第二話 旅の僧侶
「ダリオンの旦那なら、ほれそこだよ」
酒場の主人は、壁にかけられた剣を顎で指して言った。
旅の僧侶と思しきその男は、意味が分からないといった様子でしばらく壁の剣を見つめていたが、やがてその意味を飲み込んだらしく肩を落とした。
「……お亡くなりになったのですか」
「あぁ、ちょうど一年位前か。いつものように迷宮に入って、とうとう帰ってこなかった。半年前にあの剣だけが見つかってな。あんた知り合いかね?」
「はい。私は各地の迷宮に関わる伝承を蒐集する役目を負っているのですが、ダリオンさんとはその縁で」
「それならダリオンの旦那以上の適任者はこのオルムにはいないな。それで、旦那の話を聞きに来たって訳か。残念だったな」
「いえ、ダリオンさんからはだいぶ前にもうお話を伺っているのです。興味深い逸話をたくさん教えていただきました」
「じゃあ、なんだってまた」
「それが、一年ほど前に彼から手紙を受け取りまして」
そういって、旅の僧侶は鞄から封筒を取り出して見せた。
「……帝国語か。読めねぇな。あんた帝国の人かね」
「はい。帝都のパルフォン神殿にて、書の神カイガルに学僧として仕えています」
「それにしちゃ訛りが全然ないな。気が付かなかったよ」
「もう何年も前から昔話を集めるためにこの国を巡っておりますので」
「なるほどな。で、手紙にはなんて書いてあったんだ?」
「またいくつか面白い話を集めた。興味深い遺物も拾ったので、近くを通ることがあったらぜひ見に来てほしい、と」
「遺物ねぇ……そんなこと、旦那は一言も言ってなかったな。あの旦那のことだ、大喜びで皆に自慢しそうなものなのに」
酒場の主人は首をかしげた。
旅の僧侶は、手紙を大事そうに封筒に戻しながら答えた。
「惜しいことをしました。いつでも会えるとついつい後回しにしたばかりに、聞きそびれたようです」
「まぁ、旦那も冒険者だったからな。しかし、読み書きができるのは知っていたが、帝国語まで使えるとは知らなかった」
「そうなのですか? 他にも、南方語と古王国語もある程度読めるようでしたよ」
「……長い付き合いだと思ってたが、まったくの初耳だ。なぁ、人違いじゃないか? 本当にあの〈白髪のダリオン〉か?」
酒場の主人は、旅の僧侶に探している男の特徴を問いただしてみたが、外見に関する限り確かにそれは彼の知るダリオンと同一人物であるらしかった。
「う〜む……確かに間違いなさそうだ。大体、総白髪の老冒険者なんてここには旦那以外にゃいないしな」
しかし、と酒場の主人は内心で首をひねった。確かに外見は一致するが、この僧侶の話から受ける印象は、彼が知るダリオンとはまるで別人だった。
「あんたの話を聞いてると、まるでダリオンの旦那が学者様か何かの様に聞こえるよ」
「えぇ、確かに。冒険者よりは学者の方が向いていそうな方でしたね」
「そんなそぶりは欠片も見えなかったが……一体何者だったんだ?」
「私もこの町で長年冒険者をしていたとしか聞いていません」
「……冒険者稼業の過去を探るのも野暮か。まぁ、面白い話を聞かせてもらったからな。一杯サービスしよう。どれでもいいぞ」
店主がそういうと、旅の僧侶は迷うことなく棚の隅を指して言った。
「じゃあ、それを」
そこには、奇妙にくびれたラベルのない酒瓶が埃をかぶっていた。
「本当にこれでいいのか?こっちにゃボンドルの二十年ものだってあるぞ」
「いえ、それで」
僧侶は繰り返した。
「……あんた目利きだな。いいのか、坊さんがこんなの飲んで」
苦笑しながら問うた店主に、僧侶は微笑みながら答えた。
「少量であれば。私が仕えるカイガル神は、それを知恵の水と呼びますれば」
酒場の主人は、ふっと笑って酒瓶から埃を払うと、蓋を開け酒杯に注いだ。濃厚なオーク樽の香りが周囲に広がった。
「そういや、あんた名前は?」
「申し遅れました。マルトスと申します」
それを聞いて、酒杯を差し出そうとしていた主人の手が止まった。
「あんたがマルトスだったのか」
「何かありましたか?」
「ダリオンの旦那からあんたに預かってたものがあるんだ。まさか、旦那に坊さんの知り合いがあるとは思ってなかったもんでな。すっかり忘れていたよ。すまなかった」
そういって、主人は店の奥に引っ込むと、小さな包みを手に戻ってきた。
「これだ。行方不明になる一ヶ月ぐらい前かな。自分が迷宮に潜っている間にマルトスという男が来たら渡しておいてくれって頼まれてたんだ。てっきり相手は商人か何かだとばかり……」
「いえ、構いませんよ。こうして無事に私のもとに届いたわけですから」
マルトスはそういってそれを受け取ると、その場で包みを解き始めた。中身は古ぼけた手帳だった。マルトスはそれを丁寧にめくっていく。
「……なんだこりゃ?」
店主は興味を惹かれて手帳を覗き込んだものの、そこには見慣れない文字のようなものがびっしりと書き込まれているばかりで何が書かれているかはさっぱりわからなかった。しかし、マルトスはかなり興味深げな様子で頁を繰り続けている。
「……帝国語でも、古王国語でもないようですね」
「じゃあ、南方語ってやつか?」
「いえ、それも違うようです。暗号でしょうか? あるいは……」
マルトスが背表紙を確認しようと手帳をひっくり返した拍子に、何かが頁の隙間から転がり出てきた。歪な形の古い銅貨だった。マルトスはそれを拾い上げて、しげしげと眺めていたが、やがて何かに気がついたらしくその目がすっと細まった。
「どうやら、これが手紙にあった遺物のようですね」
「俺も見せてもらっていいか?」
「どうぞ」
店主はマルトスから受け取った銅貨をしばらく眺めていたが、彼の眼にはごくありきたりな古銭にしか見えなかった。〈地底都市〉あたりでは珍しくもない。迷宮の遺物には違いないにせよ、たまに好事家が買い取る以外には銅の重さと同じ値で引き取られる類のものだ。
「なんだってわざわざこんなものを……」
「よくごらんなさい。尻尾を咥えた海龍が刻印されているでしょう?」
「あぁ、確かに。言われてみれば、こんなのはここの迷宮じゃみたことがないな」
「これは、〈海神の祠〉の深部でよく見られるものです。古代の人々が、海神に奉納するために鋳造した物と考えられています。〈祠〉の外で見つかった例は今のところ殆どありません」
「へぇ、それなりにめずらしい物なんだな。金にはなりそうにないが」
店主はそういいながら、もう一度海龍の刻印に目を落とした。ふと、以前に〈モグラ〉と交わした話を思い出す。
「そういや、ここの〈大鐘乳窟〉は〈海神の祠〉とつながってるって噂があったな」
「えぇ、ダリオンさんも以前私にその話をしてくださいました。彼も、その話と何か関係があると考えて、この銅貨を遺したのかもしれません。まぁ、あちらを探索した冒険者が持ち込んで、うっかり落としていっただけという可能性もあります。この銅貨がどこで、どんな状況で収集されたのか聞くことができればよかったのですが……」
そういいながら、マルトスは再び手帳を開いた。
「どのページに挟まっていたんでしょうね。もしかしたら、そこに何か記録を残してくれているかもしれません」
彼はパラパラと手帳を手繰っていたが、それらしき書込みを見つけることはできなかった。どの頁も、たまに意味深な絵図が描かれている他は、例の文字のようなものがびっしり書き込まれていた。
やがて、最後の頁をみたマルトスが「フム」と声を上げた。店主が覗き込むと、そこには彼にも見慣れた王国語の文字で書込みがあった。
『まもなく扉が開く』
店主と、僧侶は顔を見合わせた。
「……なんでしょうね、これは」
「わからん」
二人はしばし沈黙した。
やがてマルトスが、酒の入ったコップに口をつけてから言った。
「この手帳は書の神殿に送ることにします。あそこなら、様々な暗号や古代語に精通した学僧が多くいますからね。何か分かるかもしれません」
「……それがいいだろうな。俺も、腕の立つ奴らに話して、何か知らないか聞いてみよう」
「よろしくお願いします。何か分かりましたら、また立ち寄った折にでも教えていただければ幸いです」
「おう、そっちも中身がわかったらよろしくな」
「えぇ、必ず」
マルトスは酒杯の中身をゆっくりと楽しんでから店を後にした。
ふらつくことなく、しっかりとした足取りで出ていくその後ろ姿を見送りながら、店主は近頃暇を見つけては〈大鐘乳窟〉をふらついているらしい男のことを考えた。
最初に話すのは、やはり〈モグラ〉にしよう。アイツなら、他の奴らより興味を持ってくれそうだ。
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