ゴジュウハチ 絶望

 一斉に前へ飛び出た騎士達が剣を、魔法を振るう。城に攻め入らんばかりに力を振るい、防護魔法に攻撃をし続ける。爆音と砂煙の巻き上がるこの戦場にて、揺れる城の内部でカズヤは床に伏せていた。

「ニナ! オリガ!」

 部屋の中で懸命に叫ぶが、外の騒音によって掻き消される。傾く地面を這う様にして進み、壁に背を預けて立ち上がると、部屋を見渡す。それ程狭くはない空間は、地鳴りと振動で家具や置物が雪崩の如く床に散らばっている。

 壁を伝い歩きながら、カズヤは割れかけの窓に向かう。顔を出さない様にゆっくりと外の状況を確認した。

「……っ、あれが、『砕剣の聖騎士団』!?」

 地上では甲冑で身を固めた人間が、百人程度だろうか、列を成し、城を守っている防護魔法に向けて攻撃を浴びせていた。ベレニアス王国がどんな所なのかも知らないカズヤでも、外の連中が『砕剣の聖騎士団』であると分かったのは、マグナ・レガメイルとの戦いからだろう。

 一つの国に二つ以上の騎士団があるのかまでは判断しかねるけれど、それでも現状、カズヤの持つ知識からだとあれらが『砕剣の聖騎士団』なのは間違いないはず。いや、仮にそうでなかったとしても、何の問題もない。組織名や国名などに興味はないカズヤは、これ以上考えるのは無駄だと判断し、窓から離れる。

「ナハト!」

 昨夜はナハトの治療をリャノンに頼み、この部屋から出たのだから二人が居ないのはもちろん分かっている。ニナとオリガも別の寝室に案内されたのだから、ここには自分しか居ない。

「リャノンさん! メアリーさん!」

 それでも叫ばずにはいられない。今ここでカズヤが死んでしまっても、何の問題もない。剥げた天井が頭に落ちてこようが、窓の破片が飛んでこようが、それで落命したとしても『今のカズヤ』が死ぬだけだ。

 しかし、魔物は違う。この道中で魔物達と触れ合ってきたカズヤだからこそ、彼らには命が一つしかないのだと知っている。自分は違っても、ニナやオリガ、ナハト達は死んでしまうかもしれない。

 その不安が、より一層カズヤの喉から漏れ出る。

「ニナ! オリガ! ナハト! リャノンさん! メアリーさん!」

 叫びながら扉を開ける。崩落し掛かっている壁を避けながら、この城で一番大きな部屋に足を運ばせる。そこに皆が居るかは定かではないものの、それでもうじうじと部屋の中でテーブルの下に隠れる訳にはいかない。

 無限にも感じられる長い廊下を生まれたての子鹿みたく歩きつつ、カズヤはひたすらに思考を巡らせた。

 人間が攻めてきた。

 一体どうして?

 何が目的で?

 考えれば考える程、自分のせいではないかと思い立つ。過去、カズヤは盗賊団を見逃したが故、マグナ・レガメイルと遭遇した。死闘、というにはあまりにも死に過ぎた戦いを経て、マグナ・レガメイルを殺した。

 ならば今度は、それが原因なのではないかとカズヤは思う。『調査』と言っていたマグナ・レガメイルの帰国を待ちあぐねた『砕剣の聖騎士団』がその行方を追うべくして、この『吸血族の城』に辿り着いたのだとしたら。

「ナハ、ト……」

 止まらない自己嫌悪の渦に、カズヤは名前を呼ぶ事すらままならない。いつしか足は止まっており、揺れる地面と睨めっこをしたまま身体が固まる。

「……僕の、せいなのか……僕が、この力を使っているから」

 魔女に殺されていれば、カズヤの物語は終結していた。それでも新しいカズヤが進めた。足を進ませ、魔物と出会い、こうして、災厄を招いている。

 片手に収まる水と土で出来た人形カズヤの額から汗が滲み床に垂れ落ちた。結局はそれすら水であるというのがまた、彼を窮地に追い立たせる。

「はぁっ……はぁっ……」

 呼吸が浅くなり、胸をギュッと握り締めて目を閉じた。あの夢で見た暗い空間が広がっていて、カズヤはそこにポツンと一人で佇んでいる。


『暗い場所で安全に歩くにはどうすれば良いと思う?』


 声が聞こえる。また、この声だ。今のカズヤの物ではない。別のカズヤの声が反響して脳を弄り回すしている。


『懐中電灯なんか無い。けれど、一歩先が本当に地面かなんて確証もない。それなら、実際に試してみるしかないんだよ』


 言うな。その先の答えなんて、言われなくても分かっている。

 カズヤは耳を塞いで懸命に次の言葉を遮ろうとした。しかし、無情にも声は脳内に響き渡る。


『現にカズヤは今までそうしてきた。後ろを振り返ってみると良い。あるいは今自分が踏み締めている地面を見つめると良い』


 自ずと目を開く。言われたからでも、好奇心だからではない。目を背け続けてきたカズヤにとって、その光景は目を開けば飛び込んでしまう程に当たり前だっただけだ。

「……っ」

 足元には、カズヤの身体が横たわっていた。

 その上に、自分は立っているのだ。まるで、橋でも掛けているかの様に、板切れの上を踏み締めてでもいるみたいにして、自分の死体の上に佇んでいた。

 死体は後ろへ続く。無限に、際限なく続いている。

『そのカズヤは、今までの道だ。前があるのか分からないから、自分の屍で道を作っている。作り続けて、その上を踏み締めて歩いている。分からなくなったら死んで、倒して、また歩く。ここまでやっていたら、もう自分が何なのかとか、何者か、なんて哲学的に思考する領域を出ている』

 声は変わらずカズヤの物だけれど、とても悲しそうに頭に響いている。

『もしかしたら、元の世界に居たカズヤですら、スワンプマンだったんじゃないか、なんて事も、あるいは考えられる訳だ』

 元の世界のスワンプマンには、自身が死んだ記憶を持ち合わせてはいない。だから、理屈としては確かに元の世界のカズヤがどこまで本物なのかを説明する事は出来ないだろう。

『けれど、それを考え始めたら、もう歩く事すらままならない。何の為に自分を殺すのか、どうして力を使い続けるのか、その答えはもう決まっている』

 その声は掠れていて、もしかすると泣いているのかもしれない。今のカズヤの代わりに、感情を押し殺す事で、その部分を請け負っているのかもしれない。

『僕のせいで始まったのなら、僕だけで終わらせるべきだろう? こんな僕ですら受け入れてくれた魔物の為に、僕は僕を────殺せ』

 魔物の為に自分を殺す。

 それはずっと前から決まっている事だった。

 だから、行動に移すのはとても単純だ。

 震えはもうない。相変わらず城全体が揺れていて、とても不快ではあったけれど、もうカズヤ自身には迷いなどなかった。

 大部屋に再び足を進ませる。ここは暗い空間ではないから、とても歩きやすくすら感じられる程だった。確実に距離を縮ませて、扉に手を掛けた。

 まずは皆の安否を確認するべきだ。

 それから、全員が安全な場所に避難出来る様に自分が『砕剣の聖騎士団』と対峙すれば、きっと────

「……うえ! 姉上!」

 扉を開けたカズヤの耳を劈くその声は、オリガの悲痛な叫びだった。揺れる部屋の中で彼女は、抱き締めたニナに向かって涙を流しながら姉を呼んでいる。

 オリガの横顔から、ゆっくりとカズヤは視線を下ろした。美しい金色の髪が日に差して輝いていて、そしてニナの胸元には、大きな矢が一本、突き刺さっている。

「────な」

 言葉が全く出てこなかった。

 心臓の動悸が速まっていくのを感じる。あまりにも煩くて、他の音が遠のいて聞こえていく中、ぐにゃりと視界が歪んだ気がした。

「ニナ……」

 その小さな呟きは、外の爆音で虚しく消えていく。

 ただ、彼女の首飾りだけが、カズヤの声に反応する様にして、光揺れていた。



 これまでカズヤは、感情を押し殺す事で、死ぬ事に耐えてきた。それでも、アイデンティティを失ってもなお正気でいられたのは、エレオノーラの優しさに、ラセツの気遣いに、ナハトの説得に、ニナの想いによって、救われてきたからだ。

 しかし、それはこの日、人間によって打ち砕かれる。

 カズヤは決意する。感情を押し殺すのではなく、無くしてしまおうと。

 持っていても仕方がない。

 意味がない。

 片手に収まる水と土で出来た人形に、生と死を繰り返すだけの沼男に、そんな物は何の価値もないのだから。

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