諸刃の能力者

甘夏みかん

第一話 邂逅


 顔面に和菓子が飛んできた。比喩ではなく物理的に。


 朝比奈あさひな 和哉かずやは目を覚まして、一番最初にそのことを思い出す。下校時間に帰路を歩いていた際、一瞬で顔面を餡子まみれにされたのだ。まるで吸い込まれるように、晴れた空から落ちてきたそれは、和哉目掛けて飛んできていた。そして、甘い匂いに包まれながら意識を失い、気が付けば首から下が水に浸っている現状。


(もしかして、死んだ? 顔に和菓子が当たって死んだの? 何その死因!?)


 餡子によってあの世へと送られた予測と、格好悪すぎる原因に絶望する和哉。確かに今朝の星座占いで、「最下位は魚座のあなた。顔面に和菓子が飛んできます」と言われた。だが、一体誰が本当に起こるなどと思うだろうか。予測できた魚座の人が何人居たのか気になるところである。


(いや、まだだ。今浸っている水が三途の川だとすれば、渡っている最中なのかもしれない。つまり、現世に戻れる可能性がある!)


 自分を奮い立たせて顔を上げた和哉は、眼前に広がる寝殿造の一室に美男美女の二人組を見つけた。構造や東中門廊ひがしちゅうもんろうと繋がっているところを見ると、二人が居る部屋はひがし対屋たいのや。邸の主人の妻子が生活する場所だ。


とき姫。その手に持っているものを此方にお渡し下さい」


 毛量の多い焦茶髪の少年が少女に向けて右手を伸ばし、一見余裕そうな表情に焦燥の色を滲ませている。ふわふわとした触り心地の良さそうな猫っ毛は、真っ直ぐで絹糸のような黒髪の和哉とは正反対だ。

 切れ長な紫色の瞳と鼻が高くスッキリとした顔立ちが、聡明さや凛とした印象を与えているが全体的に若々しい。成人済みには見えない為、年の頃は十八か十九ぐらいだろうか。服は半色の単衣と紫色の袴の上に白い狩衣を着ており、前に突き出した右手の親指には銀色の指輪がはめられている。


「お断りじゃ!」


 毛先が緩く波打つ栗梅色の髪に赤い瞳の美少女が、後ろ手に何かを隠しながら悪戯っぽく笑った。鎖骨まで伸びた髪をハーフアップに纏めた彼女の衣装も和服で、たくさんの白や桃色の花が咲いた赤い着物に金の帯を巻いている。

 ふっくらとした唇と大きな瞳はあどけなく、小顔で可愛らしいタイプなのに、透明感のある白い肌や漂う色香が蠱惑的で色っぽい。色気とあどけなさが絶妙なバランスで成り立っていた。だが、此方も成人しているようには思えない。童顔なのを差し引いても、二十歳に満たないだろう。


 歴史オタクと呼ばれるほど歴男な和哉は、二人の本格的な和装と立派な寝殿造に、欣喜雀躍したくなるのを何とか抑止する。こういう時は、見つからずに状況を把握してから、そこの住人に話しかけるか決めるもの。見つかると殺される恐れもある。そう考えて、目の前で何かを取り合う少年少女が、どこかに行くまで息を潜めることにした。


「李姫はもうお腹いっぱいなのでしょう?」


「うん。でも、いとにはあげないのじゃ」


 李という名前の悪戯っ子は喜色満面で、手の中のものを渡したくないというより、彼を揶揄って遊ぶのを楽しんでいる。断られたことで目に闘志を燃やす絆と呼ばれた美少年。何が何でも欲しいのか、単なる負けず嫌いなのか。彼をよく知らない和哉には判別できないが、冀求するような顔を見て何となく前者な気がした。


「分かりました。では、少し拝見するだけで構いません。それで納得しますから」


 絆は李を見つめて少し考え込んでから、大根役者を思わせるわざとらしさで溜息を吐く。言葉とは裏腹に紫色の瞳には俄然闘志が孕んだままで、どう考えても諦める気など微塵もないと伺えた。


「しょうがないなぁ。はい」


 少女も彼が何か企んでいるのを察したか。着物の袂から取り出した扇子を左手に持ち、あたかも手中のものであるかの如く、観念したように左手を相手の方に差し出す。


「有難う御座いま——。……おい、こら」


 お礼を言いながら開いた扇子に視線を落として、物言いたげな顔でノリツッコミをする絆。手中に収まっている開かれた扇子は、持ち主の髪色や着物によく合う色合いだった。

 無数の白や黄金色の花が散らばった、幅が少ない扇面は瞳より暗めの赤色。そこ以外は親骨も中骨も全て黒一色で、中骨には白兎や金の花が描かれていて可愛らしい。


(さっきまで丁寧な口調だったのに、ツッコミとはいえいきなり荒くなったな)


 先程からの呼ばれ方的に、李の方は身分が高いのだろう。少年は彼女に仕える侍従か? だが、今のノリツッコミは、思いっきりタメ口だった。しかも、見た目に反して割と口が悪い。ついでに言うと、李の喋り方が若干おかしいというか、口調がブレている気がするのだがわざとなのだろうか?

 二人の関係性や口調について考える和哉の視界で、絆が我慢の限界だと言わんばかりに声を大にして叫ぶ。


「私が拝見したいのは貴女がお持ちになっている団喜だんきですよ!」


「これはダメじゃ!」


 無邪気に嬉しそうに笑って一歩下がる少女。その動きに合わせて、金色のピアスが揺れた。団喜は米や麦などをこねて作られた生地で、木の実を金袋型に包んだ平安時代のお菓子だ。貴族のみに与えられた食べ物で、一般市民は口にすることができなかったらしい。


「私を助けると思って、最後の一個はお譲りいただけませんか?」


「そっちこそ、侍従として最後の一個は笑顔でボクに譲ってくれたっていいじゃろう?」


「お断りします。私が甘味を好むことはご存知でしょう? 五個では物足りぬのです」


「それはしょうがないのじゃ。今日貰った団喜は、十一個だったんじゃから」


 態度をガラリと変えて何故か余裕綽々に話す絆に、相変わらず茶目っ気たっぷりな顔で返事をする李。いつまで続のか分からない和哉は、目の前の変わらぬ光景に溜息を吐いた。

 六個食べないと満たされないらしい甘党は、焦りを感じさせない口調で悪戯娘と口論中。第三者から見ると笑止千万なやり取りは、残念ながらしばらく終わりそうにない。


 絶望感と寒さでブルリと体を震わせる。そろそろ水中から出たい。顎の下までどっぷりと水に浸かっていて気持ちが悪いのだ。それに雪が降っていて水温が低い為、身体が芯まで冷えている。そろそろ指の感覚がなくなりそうだった。

 十五年間、犯罪も犯さず真面目に生きてきたというのに、どうしてこんな酷い目に遭わないといけないのか。自身に降りかかる不幸に、和哉は泣きそうになる。


「このままでは埒が明かないので、最終奥義を使わせていただきます」


「最終奥義?」


「後で拗ねないでください、ね!」


「んっ……う、えっ!?」


 すると、覚悟を決めた表情の侍従が、紫色の瞳を鋭く光らせてスッと細めた。そして、キョトンとして首を傾げるお姫様の右手首を掴み、親指の腹で一撫で。そのまま、艶かしい声と共に膝から崩れ落ちた彼女を、畳へと縫い付けるように優しく押し倒す。

 細身とはいえ男の力で押さえつけられて、小柄で華奢な李はこれで動けなくなった。唯一自由な左手にある団喜を取られないよう、腕を頭上に伸ばして遠ざけつつ悔しそうにしている。


「さぁ、観念して団喜を私にお渡し下さい」


「……ッ」


 見事に形勢逆転した甘味に飢える悪どい笑みを浮かべた狼の要求に、ネギを背負った鴨が拗ねた表情でそっぽを向いて無視した。しかし、少しの間それを見つめていた絆に、左脇をくすぐられて無反応を貫けなくなる。

 端正な顔に笑みを咲かせ、足をばたつかせる李。右手首を抑えられ、左手に団喜を持っている為、どうにもならないのかされるがままだ。左脇を守るように段々と下がってくる団喜に、少年が口角を上げて勝利を確信した瞬間。


「こ、の……っ!」


「ええっ!?」


 せめてお前だけでも逃げろと言わんばかりに、少女の最後の抵抗によって団喜が宙に投げられた。抵抗のされ方が予想外だったのか、ふわりと空を舞う和菓子に目を丸くして驚く絆。李の手から離れた団喜は、空中で綺麗な弧を描いてから。


「むぐっ!?」


「「!?」」


 勢いよく和哉の顔面に直撃した。本日二度目の和菓子による攻撃で、思わず口から出た和哉の声に少年少女が酷く驚いたように視線を向ける。


(取り敢えず、これからは星座占いを信じよう)


 和菓子によってバランスを崩した和哉は、心に誓いを立てて水の中に背中から落ちた。

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