第24話 山の上の動物園

 10月の晴れ渡った日曜日。退院したレンは、操と一緒に山の上にある動物園に来ていた。


「ねぇ操! 本物のゾウだよ! 大きいなぁ!!」

「待ってレン君! 駆けないの!!」


 レンは柵にしがみ付く小学生や幼児に混じり、その中でも一番目を輝かせて見つめていた。映画の中では見たことが有ったが、実際に動物園に来るのが初めてたっだのだ。


「わぁー、鼻が長いなぁ!」

「もう、待ってたら! はぁ、子どもじゃないんだから。小さい動物園なんだし、すぐ全部回れるのに」

「だってさぁ! あんなに大きいんだよ? ああ、こんなに近くにあるなら、もっと早く来ればよかった」

「これからいつでも来れるでしょ?」操はやっとのことでレンの隣に追いついた。

「そうだね。でも、仕事探さないと毎日来れないや」

「仕事してたら毎日来れないでしょ?」

「あー、難しい問題だ!」

「どこがよ! 毎日来てたら飽きるわよ。ホントおバカさんなんだから」


 そう言って、操はレンの右腕にギュッと抱き着いた。


「どうしたの操?」

「すぐどっか行っちゃうから」操はレンの肩に頭を寄せる。「迷子にならないように掴まえてあげたの!」

「大丈夫だよ操。俺は目が良いから、遠くからでも操のこと見つけられるよ」

「もう! そういう事じゃなくて……。ふふっ。ねぇ、次はキリンを見に行きましょ?」

「え? キリンも居るの! どこどこ?」


 操にとっては、飽きるほど来た近所の動物園だったが、何にでも新鮮に感動するレンと一緒に回っていると、自分まで初めてみたいに楽しい気分でいられることを実感した。その後、動物園をくまなく回った二人は、併設された遊園地へ移動してお昼ご飯を取ることに。ベンチに座り、操の持ってきたバスケットを開けると、中にはサンドイッチと唐揚げが入っていた。


「唐揚げは昨日の残りものなんだけどね。って、ああ! そんなに口に詰め込まないの!!」

「あって、ふぃはひふりあんだおん!(だってひさしぶりなんだもん)」

「ゴメンね。すぐにまた来て大丈夫になるよ」


 危険な仕事を請け負っていたことが食堂の叔父叔母にバレ、付き合うことに難色をしめされた二人は、ちゃんとレンが定職を見つけるまで会うことを禁じられていたのだ。そのため、今日のデートも内緒で来ていた。唐揚げを飲み込みレンが口を開く。


「ううん、俺が悪いから。本庄さんの紹介で、また腕をくっつけたら用心棒で雇ってくれるところとかはいっぱいあるんだけど。俺、自分の体だけで頑張りたいんだ」

「そうだね。怪我する仕事は、私もして欲しくないよ。景気も良くなってきたってお店に来るお客さんもよく話してるし、そのうち何か見つかるよ。あ、唐揚げばかり食べてないでサンドイッチも食べなさい!」

「フググッ!」


 操に口の中に突っ込まれたサンドイッチで息が詰まったレン。そんな、何処にでもいる普通の恋人たちみたいに過ごしていると。すぐ目の前を、5歳くらいの小さな女の子が泣きながら通りすぎていった。ウェーブしたブルネットの長髪に前髪の上で結ばれた可愛らしいリボン。お人形さんみたいな水色のふわふわのワンピースを着ている。


「あれは、迷子かしら?」操は近寄って声を掛けた。「どうしたの? お母さんお父さんは?」

「ふぇ?」


 女の子が目頭を押えていた手を退けて、操を見上げた。その瞳は青く、まるでフランス人形のようだった。


「ええ?! 外人さんだ! 日本語じゃ分からないのかな?! ええと、ウェアイズユアパレンツ?!」

「ん?」


 目の前の操を何言ってんだこいつというような目で幼女は見ている。


「あわわ、通じないよう!!」

「操、英語できるんだ凄いな!」

「出来てないから、慌ててるんじゃん! 迷子の預かり所は、ええと?」


 慌てふためく操をよそに、レンは幼女の前にかがみ込んで微笑みかける。


「Bonjour」レンはフランス語で話しかけた。「Comment vous appelez-vous?」


 幼女は興味深そうにレンの顔をマジマジ見たあとに答えた。


「Louise」

「Louise……」


 レンはその後も幼女と操の解らない言語で会話を続け、やがて強張こわばっていた女の子の顔が段々と笑顔になっていった。その様子を見て落ち着きを取り戻した操が口を挟む。


「え?! フランス語だよね?」

「そうだよ。フランス人ぽかったからフランス語で話しかけたんだよ」

「いや、そういう事じゃなくて、あれ? そういう事かな?!」


 操が混乱していると、観覧車のある方から女性が叫びながら駆け寄ってきた。


『ルイーズ!!』

「Maman!」


 幼女は、近づいて来た青い瞳にブルネットの中年女性に抱き着いた。こうして、迷子は解決し、母親から英語で感謝の言葉を掛けられるも、英語の分からないレンはどう言えばいいか分からず、代わりに操がつたない英語で返事をしたのだった。


「はぁー。びっくりしちゃった!」

「俺も良く英語できないのに外人に話しかけられるよ」

「そうじゃなくて! レン君フランス語出来るなんて凄いじゃん!」

「オーパがスイスに居たことが有るから、ドイツ語の他にもフランス語とイタリア語は話せるよ。中国語は漢字が苦手だから忘れちゃった」

「ドイツ語の他にもって、それも初耳なんだけど。レン君。あなたって知れば知るほど不思議な人ね。しかもそれってさ、もしかしたら仕事に活かせるんじゃないかしら?」

「そうかな? 英語が出来る操の方が凄い気がするけど」

「私のは、中学英語よ! それも、発音ダメダメだし! たまに外人のお客さんくるけど、なかなか通じなくて苦労してんだから」

「横浜はアメリカ人が多いじゃん。お店の店員やるとしても、他の国の言葉話せるけど英語ダメなら意味ないんじゃないの?」

「もっと専門的なところなら何か仕事が有るはずよ! そうだわ! 友達の寿美子ん家は、貿易商だから何かツテが有るかも!」

「そんな上手く行くかなぁ」

「任せなさいって! ダメもとでも頼んでみる価値はあるわよ!」


 こうして、レンの就職問題は新たな局面を迎えるのだった。しかし、その前に……。


「ねぇねぇ操! 観覧車乗っていい?」

「良いけど、籠から乗り出しちゃダメだかんね」


 お昼ご飯も食べ終わり、すっかり遊園地の乗り物に目を奪われるレンなのであった。

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