第120話

 ホリーは戸惑いながらも、正面からジェシカの顔を見つめる。

「複雑なのね……。まあ事情は大体わかったけれど、最後にひとつだけ。そろそろあなたのフルネームを教えてちょうだい」

「えっ! ……それ言わなきゃダメ?」

「あなたが言わないのなら議長か特別顧問から聞くことにするわ。大体、もう家には戻りたくないんでしょう? 今更家に迷惑がかかるとかそういうことを考える必要もないんじゃないの?」

「それは……そうだけど……」


 ホリーが追及するとジェシカは妙に歯切れが悪くなってしまう。口では強気なことを言ってはいても、心のどこかでは父親のことをおもんばかる気持ちが残っているのかもしれないと、ホリーはむしろ安心していた。


「大丈夫よ。それを聞いたからと言ってあなたに何かするつもりもないし。ただ単にしばらく一緒に過ごすことになるあなたのことを、少しでもよく知っておきたいだけ」

「それ、嘘じゃないよね……?」

「ここで嘘ついてどうするの」


 ホリーはそこでジェシカにニッコリと微笑みかける。それを見たジェシカは呆気に取られていたが、ホリーの言葉に他意がないことを理解したのか、呆けた顔が困ったような笑顔に変わっていった。


「お姉さん、それ、ズルいよ! そんな顔されたら勝てっこないじゃん」

「そうかしら?」

「そうだよ。実はお姉さん、相当な男たらしだったりしない?」

「……そんなわけないでしょ。わたしは男っ気はさっぱり」


 ジェシカの突っ込みにホリーはナオキのことを思いだして少しだけ言葉に詰まったが、ジェシカは気にせずにやにやとしている。


「本当かなあ、まあ別にどっちでもいいんだけれどさ」

「それより、ちゃんと教えてくれる、ジェシカちゃん?」

「教えてもいいけど、ちゃんづけはやめてくれる? ちょっと子供扱いっぽいし」

「分かったわジェシカ、これでいい?」

「ありがと、お姉さん……あっ、そうそう、お姉さんじゃなくてホリーって名前で呼んでいい? お姉さんのことは完全に信用したからさ」


 ホリーに対してはすっかり警戒が解けたのか、ジェシカは矢継ぎ早に様々なことを要求してくる。


「まあ、二人しかいない場所でなら構わないわ。それ以外のところでは今まで通りでお願いね」

「やった! ありがとうホリー。じゃあ、私のフルネームを教えてあげる」


 一通り要求を受けいれてもらって満足したのか、ジェシカはようやく本題に入った。


「私の名前はジェシカ・トラバルっていうの。改めてよろしくね」

「ジェシカ・トラバル? 私はホリー・ディザ……えっ?」


 ジェシカの至極あっさりとした挨拶に、ホリーもつい普通に挨拶を返しそうになり、途中でようやくその名前の持つ重大な意味に気が付いて絶句する。

 ホリーの頭の中でトラバルという姓から連想される人物はただ一人しかいない。


「? どうしたの、ホリー?」

「……ジェシカ、ちょっとだけ質問良いかしら?」

「なに?」

「あなたの嫌いなお父さんの名前……もしかして、ジェノ、って名前じゃない?」

「え? ……そうだけど、なんでホリーがそれを知ってるの?」


 事情を良く知らないジェシカは突然父親の名前を言い当てられてきょとんとした表情を浮かべているが、答えを聞いたホリーの方は今度こそ途方に暮れてしまった。




 南部ヴェレンゲル基地、ノーヴル・ラークス臨時作戦指揮所。


 ジェノ・トラバル隊長はしばらくの間無言だった。俺も隊長に対する言葉が見当たらず、無言になってしまう。気まずい空気が隊長室の中を包んでいた。隊長のお嬢さんが仮にWPで戦場に出てきたとしたら、一体どう対処したらよいのだろう。

 軍人として対峙した敵は倒さねばならない。しかし、もしその敵が友か仲間、あるいはその縁者だったとき、俺はその敵を撃つことが出来るのだろうか?

 俺の脳裏にはまたしてもホリー軍曹のことが思い浮かんでいた。ヤーバリーズ基地が陥落した時対峙したホリー軍曹はけん制を繰り返すばかりで、ついにこちらに直接攻撃をかけては来なかった。それもそのはずだ。ついさっきまで味方だった相手の前に敵として立たねばならなかったのだ。それでなくとも心優しい性格のホリー軍曹にこちらを撃てるはずもない。ベゼルグが後見について同行していたのは自分の娘を気遣ってのこともあるだろうが、どう頑張ってもホリー軍曹にはこちらが撃てないのを見越してのことだったのだろう。



 初めてかもしれない。敵を撃てない可能性があるかもしれないと考えたのは。



 次に隊長が重い口を開いたのは、それなりの時間が過ぎた後のことだった。


「済まなかったな、ナオキ曹長。私事の相談に付き合ってもらって」

「いえ、何かのお役に立てたのでしたら幸いです」


 隊長が軽く頭を下げようとしたのを制するように、こちらから頭を下げる。実際、隊長に頭を下げられるほど役には立てていない。ただ、最後に質しておかなければならないことがあった。俺としても聞きたくはないが、これを確認しておかねば今日の話に意味が無くなる。


「それより隊長、もし実際に隊長の想像通りになったとしたら、どうなさるおつもりですか?」


 隊長はその言葉を静かな表情で受け止めた。恐らくは俺がその質問をしてくることを予期していたのだろう。


「……その時は私が全責任を持って事に当たる。WPの操縦者として……共和国の軍人として……何よりも子供の父親として……これ以上の身勝手を許すわけにはいかん……!」


 隊長は一言一言を慎重に区切りながら、しかし決然とした口調で言い切る。その顔にはもう苦悩は浮かんでおらず、実直な職業軍人の顔になっていた。


「戦場でその姿を見ても、ためらうことは無い、と?」

「ためらうものか……自分の子供であっても敵は敵だよ、ナオキ曹長」

「敵は敵、ですか……」


 俺は隊長のその言葉を噛み締める。目前の敵は撃たねばならない。それが軍人の使命なのだから。しかし、そんなことが出来るのだろうか。相手は自分の実の娘なのだ。

 そこまで考えてから俺は静かに首を横に振る。

 ……よそう、これ以上は隊長自身の問題だ。俺は俺の抱える問題に挑まねばならない。

 隊長は俺の様子を見ながら、何かに納得したような表情で小さくうなずく。


「ご苦労だったねナオキ曹長。もう下がっていいよ」

「その前にもう一つだけ。お嬢さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、そうか。君には教えておいた方が良いな」


 隊長はその言葉に首を縦に振ると、机の引き出しから一枚の写真を取り出し俺に見せる。

 ジェノ隊長の家族の写真らしい。ジェノ隊長とその隣には隊長の奥さんらしき女性、そして男女二人の子供が写っている。女の子の方が頭ひとつ分くらい男の子より背が高い。ショートヘアで勝気な顔をしている。


「ここに写っている女の子が私の娘だ。名前はジェシカ」

「ジェシカさん、ですね」


 俺は写真をじっくり見ながらジェシカという名前を記憶に刻み込んだ。なるべくならばその名前を戦場では聞くことのないようにと願いを込めながら。

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