いなどを描けたらと思います。

 もし、お気に召しましたら、「ヤン女と心中」本編ともども応援の程宜しくお願い致します。

URL https://kakuyomu.jp/works/1177354054894905962

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