【落語台本】カピタン

紀瀬川 沙

第1話

▼両国橋橋詰の湯屋「白山湯」


【ここは江戸の町人街に店を構える一軒の湯屋であります。昼時にもかかわらず、大入りのお客で混み合っている様子。柘榴口に頭をぶつけるおっちょこちょいもいれば、熱い蒸気に顔・体を真っ赤にして目をつぶる者、隅のほうで湯女とよろしくやっている好色男、などなどいろいろおります。いずれも巷の垢ほこりを落としに来て、銘々その目的を遂げております。そんななかに、生まれも育ちも神田下町、幼馴染の男三人がばったり出くわして会話も盛り上がっております】


八五郎  <おう、熊に与太。どうしたい、こんな朝でも夕でもねえ時分に湯たぁ?>

熊五郎  <おう、八。両国橋の湯屋で会うとは驚いた。いや、なに、今日は大工仕事も朝のうちで終わっちまったんだ>

八五郎  <それは珍しい。なんかあったのか?>

熊五郎  <そうなんだよ。仕事は向こう町の呉服屋だったんだが、そこの主が午後から謡の会をするそうで、謡の間にカンカンコンコンされたくねえんだと>

八五郎  <ははは。そりゃ、そうだ。敦盛の戦のさなかに横で大工工事をしてるわけねえや>

熊五郎  <ははは>

与太郎  <八っつぁん、熊さん、奇遇だねえ>

八五郎  <おうよ、与太。お前はなんでここに?>

与太郎  <そりゃあ湯屋だもの。湯に入りにね>

八五郎  <そういうことじゃねえや。どうしてこの時分にここに?>

与太郎  <ああ、そういうことね。両国まで歩いてきたら、ここで湯に入りたいと思ったから、湯に入りにここへ>

熊五郎  <なんで両国橋のここまで来たかって。しようがねえ>

八五郎  <いい、いい。とにもかくにも、生まれも育ちも同じ年間、同じ神田の三人がかち合うとは>

熊五郎  <それも誰も湯女も連れてねえ。淋しいじゃねえか>

八五郎  <そりゃあ、言うない>

与太郎  <それなら、僕ね、さっきね、お願いしてもらったよ>

八五郎/熊五郎

     <なんでえ、ちきしょう>

与太郎  <すっきりしたよ。お二人にもおすすめ>

八五郎/熊五郎

     <うるせえ、馬鹿野郎め>

与太郎  <へへへ~>


【ここまでは、江戸の社交場?とでも言いましょうか、湯屋での幼馴染同士の馬鹿話。江戸の町では、よくあるワンシーンに過ぎません。ところが、ここから、話題は急に今までとは異なる方向へ転じ始めます。その端緒は、なんとも抜けている与太郎の口から出でて参ります】


与太郎  <へへへ~。あ、そうだ、二人は聞いたかい?今度、江戸にカピタンが参るんだって。楽しみだね~>

熊五郎  <カピタン?なんだい、そりゃ?>

与太郎  <へへへ~。知らね~>

熊五郎  <知らねえのに、なんでそんな楽しそうなんだ?>

与太郎  <なんかね、珍しいってことだけは知ってるんだ>

八五郎  <じゃあ、どうして珍しいって知ってるんだ?>

与太郎  <知らね~>

熊五郎  <ああ、八、だめだ、だめだ。なんだい、八、お前もカピタン知らねえか?>

八五郎  <知らねえな>

与太郎  <なんでもね、珍しい人なんだと>

熊五郎  <人なのか?>

与太郎  <うん>

八五郎  <それ以上は、もうこいつからは出なさそうだ。カピタンねえ、見世物小屋かなんかの出し物だろ?主が蛇女に飽きたんじゃねえのか?>

熊五郎  <ふん、そんなもんかね。おい、そこの野郎衆、今の話聞いてたかい?近々来る、カピタンってやつ、知ってるやついるかい?>

湯屋の客 <俺らに聞いてんのか?はは、知ってるわけねえや>

熊五郎  <あっそうかい>

与太郎  <そうだ、もうひとつ思い出したよ。近々、そのカピタンたちがね、江戸町屋の辻角を通って、江戸城まで参るそうだよ>

八五郎  <カピタンたち?何人もいるのかい?>

与太郎  <知らね~>

八五郎  <それに江戸城たぁ、お上とツーカーならよほどの殿上人だな>

熊五郎  <つまりは、俺らにゃ縁もゆかりも、ありゃしねえ>

客の爺  <時に、カピタンと言ったな?お前たち>

熊五郎  <なんだ?じじい>

客の爺  <まぁ、聞け。亀の甲より年の功。老いぼれの話も馬鹿にはできんぞ。あれはわしがまだ子供の頃の話だ。カピタン一行が来るといって江戸の町中が大騒ぎになったのを覚えておる>

八五郎  <それで、その大昔のカピタンっつうのは何だったんだい?>

客の爺  <それが、だな、一行が通る辻には行ったんだが、わしもまだ子供だったため背も届かず、何も見えんかった>

与太郎  <え?>

客の爺  <わからずじまいじゃ>

熊五郎  <なんでえ、もったいぶりやがって>

客の爺  <さ、もう出るとするかの>

熊五郎  <さっさと行け>


【客の爺の適当なこと、八五郎・熊五郎・与太郎は結局何もわかりませんでした。挙げ句、客の爺は帰り際、与太郎のなじみの湯女にひとつちょっかいを出してその嬌声にご満悦の様子。与太郎もびっくりして】


与太郎  <あのおやじ、あの子に気安く。ああ、もう>

客の爺  <はっはっは。カピタンか、懐かしいのう>

熊五郎  <懐かしむほど覚えても、見てもねえじゃねえか>


【湯屋でのひょんなことから一つの謎が残ったままの三人。カピタンとは大昔も江戸にきたことのある人のようですが、そんな人は今の三人には思いも付きません。これからその正体が分かってゆくでしょうか。次のお話にて】

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