サンジュウヨン これから
目線を動かして、その中に入り込んだのは前々回のカズヤだった。血だらけになり、氷柱に貫かれたカズヤの屍は絶命している彼のワイシャツは着れる様な物ではない。とても、着用出来る代物ではない。
「……それでも、何も着ていないよりかはマシか」
ナハト・ジーナドラコはもうここから去っている。先に鬼族のテントに向かって行ったのだろう。出来れば、僕がこれからする事を見て欲しくはなかったのだから、彼女がこの場に居ないのはむしろ好都合とも言える。上半身どころか下半身すら惜しみなく晒け出している少女に、服を着せておいてこちらがズボン以外何も身に付けていないのはどうだろう。寒い、という理由でもあるし、ナハトにワイシャツを掛けておきながら僕が裸になるのは何だか馬鹿らしい。
前々回のカズヤの方へと向かった僕は、仰向けで倒れている彼を見下ろした。目を見開いていて、苦悶の表情を浮かべているカズヤをしばらく眺める。
「……お疲れ」
何となく、僕はそう呟いた。鏡であれば、どんなに良かったかと思ったけれど、今僕が見ているカズヤは紛れもないカズヤだ。死んでいる彼と、彼が死んだ事によって生まれた僕。別に感傷的になっている訳ではないから、いちいちその瞼を閉じてあげる程劇的な振る舞いもしない。
未だ溶けずにまるで生えている様な氷を鷲掴みにした僕はそれを勢いよく引き抜いた。血飛沫が腕に散る。こんな薄ら寒い場所であり、更には氷に貫かれたまま放置されていたのだから、出血はそれ程ひどくはない。
……ひどくはないけれど、死んではいる。
首に刺さった氷柱を抜く。脚に刺さった氷柱を抜く。その過程で、やけに生々しい肉の断片が垣間見えて、感覚的には気持ちが悪くて仕方がない。それが他人であれば、まあ正直慣れてしまえるものの、目の前に居るのが僕自身であったら、やはり事情は異なる。このカズヤが死んだ時の記憶や痛みこそあれど、やっぱり何だか実感が湧かない。
どうしようもなく僕なのだ、このカズヤも。
「……」
引き抜き、引き抜き、引き抜く。
そしてようやく全ての氷柱が無くなったカズヤのワイシャツのボタンに手を掛けた。穴が開いていて、見すぼらしいそれを手に取って、僕は自分自身に着せた。血は凝り固まっているが、まあ悪くはない。こういう穴だらけのファッションも現実世界にはあった気がする。奇抜というよりかは奇形ですらあるワイシャツの皺を伸ばしながら、上半身が剥き出しになったカズヤを尻目に、僕もまた鬼族のテントに向かったのだった。
鬼族のテントまでの道中、僕は考えた。深く考え込んだ。この先どうするかを考えた。どうするべきなのか、どうして行くのか。今まで僕は、この力の秘密を知りたくて旅をしてきたつもりだった。けれどそれはおおよそさっき達成されてしまっている。一番最初に殺されてしまったカズヤの心臓によって周囲の魔力を吸収して魔法を発動、水と土によって僕が生まれる。それは分かった、分かったが、だからどうしたというのだろう。というのも、僕はその目的を現実逃避する為のお題目として掲げていた。
僕は何者か。
その答えを導き出すのが怖くて仕方ないから、僕はこの力の原理などというどうでも良い事を気にしていた。気にしている振りをしていた。だが、それは魔女によって阻まれた。一体どこまであの女がこちらを見透かして先ほど僕の前に現れたかは定かではない。僕の思惑を知っているとは思えないが、それでも結果的に僕の仮の目的は一切合切として破綻している。粉微塵に、何もかもが消えてしまっている。
「……僕は何者か」
口には出してみたものの、やはり感情がそれを拒絶している。答えを出す事を、僕自身が拒んでいるのだからどうしようもない。ならば、また新たな目的を作らなければいけない。模索せざるを得ない。
さて、と僕は顎に手を当てた。冷静に振る舞う事で、気を落ち着けていると錯覚させて僕はやはり考えた。人間かそうではないか。今ここで、ましてやテントに戻るまでのほんの短い時間の中でそれに対してはっきりと応じられる程、軽い設問ではない。どんな議論も座ってするものだし、雑談する感覚ではないのだから当然ではある。
そこまで考察して、僕は脳裏にナハトの姿が過ぎった。竜の姿をしたあの美しい彼女を思い出した。けれど僕の見た彼女の翼は穿たれており、見るに耐えない姿だ。
空を自由に飛びたい。
そんな願いを途中にして人間によって阻まれた彼女の願いを、再び叶える為に動くのはどうだろうか。あの綺麗な両翼で羽ばたく姿を想像して、僕はそれを直に見たいと感じる。一目惚れ、などという表現を使う程、僕はロマンチストではないけれど、それでもやはり彼女のあの悲しそうな笑みを見ていたくはない。
「……よし」
僕は決めた。
彼女の為と言っておきながら、結局は自分の為だという罪悪感から逃れる様にして、僕の思考はそこで終わりを迎えたのだった。
「ナハトの翼の傷を治しに行こう」
次の日の朝、ニナ、オリガ、ラセツそしてナハトを呼んだ僕は開口一番そう言った。その言葉にまず驚いたのはニナとオリガだった。
「カズヤさん、でも自分の力を知る為と言っていたのですよ」
「力、ですか?」
「まあ、それはもう良いんだ」
結局、僕は魔女と会った事は言わなかった。ナハトも彼女らに話していないのを鑑みると、内緒にしていると言うよりかは僕が言わない事に配慮しているみたいだ。
魔女によって得た力の事もまだ、ナハトには言ってはいなかったが、それは今話す程重要でもない。取り敢えず、ナハトの傷に付いてのこれからの話をするべきだ。
「待ってください」
と、その話の中心となるナハトが止めた。
「私は別に大丈夫です。そこまでして頂かなくても……」
「駄目だ」
僕は首を振った。ナハトが自身を卑下しているかの様な物言いに腹を立てた訳ではないけれど、僕は彼女の遠慮気味な言葉に否定で返す。
「そんなにひどい怪我を負っている君を、みすみす放っては置けない」
「でも……」
なおも食い下がろうとするナハトは着ている僕のワイシャツの裾を握った。
「私はもう、人間に狙われているかもしれません。もしも地上に出て、貴方達を巻き込むのは、気が進みません」
「狙われる、とは言うがしかし、お前を攻撃した人間は昨日仕留めたはずだ」
オリガは腕を組みながら顔を顰めた。声に出して賛否については話していないものの、前向きにナハトを治す事に賛成してくれてはいる様だ。そして彼女の言葉も納得は出来る。確かに『大地の裂け目』に侵入して来た人間は二人とも死んでいる。
いや、と僕は首を振った。
「侵入して来た魔法使いの二人は多分、ナハトを攻撃した張本人じゃない。昨日、『マグナ様』という恐らく人の名前を呼んでいた」
「……つまり、魔法使いの人間は徒党を組んでいたのか」
そう、徒党。竜族を捕らえる為にわざわざ国の外へ出たというのは考えにくいものの、それでもあの人間には仲間がいるはずだ。ナハトの危惧している事はその仲間による追撃だろう。
「しかしどれだけ高く飛んでいたかは分からんが、少なくともナハト殿はある程度の高度を保ちつつ飛んでいたのだろう?」
「はい」
「いくら竜族が大きかろうとも、それでもブレる事なく魔法を放ち致命傷を与える程の魔法使いが地上に居るのは……やはり危険ではあるな」
ラセツは顎に手を当てて呟いた。確かに危険ではある。それは僕も承知の上ではある。
「別に今すぐに行こうとは良いません。ラセツさん、もう少しここに居させて下さい、七日くらいで良いんです」
傷の療養を含めても、七日くらいは必要かもしれない。その滞在期間は特段大きな意味はないけれど、具体的な数字を出しておいた方が僕自身の気が引き締まるだけだ。
竜族に大きな怪我を負わせる程の魔法使いとやらが存在して、そしてソイツが未だ『大地の裂け目』付近で彷徨いている事を鑑みれば七日どころか一ヶ月は潜んでいたいくらいではある。
「それはもちろん構わんが……七日程度でその人間が諦めるとは思えん」
「……ずっとここに隠れていても、それこそ奴らの思う壺になりかねません。もしも一定以上の期間を設けてしまえば、相手に準備されかねません。『大地の裂け目』内部にもしも多くの魔法使いが攻め込んだら、それこそラセツさん達を巻き込んでしまう」
それは避けたい。
最悪、本当に最悪のケースではあるけれど、僕らが地上へ出たところを目撃されたとしてもそれは『大地の裂け目』から魔法使いを離す事が出来るはずだ。
「ナハト、どんなに強い魔法使いが君を狙ったとしても、僕は君を守るよ」
薄っぺらい宣言だな、と僕は内心苦笑する。昨晩少し話しただけで、こうも肩入れするのは僕がニナ達と行動していなければよっぽど疑われても仕方がない発言だ。ならば何だろう。僕が彼女を守ろうとまで言うのは、一体僕の感情の何がそう言わせたのだろう。
哲学的ゾンビ——その全てが人間とほぼ同一の存在は、しかし喜怒哀楽が欠落している。欠落していてもある様に振る舞う事は出来る。喜んでいる様に見せ、泣いている様にも見せられる。振る舞い、演じ続ける。まるで自分が人間である事を望むかの様に。
魔女は、というかこの世界にて哲学的ゾンビやスワンプマンなる物があるとは思えない。けれど、名称こそなくともそういう存在があるかもしれないと考える事は可能だ。だからこそ魔女も言っていたのだろう。
僕が人間みたいに振る舞っているのだと。
カズヤが人間であった様に、今ここに居る僕もまたそうあろうとしているのだと。
「カズヤさん?」
「あ、ごめん」
思わず考え込んでしまっていたみたいだ。ナハトの透き通った声でようやく僕は自身が沈黙していた事を自覚する。ば、と顔を上げてそして全員を見渡す。
この場において、僕の次の発言できっとこの先どうするかが決まってしまう。それが、怖い。自分が何者かも定かではない僕が、カズヤならそうしているだろうという思考に陥って発言する事で、これから彼らの未来を変えてしまうかもしれないという恐怖感が、僕の背後で足音を立てている。
「……大丈夫」
僕は言った。ナハトに向けてそう口にしたつもりではあったけれど、実のところ僕が僕自身にそう諭しているのかもしれない。しかし、この気持ちを、ナハトを、魔物を守りたいというこの想いが、決して偽物でない事を信じる為にも、僕は宣言した。
「例え僕がどうなろうとも、守り抜いてみせる」
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