第30話 やがて海へ

「キャー!!! 落ちるー!!!」

 

 操の絶叫が、パージ船が所狭しと並ぶ運河に響き渡った。レンは橋の下に係留されているバージ船に街灯を突き立て、左手の磁力で勢いを殺しながら滑り降りた。街灯を突き立てた際の衝撃で船は傾き、周囲に大きな波紋を広げていた。


「痛たたた……」


 勢いを殺しても、着地の瞬間に手を離してしまい尻もちを着いた操。怪我はなかったものの、お尻をさすりっていた。そんな操に手を伸ばしながらレンは話しかける。


「ちゃんと掴まってって言ったじゃん」

「そんなこと言ったって、無理だよー! 船に飛び下りるなんて聞いてないもん!!」

「さぁ、行こう。たぶん穴が開いたから、この船もう沈むよ」

「えー!! あ、ちょっと! ヤダヤヤダ!! 恥ずかしいよぅ」

「これなら落ちないで済むだろ?」


 操はいきなりお姫様抱っこをされて、顔を赤らめた。レンは実利を考えてこうしてるのに何で恥ずかしいんだ? と不思議に思いながらも、先を急ぐことに。

 レンが、先の船に飛び移ったと同じくらいに、蓮實が橋の上から落ちて来た。全身鋼鉄製で重量のある蓮實がバージ船に落ちると、浸水して半分沈んでいた船は、さらにバランスを崩して水面に飲み込まれていった。


「勝利ー!」レンは船を飛び移りながら叫んだ。「勝利! タグボート出せ!!」


 何度も叫んでいると、住まいのバージ船からひょっこりと勝利が顔を出した。レンは勝利の船まで飛び移ると、勝利の目の前まで駆け寄って叫ぶ。


「タグボートでスクラップ場まで引っ張れ!!」

「うるせ! 近くで叫ぶなや!!」

「いいから早くしろよ。操も、勝利の後をついていけ」

「分かったぜ……」


 突然の事に訳も分からず憤慨した勝利だったが、いつになく真剣なレンの表情を見て事態の深刻さに気が付いた。しかし、操はレンと離れ離れになることに躊躇する。


「でも、レン君……」

「俺は大丈夫だから、早く」


 しかし、こんな状況でも、気遣って優しい微笑みを見せてくれるレンに対し、操は自分もしっかりしなくちゃと気を取り直し、彼に対して笑顔を振り絞る。


「死んじゃダメだかんね!」

「ああ……」

「操ちゃん行こうぜ」


 操はレンの微笑みに一抹の不安を覚えながらも、勝利の後を追ってバージ船の先に停泊しているタグボートへ向かった。


 曳航され動き出したバージ船の薄いトタン屋根の上で、レンは蓮實を待ち構える。川底に沈んだかに見えた蓮實は、すぐに川面から飛び出してきた。そして、幾つもの船を半ば沈めながら飛び移ってきた。ついに、レンの居るバージ船の屋根に飛び移ってきた時も、その体の重さのためにトタン屋根に両脚が突き刺さっていた。


「考えたね! ただでは倒されないということか」


 蓮實は怒りというより喜んでいるような口ぶりで話しかけてきた。レンは答えず、しゃがみこんで左腕を後ろから前に振った。磁力によって剥がれたトタン屋根が蓮實に向かって飛んでいく。蓮實の方は蠅でも振り払うかのように難なくトタン攻撃をかわした。レンは瞬時に接近すると、蓮實の後方に飛んだトタンを引き戻す。後方に気を取られた隙に、手元のトタンを前から投げつけた。


 ――ザクッ!


 動きの変化したトタンが一枚、避けきれなかった蓮實の右側頭部を掠めた。


「小賢しい真似を!!」


 血の噴き出た部分を手で押さえて止血し、蓮實は周囲に落ちたトタンを丸めて圧縮すると、いびつな鉄塊をレンに向けて投げつけた。レンは左手を前に突き出して、鉄塊をコントロールしようとする。


「させるか!」


 蓮實は、強引に屋根を突き破りながら前進し、左手を前に掲げた。磁力の流れに乱れが発生し、レンは自身の磁力を断ち切った。そのおかげで蓮實の引っ張る力だけが残り、多少は減速した鉄塊。しかし、完全に避けきることが叶わなかった。

 トタン屋根を破りながら、バージ船の突端まで吹っ飛ばされたレン。間髪入れず、空中から蓮實の足が襲い掛かってくる。左手でガードするも、一緒になって船底まで転げ落ちて行った。瓦礫に飲み込まれた船底から、レンは先に脱出して、左腕をだらんと下げた姿勢で船内を後方へと逃げる。


「くっそ、もうちょっとだ」


 壊れた壁の隙間から鉄道橋の下を潜ったのが見えた。レンは左腕を触りながら、故障具合をを確認する。


「クッ……、関節に、かなりきてる……」


 鋼鉄の左腕からは外装の断片が剥がれ落ちて、ボコボコになった箇所が出来ていた。微妙な歪みが出てきて関節が軋む。レンは、船倉に隠れて蓮實をやり過ごす。


「レン! 何処に居るんだ? レン!! 隠れても無駄だよ!!」


 蓮實は、船倉を破壊しながらレンを追い詰める。


「レン! 出ておいで!! 早く出てこないと、船ごと沈めるよー?」


 柱が折られて天井が崩落する。 

 破壊されていくことで、どんどん隠れる場所が狭まっていった。レンは住んでいた部屋に逃げ込み、マットレスを壁に立てかけて食用油をぶちまけた。


「そこか!! レン!!!」


 蓮實のパンチが壁とマットレスを突き破って部屋に顔を出した。


「バイク? クソッ! なんだこれは!?」


 部屋に侵入した蓮實が見たものは、スーパーカブに跨りエンジンを吹かすレンの姿。突き刺さったままのマットレスが、中に詰まったスプリングの所為で腕に絡まったままだ。しかも、部屋に火の手が上がっていて、油の掛かったマットレスにも燃え移っていた。


「待て! 待たんか!!」


 クラッチが繋がれたバイクは、瓦礫の山と化した甲板をタグボート目指して突き進む。舳先からジャンプしたバイクは、タグボートの後部甲板へと着地を試みる。レンの左手が伸ばされ、磁力で引き寄せる。


「させるかぁ!!」


 バージ船の舳先から黒焦げになった蓮實が左手を掲げていた。バイクが後ろに引っ張られ、海面に墜落する。


「あー! 俺のスーパーカブ!!」

「何言ってんの勝利くん! 早く、エンジン止めて!! レン君が、スクリューに巻き込まれちゃうよ!!!」


 勝利は操舵室に駆け込み、エンジンを切った。操は、緩んだロープを外してバージ船を切り離した。


「レンくーん! レンくーん!!」

「レーン!!」

「死んじゃダメ! 死んじゃダメって言ったじゃんか!!! うっうぅ……」

「バカ! 諦めんなよ!! あいつはそんな簡単に死ぬわけねぇじゃんよぅ。ウェーン!!!」


 操のすすり泣きを掻き消すくらい号泣しだした勝利を横目で見る操。それを見て少し冷静さを取り戻し、海面をつぶさに見まわすと。


「あ! レン君!!」


 海面にレンの頭が浮かんできた。


「泣いてないで、浮き輪!!」

「お!? レン!! 生きてるって信じてたぞ!!」

「叫んでないで、早く投げなさいよ!!」


 ロープの付いた浮き輪に掴まり、レンはタグボートに引き寄せられる。船尾にたどり着き、操の手が伸ばされた。


「もうちょっとだよ! さぁ、つかまってレン……」


 あとちょっとで手が届くかに見えた刹那、大きな水しぶきがレンの姿を搔き消した。バージ船から勢いをつけて飛躍した蓮實が、レン諸共、海底へと引きずり込んでいったのだ。

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