ニジュウナナ 延々

 ラセツのテントを出て、僕は現在彼から与えられた寝床で横になっていた。隣にはニナが眠り、オリガは座ったまま目を瞑っている。地上での人間との戦いで疲れたのもあるのだろう、ニナは身体を丸め心地良さそうにスヤスヤと眠る。金色の美しい髪が顔に掛かり、少しくすぐったそうにも見える彼女に僕は毛布代わりの布を掛け直して起き上がった。

 眠れない。いや、身体は疲労感で押し潰されそうだし、頭もぼんやりとしているから、眠気がない訳ではない。しかし、どうにも眠れる気がしないのだ。

「オリガ、起きてるか?」

 と、僕はオリガに小声で話し掛けるも、当の本人の意識は既に深い意識の底にある様だ。抱えている剣を大事そうに腕に収めている彼女の瞼は閉じたままで、僕の問い掛けには「う、んん」と唸るだけで確実な答えは返ってこなかった。

 眠れない理由はいくつかある。まず、『大地の裂け目』にてラセツの腕の中で問い掛けられた「何故人間は争うのか」に対する答えだ。それに対して僕は明確な回答は知らないし、結局口に出したとしても主観的な見解でしかないのだから、真理には程遠い。

 だが真意は分かった気がした。ラセツはユキナという一人の人間の女性を愛して、ハクアという子供と暮らしている。魔物と人間。この二つの種族が、恐らくはその間にある大きな溝が、とても話し合いなんかで埋まるほど浅くはない事はこの世界に来て大体理解は出来た。

 けれど、ラセツとユキナにおいて、その溝すら飛び越えて、魔物と人間という種族の差を越えて二人は愛し合ったのだ。魔物と人間が愛し合えるにも関わらず、何故種族の差を埋める事が出来るにも関わらず「人間同士で争うのか」という質問が、先ほどのラセツから聞いた話で僕はようやくその真意を掴めた気がする。

 彼は、同情しているのかもしれない。何故別の種族ではなく、同じ種族だというのに争うのか。愛し、隣り合い、手を繋ぎ助け合う。それすら出来ずに魔法戦争とやらを起こした人間に対し、ラセツはひどく同情しているのかもしれない。

 魔法戦争。僕はそれを、これまで会ってきた魔物から聞いただけに過ぎないから、実際にどんな戦争だったのかは想像出来ても理解は出来ない。元々魔力が無かった人間に魔力を与えて、魔法を教えた魔女が持ち掛けた魔法戦争。彼女の目的は一体何なのだろう。

 これが二つ目の、僕が眠れない要因だ。

 ポケットから一枚の紙切れを取り出した。エレオノーラから貰った水魔法のそれではなく、ハクアと出会ったあの廃墟の建ち並ぶ村のとある家屋で手に入れた紙だ。そこに写っているのは一人の青年と、若い魔女。そして魔女の膨らんだお腹。

 おおよその予測は出来ている。魔女は多分、このどちらかに対して、魔法を使いたいのだ。もちろん、そんな推測は僕の妄想でしかない。今手に持っているこの紙だけで、確証が得られる程僕は魔女の事は知らない。

 彼女がどんな過去を持っているのかなんて、興味はない。忘れてはならない。僕の目的は、僕が何故こんな力を手に入れたのかという事だ。

 しかしもしも、仮にも魔女が魔法戦争を起こす引き金を作った張本人の真意が分かるのなら、僕はその心中を知っておきたい。義務感ではなく、ただの好奇心として。魔女が魔力を人間に与えた理由が、この写真か絵か判別出来ない投影された青年にあるのならば。

「……魔女は、この人を生き返らせたいのか?」

 僕は呟いた。誰も聞いていないのに独り言を口にするのは悪い癖だ。けれど、そうした方が頭で理解がしやすい。

 生き返らせたい。そんな答えに辿り着いたのは単に僕が持つ力が、蘇生に似ているからという安易な物だった。青年を愛してやまない魔女が、人間の何もかもを犠牲にしてまでこの青年を蘇生させたいのだという願いから人間に魔力を与えたのだとしたら。

「……はは」

 そこまで考えて僕は笑った。だって、あそこまで狂気的に僕を殺した魔女が誰かを愛する心を持っているかもしれないと思うと、とても羨ましく感じたのだ。

 空っぽの僕とは違う。自分を持たない、記憶だけがカズヤであるという以外何もない僕とは大違いの彼女に、僕は少し嫉妬してしまう。

 スワンプマンは本物か偽物か。

 結局これは、現実世界と似ているだけでしかないから、僕はこの力をスワンプマンみたいだと思い込んでいるだけだ。水と土を必要としているからだとか、新しく自分が生まれるからだとか、何か理由を付けて、自分の持っている知識に出来るだけ合わせようとする事で、僕は自分の力がそこまで大した物ではないのだと信じたいだけなのかもしれない。

「……」

 やめよう。夜になるとこうやって考え込むのは、悪い癖だ。一人で居るといつもこういう風に下らない思考に陥って、最後は自己嫌悪で終わってしまう。

 マコトが居れば。マコトとヒヨリが居る時は、自分が嫌いな自分を好きでいてくれたあの二人が居てくれる間だけは、僕は楽になれた。それに縋っていた。

 だからこれは罰なのだろう。誰かを頼る事でしか、自分を確立出来ない存在などきっと悲劇でしかない。それに対する、神様からのお達しなのだろう。

 眠るニナとオリガを起こさない様、慎重に身体を持ち上げた僕はテントから出る。既に鬼族達も眠っている為か、ひどく静かなこの場所で僕は空を仰いだ。

 空、といってもここは『大地の裂け目』。見えるのはパックリ開いた天井とそこから僅かに覗かせる星しかない。僕はなるたけ音を出さない様に歩きつつ、集落を後にした。

「おや、お前さん。まだ眠っとらんかったんかえ?」

 背後から声を掛けられる。振り返ると、僕より身長の高い、オババと呼ばれていた鬼族の老婆が立っていた。

「少し眠れなくて。すみません、起こしてしまいましたか?」

「いやいや、あたしゃも眠れんくてなぁ。歳を取ると起きている時間の方が長くっていかんの」

 オババはヒャッヒャッヒャッ、とシワがれた笑い声を上げながら僕に近付く。白髪の間から覗かせる半開きの目で僕を見つめるとやがて。

「ちょいと来なさい。お前さんと話したい事があるんじゃ」

 と、言った。先行する彼女を無視する程、僕も常識知らずではなかったので、仕方なくその後を追った。一人で居たい気分だったのだが、誰かと話をしたい。そんな矛盾を抱えながら僕は、オババの後ろを歩いたのだった。



「ほれ、座んなさいな」

「はい」

 鬼族の集落から離れた場所で、大きな岩に腰を落ち着かせたオババが隣をポンポンと示したので、僕も彼女に倣って座る。ひんやりと冷たい岩の上で、しばしの間沈黙が流れたまま、彼女は地上に繋がる空を見上げていた。

 僕も何となく、そうしていると「お前さんは」とオババが口を開く。

「お前さんはハクアを助けてくれたそうじゃな」

「いえ、そんな……助けただなんて大袈裟な」

 ラセツにも礼を言われた時と同様に僕は首を振った。そう言えばまだ僕はこの力を鬼族には話していなかった。だからラセツもオババも、僕を純粋な人間だと思っているのかもしれない。

「あの、実は」

 僕はややあって話し掛ける。この不思議な力の事を、僕は包み隠さずオババに打ち明けた。魔女に殺された事、水と土で生まれ直す力の事、そして魔女の元へ行きこの力が何かを見つけ出す目的の事を僕は話した。

 上手く説明出来ていたかは定かではないが、オババは僕が語り終えるまでの間一切水を差す様な真似もせずに聞いてくれていた。

 そして。

「……なるほどのぉ」

 一言そう呟いた。

「信じられないかもしれませんが、こんな話」

「いや何信じるさ。魔法と言うのは、あたしゃら魔物ですらその全てを理解している訳ではないからの」

「やはり魔法なんでしょうか? けれど、エレオノーラは僕には魔力が無いって言っていました。魔力が無い存在に、魔法は使えないと」

「そこが、複雑に見せておるのじゃろうな」

 オババはそう答えた。僕にはこの力が魔法である事の確信はないものの、彼女にとってはそうではないのだろう。魔法に精通しているのなら、これは、僕は魔法によって生み出された存在。

「複雑、というのは?」

「魔女に故意があってそんな魔法を発動させたのかはわからん。恐らくじゃが、魔女かもしくは別の者が、お前さんが死んでしまう直後に魔法を発動させているのではないかの」

「……つまり、僕の意思に関係なく、第三者が僕を生まれ返していると?」

「恐らく、じゃがの」

 あくまでも推測でしかないと言った含みを持たせてオババは頷いた。確かに、炎や水を作り出せる不可思議な魔法を一重に説明しきるのは難しい。初めて魔女と遭った時、身体が動かなくなってしまった様に、僕に対して魔法を使った可能性は大いにあり得る。

 何でもあり、という表現はいささかご都合的な物ではあったが、物理法則なんてからっきし捻じ曲げるこの世界では最適な表現なのかもしれない。

「そしてその答えに最も近いのが魔女、なのじゃろうな」

「……だとしたら、僕はやっぱり魔女の元へ行かなくてはなりません」

 いずれにせよ、魔女に再び会えばこの力の謎が解明出来るのなら、目的は変わらない。

「魔女はどこに住んでいるんですか? エレオノーラも分からないと言っていましたし、それを聞く為にも僕はここへ来たんです」

「地上には一つだけ大きな山があるじゃろう? とても大きな山が」

「はい、ありました」

 『大地の裂け目』の付近で見た巨大な山の事を言っているのだろう。地面の起伏はあれど、山と明確な言い方をするのならあれしかない。

 雲を突き抜かんばかりに聳え立った山。

「あの山には名前は無いし、もう活動もしておらん。しかしあたしゃ一度、空を飛んでいた魔女があの山に向かって行ったのを見た事がある」

「魔女があの山に……ここからだと、どれくらい掛かるんでしょうか」

「そうさのう。十日もあれば着くじゃろ」

 十日。かなり遠いな、と僕はげんなりする。

「魔女と会ってお前さんはどうする? お前さんのその力を知ったところで、何かが変わる訳でもあるまい」

「……それは」

 何かを変える為に、僕は魔女の元へ急いでいる訳ではない。この力を持った原因を、ただ知りたいというだけでしかないのだから、別に僕自身がどうしたいと強く思ってはいない。

 少し考えて、僕はオババの方を向いた。彼女は相変わらず空を仰いでいる。もしかしたら久々に地上へ出たいのかもしれない。

「このままでも、別に良いんです。ただ、何も分からない状態で自分を受け入れる事が、僕には出来ない」

「受け入れる、か。本来そんな難儀な行為をせずとも自然と自我は内包している物だと思っていたのじゃがな」

「はは、確かに……けれど、僕に至っては例外みたいで、だから魔女に会わなければいけないんです」

 自分でも何を言っているのかはよく分からない。飲酒をした時の気分の高揚感にも似た、クラクラとした頭に浮かんだ単語をただ紡いで口にしている様でしかない。

 けれど、オババはそれを非難するでもなく、ただ静かに頷いた。長生きをすれば、許容範囲が広がるものなのかもしれない。寛容、という言葉が彼女には合っている。

「だからこそ、お前さんは自分を投げ出してしまえるのかね。ハクアを助けたのはありがたい。しかし、何故そこまでしてあたしゃら魔物を庇おうとする?」

 心底不可解なのだろう。だからこそオババは僕に対してそう聞いた。

「……僕はエレオノーラに殺されました。何度も何度も、妖精族の森の湖の近くで気絶している僕に、彼女は僕を侵入した人間だとして殺し続けました」

 思い出すだけでも、あの光景には度肝を抜かれる。無数に転がったカズヤの死体は今なお脳裏に焼き付いていて離れる気配がない。

「けれど、彼女は僕を森に置いてくれました。もちろん、殺しても意味がないという諦観からそうしたのだとは思います。でも僕を森から追い出す事だって出来たはずです。それでもエレオノーラは「私は困っているのが人間だろうとそうでなかろうと、放っておく程冷たくはない」と言ってくれた」

 それだけで僕は救われたのだと思う。もしも彼女が僕を追い出していれば、この世界で僕はただ生と死を繰り返すだけのロボットと化していたかもしれない。

「僕を助けてくれた魔物を、僕の命を投げ出す事で助けられるのだら、僕は死ぬ事を厭わない」

 狂っている。こんな考え方、死んでも生まれるなんてこの力を持っていなければなり得ない思考回路だ。けれどそれがどうしようもない事実なのだ。本心であり、妖精族の森からここまで来たカズヤが培ってきた不変の想いだ。

「……その力は、お前さんを苦しめる。あたしゃにゃあ、お前さんが、今も平然を保っているその表情が、苦しみで歪んでいる様に見える」

「そんな事は……」

 ない、と僕は断言出来なかった。

「その力を使うな、と言っても、お前さんは言う通りにゃあせんのじゃろうから、言いはせんがの」

 溜め息にも似た、オババの掠れた声が岩に囲まれた空間に消えていくのを感じながら僕は黙って彼女の言葉を待つ。

「じゃが、覚悟はしておいた方が良い。今は大丈夫でも、きっとお前さんは大きな壁に当たってしまうじゃろう。願わくば、お前さんがそれを乗り越える事を、あたしゃ祈っとるよ」

 祈る。

 オババのその口調に、僕はしばらく彼女の方を見つめる。何だかその言葉に救われた気がしてならなくて、だから僕は目を伏せると「ありがとうございます」と口にする。

 魔物と出会ってから、僕は救われてばかりだ。

 そして、僕が安堵の息を吐いた直後、遠くで轟音が鳴り響く。

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