4―2

「お疲れ様でしたー!」

 お嬢ちゃんお疲れ様! と勢いのある店長の声に押し出されるように勝手口を出る。今日は背中どころか全身が熱い。それもそうだ、こんな真夏の熱帯夜の中、無駄に張り切って街中を走ったんだ。この熱は店のクーラー程度じゃ冷ます事は出来ないだろう。

「よいしょ!」

 エイリアンチューニングと熱気のおかげでキックを入れた瞬間カブプロは嬉しそうにエンジンを鳴らし始める。ガレージ中に広がるこのトコトコ音は聴いていて癖になるほど気持ちが良い。

「よし」

 ハーフヘルメットを手早く身につけてシフトペダルをニュートラルからローへ。「バツン」と大げさな音と共にギアが入るとようやく自由時間への開放感を覚える。

「ハハハハハハハ」

 警察の目も無い、目の前に障害物の無い、ハンドルにもカバン以上の無駄な重量も無い、何もかもに解放されたスピード。夜空だって澄み切って星の海がこれ以上なく広がっている。街灯を失い、スーパーの輝きが遠ざかったにも関わらず、前カゴの光も溶け合ってしまうほどに眩い輝き。年代物のカブプロは宇宙船のように軽快にスピードを上げ続ける。

「ハハハハハハハ」

 坂だって、竹林の暗黒海域だってものともしない。今は私自身が一つの流星。私を縛る障害物、その重力圏を軽々と超えて一直線に目的地へ。

「ハハハハハハハ」

 不意に、カブプロが「プスン」と軽い悲鳴を上げる。

「ハハハハ……はぁ?」

 メーターを見ると燃料計が底を差し、先ほどまでの元気が嘘のように勢いがしりすぼみに。私という流星はあっという間に燃え尽きて無様にする。

「ウッ……痛っ……げぇ……」

 私としたことが給油を忘れていた……それどころか、バイクは別にガソリンが無くなったって、最悪勢いさえあれば自転車と同じで真っ直ぐ走ってくれる。あれだけの勢いを活かせばボロアパートの駐輪場まで余裕。バイクから放り出されるように無様に転ぶなんてありえない。

「ごほっ……ハッ、ハハハハ……」

 振り向くとカブプロは右のミラーをひしゃげさせながら転がっていた。ガソリンも無い、原付の命綱である右ミラーも無い。カブプロは最早抜け殻のようで――

「ハハハハ……ウケる……」

 ――それは同時に私自身の姿と重なって、なんだか無駄に笑えてきた。

「ハハハハハハハ」

「ハハハハハハハ」

「ハハハハハハハ」

「ハハハハハハハ」

「ハハハハ……ハァッ……ゴホッ……ハハッ……チクショウ……」

 私は何がおかしいんだ。何で笑っているんだ。何が楽しいんだ。何に怒っているんだ。何が気持ち悪い。何が、何が……。

「はぁ……はぁ……どれもこれも、全部……全部……」

 ああ認めよう、全部、全部、全部!……かぐや、アンタのせいよ……。

 いきなり私の目の前に現れて、カブに、両目に、全身に力を与えて、お金に生活習慣まで……もう何もかもひっくるめてアンタは一方的に変化させた。

 借りを返せていないのが気持ち悪い? いや、それだけじゃない……はず。この感情の正体が何なのかまだ分からない。悔しいのか、寂しいのか……似ているけど違う。

 とにかく! 一方的に与えては何も言わずに消えるのはあのクソ親と一緒で……せめて、せめて計画に巻き込んだのなら、給料分働くわよ! じゃないと、じゃないと不公平よ! 何が恋愛を知りにきただ。こんな小娘一人満足させられないで地球人の感情を知った気になって、アンタの活動体は実態調査の物じゃ無かったの⁉ アンタの不敵で素敵な笑顔は本当にただのお飾りだったわけ!

「か……の……」

 ああみっともない……人間一人で生きていけるってイキっていた私はどこに行った。しかもこんな子供みたいにダダをこねて……こんなの自分で稼いでいないクソガキと同じじゃない。

 でも、悪態の一つついておかないと心が保ちそうにない。ちょうども失ったし滅多に人が来ない所、大声の一つ吐きだしたところで、この声は誰にも届かない。

「か……ぐやの……かぐやの! バカヤロウ――!」

 見上げると、鬱蒼とした竹林の穴から化け物みたいに巨大な月と目が合う。そう言えば、あの日も巨大な満月で、でも今日のは半開きのやる気の無い目。確かに、あんな目で見られたらやる気が削がれると言うか興が覚めると言うか……。

「……帰ろう」

 一通り悪態をついたらそれこそ感情がガス欠になった。どうせ何をしてもしなくても、今日みたいに明日がやってくる。だったらかぐやが残した遺産を活用して一人暮らしをエンジョイした方がアイツに対する嫌がらせになるってものだ。

「ねえエリ、さっきのは酷いんじゃない? 命の恩人にさすがにその態度は無いと思うんだけどな」

「はぁ……」

 幻聴もここまで極まると滑稽というか……私も突然の環境の変化に戸惑っているんだな……。

「おーいそこ。変に勝手に納得しないで。ついでに移動するなら右側に舵をとってくれない?」

「はぁ? 右?」

 幻聴にしてはやけに流暢だなと思いつつ、私はなんとなしにその方向へ体を捻る。

「………………‼」

 視界の中心にかぐやが作ったクレーターが収まる。そう言えば今私がいる場所って、ちょうどあの爆発で吹き飛ばされた地点じゃ……。

「幻聴じゃ……無い⁉」

「おお、やっと気がついてくれた」

「かぐやなの⁉ でも何で、消えたはずじゃ……」

 周囲を見る。上下左右、どこを見ても同じ顔をした竹林が広がるばかりで人間どころか光る竹すら見当たらない。

「どこなのよ!」

「あー……ちょっとショッキングだから心の準備をした方がいいかもしれない」

「もったいぶらないで教えなさいよ!」

 声だけでいえばものすごく近くだ。それこそ対面で喋っている時みたいに近い。それなのに姿だけ全然見えないのは何で……。

「……右」

「右?」

「そう、その……右……手」

「はぁ? ?」

 それは場所じゃ無くて部位じゃない。意味が分からない。

 けれど私はここでもう少しかぐやの言葉に注力するべきだった。もう何度も彼女に驚かされていた事か。

「‼」

「やあ」

 。右手の甲にありえない物が生えて――

「アアアアアアアアアアアアアアァ」

「エリ落ち着いて! 痛い! 叩かないでよ! エリの体がベースだから痛覚を切れない!」

「切らせてたまるかなんだそれ気色悪い! ヒィ、イヤ、イヤアアアアァアアアアァ‼」

「分かった! 分かったから! 引っ込むから早くあの場所まで連れて行って。そうすればエリの中から私を分離できるから!」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 ひとしきり自分の体をイジメるとさすがに頭が冷えて来て、じんわりと痛覚が……。

 痛てえ……。

 とにかく、この訳の分からない状況を解決できるのであればと私はあのクレーターの中へ入って行く。

 それから何をすればいいのかは体が、右手が知っていた。私はその場に跪くと右手を砂地に付けて呼吸を整える。

「すぅ……ふぅ……」

 呼吸のリズムに連動するように、全身に広がる何かが右手に集まってはクレーターへ流れる。一呼吸、二呼吸……その度に砂地は泡立ち、隆起し、一つの形を作り始める。

「すぅ……はぁ……」

 サンドマン……いつの間にか右手はクレーターの砂の中にのめり込み小柄な人型へ、それの根っこのように全身のエネルギーを注ぎ込み始めた。

「おおおおおおおおおおお」

 そして人型の輪郭は見慣れたものに。フィギュアのように屹立すると内側から輝きだし、形成を完了する。

 砂の中から復元されたのはいわずもがなイースからの使者・かぐやその人だ。

「復元完了。まさかこんなに早く復帰できるとは思わなかったなぁ。エリがそんなに私の事を想っていてくれて私は嬉しいよ」

「………………」

「あれ? どうしたの? 表情固まっているけど……」

「………………」

 かぐやの右の親指を捻ってみる。「痛い!」千切れこそしないけど砂袋のような粘土を捻じるような人体とかけ離れた手ごたえ……。

「え、ちょっとエリ、顔怖いんだけど」

「………………」

 全裸だし、この際無駄に大きな胸も揉んでみる。「そんないきなり乱暴な……。でもせめて無表情は止めて」うるさい知るか。別にムラムラしたから触っている訳じゃないし。……でも凄いなこれ……指が埋まるし手のひらからはみ出るし……デカイ。

 って、駄肉の感想は置いておいて。この血管を通さない、温もりの無いひんやりした体温は間違いなくかぐやのもの。原理はサッパリだけど……かぐやが戻って来た。

「……何か言うことは」

「ドッキリ大成功! なんちゃって!」

「ふざけるな!」

 思わずかぐやを突き飛ばしてしまう。で活動体の操作が覚束ないのをいいことに、私はそのまま馬乗りになって彼女を叩く、叩く、叩く――

「ちょっとエリ、さすがにこれは痛いって!」

「嘘つけ! 痛みなんて感じないくせに! 人の痛みなんて分からないくせに! そんなのほほんとした顔しやがって……私がどれだけ心配したか――」

 あれ……おかしい……いきなり視界が……力も……

「エリ⁉ ねえエリ……」

 体の中で張りつめていたものが一気に決壊する感覚。もしかするとかぐやが肉体を再生するのに私のエネルギーを使ったのかもしれない。

 かぐやたちが何かしでかす度に気絶しているようで、そこはすごく悔しい。でも、かぐやは帰って来たんだ。だったら心配した分迷惑をかけてもばちは当たらない……。

「エリ――!……」

 砂のような軽い音と衝突して私の意識は途切れる。不思議な事今感じているのは


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