オルム大迷宮奇譚

ずくなしひまたろう

プロローグ・ある冒険者の死

 迷宮ダンジョンがあれば人が集まる。人が集まれば町ができる。オルムはそんな迷宮の町の一つだった。


 オルムの冒険者で〈大鐘乳窟のヌシ〉こと〈白髪のダリオン〉の名を知らない者はいなかった。

 さほど腕が立つわけではなかった。誰とも組まずに一人で迷宮に潜っては低層でスライムやゴブリンといった小物を狩って日銭を稼ぎ、夜になれば町に一つしかない酒場で羽振りのいい奴を見つけて酒をせびるのが日課だった。本人は『ガストルソンのダリオン』と名乗っていたが、そのガストルソンがどこにあるか誰も知らなかった。ずっと北の方にある寒村らしいという話だった。齢はもう50と少し。迷宮で野垂れ死ぬ日も近かろう、というのが衆目の一致するところだった。引退して別な商売を始めるとは誰も考えなかった。彼が、狩人が森を愛するように、迷宮を愛していることを町の誰もが知っていた。

 彼のことを悪く言う者はオルムの町にはいなかった。誰に対しても愛想がよく、町の衆に暴力をふるうこともなかった。金払いは細かったが、ツケをためることもなかった。それどころか、いつも小金を貯めていて、困窮している者があればそれをポンと貸し与えることすらあった。そのまま持ち逃げされた時にも、「ギャンブルですっちまった」といって寂しそうに笑うだけだった。

 彼はオルムの迷宮を誰よりも知っていた。ことに第一層〈大鐘乳窟〉から第二層〈地下迷宮〉にかけては彼の庭のようなものだった。罠の見抜き方、出現する魔物の生態と対処法、注意を必要とする危険な場所。面倒見がいい彼は、新人を見かけると長年にわたって溜めこんだ知識ややり方を惜しげもなく伝授した。神の恩寵も、魔法の力も、特別な身体能力も、何一つ持たない非才の身でありながら、大きな怪我もなく迷宮を一人で生き抜いてきた彼の言葉は、誰にとっても聞く価値があった。特に危なっかしい者には、わざわざついて行って手取り足取り探索の基本を教え込むこともあった。

 一人で迷宮に入ろうとしている者を見かければ、声をかけてどこか適当なパーティーに斡旋してやった。何しろ顔の広い男だった。オルムの町の冒険者であれば、誰であれ一度は彼の世話になったことがあった。もっとも、彼自身はいつも一人で迷宮に潜っていた。パーティーに誘われても、「一人で気ままに歩きまわるのが好きなんだ」と言って断るのが常だった。

 ダリオンは、お礼としての金品は決して受け取ろうとしなかった。唯一、酒の奢りだけは気分よく受けた。それも、そいつに大きな稼ぎがあった時にだけだ。ダリオンに酒をせびられるのはオルムの冒険者にとって一種のステイタスであり、幸運のまじないのようなものだった。

 彼は酒せびるついでに、自身では潜ることができない深層の話を聞きたがった。どんな話も真剣に聞き入るので、誰もが気分よく話をした。そのうちに、彼は深層についてさえ誰よりも詳しくなっていた。おおよそ、オルムの迷宮について人間が知りうることで、彼が知らぬことはなかった。それでもなお、彼はまだ見ぬ深層の話を子供の様に目を輝かせてせがむのだった。

 一度、護衛してやるから連れて行ってやろうと持ちかけた者がいたが、彼は笑いながら断った。

「俺も冒険者だ。冒険者が護衛を雇って観光客の真似事なんかできるかよ。いつか自分の力でいくさ」

 彼自身が冒険者として大成することはついになかったが、彼が世話した者の中にはそれなりに名を上げた者が少なくなかった。「巨人殺しのベイツ」、「月鏡のミリア」、「浮気者のマルコ」、いずれも王国で十指にはいる腕利きたちだ。中でも、遠く帝都までその名が轟く「不死身のザイガン」などは、ダリオンを我が師匠と公言してはばからなかった。

 そんなダリオンが行方不明になったことで、町はちょっとした騒ぎになった。

 最初に気が付いたのは酒場の主人だった。いつものように迷宮に潜ったきり、一週間を過ぎても姿を現さなかったのだ。低層を縄張りにしているダリオンが、何日も迷宮に籠るなどめったにあることではなかった。噂を聞きつけた冒険者が自然と集まり、大規模な捜索が行われた。迷宮で命を落とす冒険者は珍しくない。こうした捜索が行われること自体が異例であった。

 何の手がかりも見つからないまま幾日かが過ぎた。捜索隊は集まった時と同じように自然と解散し、捜索は打ち切られた。彼の行方は杳として知れぬままだった。

 半年たって、一人のよそ者が錆びた剣を迷宮から持ち帰った。何も知らないその男は、それをクズ鉄として鍛冶屋に売り払おうと考えていた。酒場の主人がダリオンの持ち物であることに気付き、その場で剣を買い取った。そしてそれを店の目立つところに掲げた。

 相場よりも高値で買い取る羽目になったが、元はすぐに取れた。剣を目にした誰もが、ダリオンのために一杯余計に酒を注文していったからだ。

「なんともまぁ、最後まで世話になっちまったな」

 酒場の主人は壁に掲げられた剣を見上げてつぶやいた。

 彼も、かつてはオルムの迷宮を彷徨う冒険者の一人だった。

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