悪役令嬢ってこれでよかったかしら?
砂山一座
第1話 昼食はどうすればいいのかしら?
「いいえ、私の事より、カールの事よ! カールの人としての尊厳を奪うなんて……たとえ婚約者でも許されないわっ!」
大きな瞳にキラキラと涙を浮かべて訴える彼女は、私の婚約者を堂々と呼び捨てにする。
「テレジアさん、どうかカールを自由にしてあげて。あなたにとって権力は魅力的な物かも知れないけど……愛し合うことのない一方的な婚約なんて、即刻破棄されるべきだわ!」
ふわふわと薄い亜麻色の髪がたいへん愛らしい、と思う。
万人受けする可愛らしさだ……使う方向を間違えているみたいだけれど。
目前で繰り広げられている陳腐な劇を黙って観劇していたが、やっと佳境に入ったようなので、ゆっくりと近づき、王子の胸ぐらを掴んで引き倒す。
王子を睨みつけるのも忘れない。
こういう劇には
王子の大きな体は、まるで抵抗を感じさせず、易易と非力な私に従い膝をつく。
それでも小柄な私の胸程まで頭が来るので、私が優位に見えるかどうかは定かではないが、この際仕方がない。
期待混じりの熱っぽい視線を極力無視して、左手で襟元を掴み、右手を大きく振り上げる。
ぺしゃ。
返す手の甲で、
打つべし。
さらに振りかぶり、
ぺしゃ。
ぺしゃ。
(腕力を鍛えておくべきだったわ)
なかなかいい音が出ないので締まりがないのが哀しい。
観客――カフェテリア内の生徒達は、誰一人止めに来ない。
王族を叩いているというのに、嘆かわしいと嘆くなかれ。
お膳立てされた舞台で、役者はフワフワとした明るい茶色の髪のアメリアさんと、王子の見本市があったら、看板として立ちそうなカール王子の二人だけ。
生徒達は皆、観客に徹することがカール王子の本意だと弁えている。
さて、私は巻き込まれて舞台に上げられたわけだが、カール王子の婚約者として、王子の望む役は真摯に引き受けなければならないだろう。
私は第二王子の婚約者という立場なのに、特に抜きん出て優秀だとか、誇れる所が無い。
強いて言うなら真面目なのが取り柄だ。
あとは、付き合いの良さかしらね。
私の演じる役にふさわしい振る舞いをする事は心掛けている。
ほら、こんな風に、断罪される悪役令嬢役を欲されれば、即興でお付き合いしてしまうくらいには。
(……悪役令嬢ってこれで間違いないわよね?)
アメリアさんは、やや密着している私達に割って入ろうとしたが、王子にやんわりと押し戻された。
あら、そう言えば足の具合はどうなのかしら?
杖は?
骨折したって言っていた様だったけれど、聞き間違いだっただろうか。
いやいや、きっとそういう設定なのだろうから、水を差すだけ野暮だ。
空気を読んで立ち回れてこそ貴族の娘だ。
キッと表情を引き締めて、なるべく悪そうに振る舞う。
小説はあまり読まないが、話題についていけないと社交にならない。
かわいそうなヒロインに対峙し、恋人との障害になるのが悪役令嬢の役回りだとは心得ている。
アメリアさんを打つわけにはいかないから、王子を打たせてもらったが、アメリアさんの精神にはなかなか効いているようで安心した。
「悪役令嬢役として、これで満足かしら?」
私、うまくできてる?
「テ、テレジアさん、信じられない! なんてことするの! 悪役令嬢は、王子を平手打ちなんかしないのよ!」
アメリアさんを無視して王子の頬を叩き続ける。
カップルを害するのが悪役令嬢でよかったのよね。
「やめて! テレジアさん、やめてよっ!!」
泣きそうな声で再度私を止めようとするが、またしても王子に阻まれる。
大丈夫、効いてるわ。アメリアさん泣いてるもの。
「カール、分かったでしょ、この女はこういう酷い女なのよ。宰相の娘だろうが、伯爵令嬢だろうが、カールに相応しくないわ!」
不敬罪で断罪したければするがいい。
私は王子に求められてこの役を演じているのだ。
まったく迷惑な事だが、私を道化にして完璧に利用する、その点ではカール王子は信頼に値する。
私は透明な糸で動く操り人形に徹すればいい。
「ね、テレジア……怒ってる?」
無抵抗に地に膝を付き、頬を張られている王子は、恍惚とした表情で小さく私の名を呼ぶ。
王妃譲りの色素の薄い髪がサラサラとそよぐが、全くダメージを与えた様子が見えない。
この美しい顔を叩くのは美に対する冒涜と言われても仕方ないが、ここで引く訳には行かない。
こっちが頑張っているのに、叩きやすくするためにと王子の胸元を握った私の左手に、指を絡めるのはやめて欲しい。
「ご自分の仕出かしたことが、わかっていらっしゃるの?」
この王子がどれほど愚かで、その反面、いかに賢く勇猛か、この学園に居る者達なら誰でも知っている。
知らないのは外部からこの学園に編入してきたばかりのアメリアさんくらいなものだろうか?
この学園には、カール王子が企てたであろう事に水を差す輩は、もはや存在しない。
アメリアさんは事情を知らないのを良いことに、この変態に逆手に取られたのだろうか。
それにしても――
「まさか、まさか
ふるふると私の手が震えている。
じつは、もう手が限界なのだ。
女学院に入って以来、特に体も鍛えずに淑女らしく生活してきたのが仇となった。
私だってもう手が痛いので頬を張るのはやめたいのだ。
王子には全然効いてないし。
「……後から後から、私のいる所でコソコソとなさって……」
すると、私の手がもう限界なのを知っているカール王子は、赤くなった手を握り込むとそれに唇を寄せる。
「ねえ、テレジア……少しは、妬いた?」
王子が期待を込めた目で見上げてくる。
「――くっ、この、変態っ」
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