第22話 8月20日(前編) 2度目の初めましてを
8月20日
スマホの激しい振動で目を覚ました。
うるさい、うるさい、うるさい! 誰だこんな朝早くに。
なんだ、まだ11時じゃないか。
世の学生たちは惰眠に浸っている時間だぞ──って、んんっ!?
スマホの画面に写った『佐山さん』の文字を見て、餌を捕食するカメレオンみたいなスピードで電話をとった。
「もしもし、佐山さん!?」
「あっ! 宮田くん!? サキちゃんが見つかったわ!」
人前に出るというのに、鏡も確かめず、かかとを踏んだままの靴で走った。
駅に向かって、電車に乗る。
2駅分だけ進んで電車を降りると、スマホの地図を開いて再び駆ける。
目的地に着いた時には汗だくだった。
途中で何度足がもつれそうになった事か。
俺は目の前に佇む病院を見上げる。
この辺では1番大きいとされる総合病院だ。ここにサキちゃんがいる。
自動ドアに迎えられて、中の陰鬱で冷たい空気が肺に馴染んでいく。
すれ違う人達は、どこか小難しい表情で塗り固められているようで、視線を交わさないように必死に避けた。
エレベーターに乗って、7階で降りた。
すると、突き抜けた廊下の奥で、黒い服を着た大勢の人だかりが出来ていた。
廊下を歩いている内に、なんとなく察してしまった。部屋番号を横目で流しながら、佐山さんに教えてもらった数字を追いかける。
ああ、やっぱりここなんだ……
足を止めると、目の前には鋭い目つきの大人達がいた。
ネクタイを首いっぱいに締め上げて、今どき紙のメモ帳なんか持っている。
肩を叩いて「今は電子の時代ですよ」と言ってあげてもいいんだけど、彼たちはそれに謎のこだわりを持っているようだし、下手すれば俺が逮捕されちゃうかもしれない。
公務執行妨害ってやつ?
「おい、あんた。そこで何してる?」
背の高い坊主の男が話しかけてきた。
スーツがパツパツで首にも漫画で見たような筋肉がついている。
眉間には深いシワが寄ってるし、30代でいかにも働き盛りの男を思わせる低い声をしていた。
「いや、俺も呼ばれて」
「呼ばれた? 彼女の関係者か? それなら、ぜひ話を、」
その時、佐山さんの声が刑事を遮った。
「宮田くん! 来てくれたのね!」
「佐山さん、この騒ぎはいったい……」
背後から現れた佐山さんは別の刑事と思わしき人物と肩を並べて歩いていた。
俺はその刑事をよく知っている。
詩織さんと一緒に行ったあの祭りで、佐山さんの隣にいた人だ。
やっぱり、スーツが良く似合う。
けど、刑事だとしたら少し軟弱に見えるかも。サラリーマンかと思ってた。
「君が宮田宗治くん?」
「はい。そうです」
「念の為、身分証とかあれば見せて貰ってもいいかな?」
「ちょっと、
佐山さんが突っかかった。
なるほど、彼は大智さんと言うのか。覚えておこう。
「ごめんね宮田くん。疑いがあるとかそんなんじゃないんだ。一応そういう規則になってるから」
俺は財布の中から学生証を探す。
その間にも、佐山さんと大智さんの小競り合いは止まない。
そんなものを見せられにきたんじゃない。俺は早くサキちゃんに会いたいんだ。
俺は突き出すように学生証を大智さんに渡した。
黒目が左から右に流れて、下の列に降りてゆく。
学生証を返された後も、大智さんは大学に関する一切に触れなかった。
交番のおっちゃんみたいに「いいとこ行ってんな」と決まり文句を言ってくるかと身構えたが、どうらや要らぬ心配だったみたい。
「ところでサキちゃんは? この部屋にいるんでしょ?」
スライド式のドアが開け放たれているのに、四方を覆うカーテンのせいで、ベッドの様子が見えない。
「今、サキちゃんの家族が面会してる」
それを聞いて、安堵と不安の2つが混じり合った。
まずは、サキちゃんがちゃんと話ができるレベルの容態である事。
しかし、同時にそのせいで避けていた家族と顔を合わせなければならなくなった事。
佐山さんもどこか思うところがあるのか、右腕をぎゅっと体に寄せている。
サキちゃんと家族の面会を望んでいないようにも思えた。
「ねぇ、大智。宮田くんには話してもいいでしょ?」
「ああ、構わないよ」
佐山さんは壁にもたれ掛かる。
俺は隣に並び立って、なるべく耳の位置を佐山さんの口の位置に揃えた。
ざわざわと騒がしいこの場所では、そうでもしなければ聴き逃してしまうかもしれないと思ったからだ。
「サキちゃん、今日の明け方に見つかったんだって。どこで見つかったか分かる? 何の変哲もない歩道の道端だって。軽い栄養失調で倒れてたみたい」
佐山さんは深いため息をついて、「なんでこうなっちゃったんだろうね」と罪が自分にもあると言わんばかりに涙を流した。
俺は佐山さんの涙を拭ってあげようとは思わなかった。
それより早く、大智さんが手をさし伸ばしたからだ。
渋い色のハンカチを佐山さんに渡して、優しい言葉をかけている。
「あの、大智さん」
「え?」
大智さんは困惑気味に俺を見た。
「ああ、すいません。名前を聞いてしまったもので」
「いや、構わないよ。それで、どうしたんだい?」
「サキちゃんは5日間もどこに行ってたんでしょうか? 警察なら何か足取りが掴めてるんじゃないんですか? 知っている事があれば教えて欲しいんです」
大智さんは小さくかぶりを振った。
その後、胸ポケットからハンドサイズの手帳を取り出して、あろうことか中身を全て見せてきた。
しかし、中は全くの白紙。
つまりは何も情報が得られてないってワケだ。
「君は、サキさんが失踪する前日に一緒に夏祭りに参加してたんだろ? 何か気になった様子とかは見当たらなったかい?」
「……いえ、特にこれといっては。本当にいつも通りだったんです。にこにこ笑って、屋台を指さしてはあれが食べたいこれが食べたいってワガママ言って、」
「ちょっと待ってくれ。にこにこ笑うのがあの子のいつも通りなのか?」
そこが引っかかるなんて、さすがは刑事。
疑う仕事をしてるのはわかるけど、いちいち言葉じりを気にしてたんじゃまともに会話が成り立たないだろ。
俺は無視して、話を続けようとしたが。
シャー、というカーテンレールが滑った音がした。
俺は会話を打ち切ってドアの前に陣取った。一瞬でも早くサキちゃんの顔が見たかった。
見えたのは、サキちゃんの家族達。
目を腫らした女性は恐らく母親だろう。
雰囲気がとてもよく似ている。
義理の父親はいかにも金持ちといった身のこなしで、ピンと張ったスーツが威圧感を与えた。
1番驚いたのは、サキちゃんの義理の妹を見た時だった。
どうせ皆揃って彼女を除け者にしたクセに、とたかを括っていたせいで、感情をさらけ出して涙を流す姿に言葉を失った。
そんなにサキちゃんを心配していたなら、どうして最初から大切に扱おうとしなかったんだ?
家出をした時に早々に連れ戻そうとしなかったのは何故なんだ?
その涙すらも演技なんじゃないか?
気づけば俺は疑いの目を向ける警察と同じになっていた。
でもこれは中立じゃない。嫌悪が優先された公平ではない物の見方だ。
家族が会釈をしながら病室を出ていくと、俺は周りの目など差し置いてサキちゃんの元へ駆け寄った。
大部屋の個室。
その中心で待ってる彼女と1秒でも早く顔を合わせたかった。
覆われたカーテンを払う時、後ろで聞こえた佐山さんの静止を聞いていれば、俺は絶望せずに済んだのかもしれない。
少なくとも、先送りは出来たはずだ。
ベッドにちょこんと座る小さな体。
薄水色の病衣はサイズが合っていないのか、袖を折り返していた。
結んでる印象が強かった髪も解かれていて、人違いなんじゃないかって心配になった。
けど、振り向いた時の可憐な顔立ち。紛れもなくサキちゃんだ。
「サキちゃん! 無事でよかった。いきなり行方不明になっちゃうなんてホントびっくりしたよ。毎日探し回ったんだよ? どこに行ってたのさ?」
「ちょ、ちょっと待って! いきなりたくさん言わないでよ! 頭の中混乱しちゃうから」
ああ、この感覚。
サキちゃんと一緒にいた時間が蘇ってくる。
会話のリズムや瞬きの回数すら自然に調律してゆく。
「宮田くん、ダメよ! 早くサキちゃんから離れて!」
佐山さん、なんでそんなわけのわからない事を言うんだ?
やっとサキちゃんが帰ってきてくれて、久しぶりに声を聴けたというのに、それを阻もうとするなんて酷いじゃないか。
佐山さんの方に振り返ろうとすると、右側の耳には佐山さんの声が。左側の耳からはサキちゃんの声が聞こえる。
「サキちゃんはもう──」
「お兄さん、誰?」
俺は初対面の人と顔を合わすみたいに、怖々とベッドの上のサキちゃんに視線を戻した。
ここにいるのは紛れもなくサキちゃんだ。
サキちゃんだよ。見紛うはずがない。寸分の狂いなくサキちゃんだ。
目も、鼻も、髪も、唇も、声も、体躯も。
全部俺が知ってるサキという16歳の女の子だ。
なのに。
「お見舞い? 会った事あったっけ?」
記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
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