第35話 ヨルトの村
風を切って走ること数時間――。
俺達はレグルス皇国と東の森の境界線にある、ヨルトという小さな村で一休みすることにした。
「どぅ、どぅー」
俺は手綱を引き、竜をゆっくりと歩かせる。
村の周りを囲う木の柵に、手綱を括り付けた。
「ふわぁーっ! 気持ち良かった~!」
クロネが両手を空に向け、大きく身体を反らす。
その横でリターナも腕を大きく上げて伸びをしていた。
むぅ……、こればっかりはリターナに軍配が上がるか……。
「ちょっと、クライン? 何か言いたそうじゃないの」
「へ⁉ いや、ちょ……」
すると、リターナが意地悪そうな笑みを浮かべて、
「あら、そうよねぇ、仕方がないわ、殿方ですものね?」と腕を組んできた。
「はうっ⁉」
す、すごい……腕に当たる感触に全神経が持ってかれる!
これ程までとは……。
「ちょっとクライン? へぇ……いいんだ? それで、いいのね?」
クロネがふつふつと暗黒闘気に包まれ、もはや黒い影にしか見えない。
「ちょ、待った待ったー!」
俺はリターナをひたすら拝み倒して、腕を解いてもらう。
「クロネちゃん、からかってごめんなさいね。ふふふ……」
「ふん、さっさといくわよ!」
外套を翻し、クロネはガニ股で村へ入っていく。
俺とリターナはその後に続いた。
村には、小さいながらも食堂や、雑貨屋、道具屋、武具屋と言うよりかは、金物屋などの最低限必要となるお店は揃っていた。
「へー、意外に人が多いんだ」
「そうだな、俺達みたいな旅の連中もいるし……」
「ちょうど良い場所にあるからでしょうね」
俺達がウロウロしていると、杖をついた老人が声を掛けてきた。
「これはこれは旅の御方、ようこそヨルトへおいでくださいました。何も無いところですがどうぞごゆっくりなさってくだされ」
「ありがとうございます、助かります」
小さく頭を下げると、
「もし良ければ、私の家でお茶でもどうですか?」お爺さんはにっこりと微笑む。
「いいの⁉」
クロネが訊ねると「もちろんですとも、ささ、こちらです」と言って、お爺さんは歩き始めた。
俺達は顔を見合わせた後、リターナの「特に問題はないかと」と言う言葉に頷き、お爺さんの後を追いかけた。
*
漆喰の塗られた白い壁。
小さな絵とスツールに花瓶が置かれ、オレンジ色の花が生けられていた。
家にはお爺さん以外、誰も住んでいないようだった。
「へぇー、良いお家ですねぇ」
「はは、あまり褒めんでください、鵜呑みにしますので」
お爺さんは照れくさそうに頭を掻きながら、人数分のお茶をテーブルに置いた。
「ありがとうございます」
「うわ~、このお茶、良い匂いがする!」
「ふふ、ヨルトティーですね、久しぶりだわ」
リターナが言うと、お爺さんは嬉しそうに目を丸くした。
「おぉ! ご存じでしたか。いかにも、こちらは我が村で収穫したヨルトの葉を煮出したものです。お陰様でレグルス皇帝陛下にもご愛飲いただいております」
「レグルス皇帝陛下にも⁉ へぇ、それは凄いですねぇ……」
カップを見つめながら、俺は頷いた。
「うん、美味しいよ! 香ばしくて、クセになる感じ」とクロネ。
「そうですか、そうですか、お口に合いましたようで、私も嬉しいです」
「あ、申し遅れました、私達はレグルス皇国まで向かっている途中でして、彼女がクロネ、こっちがリターナ、私はクラインと申します。どうぞよろしくお願いします」
「これはご丁寧に、私はこの村の長をしております、タタと申します。まあ、長といいましても、これといった取り柄もなく、ただ、長く生きているだけでして……ははは」
謙遜するタタに俺は好感を持った。
こんなに人当たりの良い人も中々いないんじゃないだろうか。
と、その時、ふとタタさんの腕にある古傷に目がとまった。
「タタさんは昔、冒険者をやられていたのですか?」
俺が訊ねると、タタさんは寂しそうな笑みを浮かべた。
「あぁ、この傷ですか……はは。私にも若い時がありましてねぇ。恥ずかしながら、剣の道を志したこともあったんですよ」
「そう言われると、確かに体付きがしっかりしてますもんね」
「タタ爺、強いよ」
クロネがボソッと言ってお茶に口を付けた。
「タタ爺ってお前……。すみません、彼女自由な感じなので……」
「ははは、いえいえ、お気になさらず。私も堅苦しいのは苦手ですから」
「クラインが気にしすぎなの!」
「ごめん……」
「「ははははは」」
それからしばらくの間、タタさんの家で談笑した後、俺達は出発することにした。
「すみません、ごちそうになってしまって……レグルスの帰りにまた寄りますので、その時は、お土産を期待していて下さいね」
俺は手を差し出す。
タタさんの手を握った瞬間に、クロネの言った意味がわかった。
……これは、勝てないわ。
「クラインさん、クロネちゃん、リターナさん、楽しい時間をありがとう。お土産、期待してますね」
にっこりと笑うタタさん。
別れ際に、突然クロネがタタさんに向かってハイキックをかました!
「――⁉」
「おやおや……。クロネちゃんはお転婆さんですな、はははは」
クロネの蹴りをタタさんは眉ひとつ動かさずに止めて見せた。
「やっぱタタ爺……強い」
「タタ爺……強い、じゃねぇわ! お前は、何をいきなりハイキックかましてんだよ⁉ どういう心境になったらそんなことできんだよ? ったく、すみませんタタさん、悪気はないはずなんで……」
俺はクロネの頭を押さえて、タタさんにひたすら頭を下げた。
「ははは、いいんですよ、クラインさん。ちゃんとクロネちゃんは手加減してくれましたから」
「ありがとうございます、ほら、クロネもちゃんと謝って」
「いきなりごめんね、恋とハイキックは突然の方が盛り上がると思って……」
「なんだよそれ」
「ふふふ、クロネちゃんらしいわね」
「さあさあ、急がねば日が落ちてしまいます。どうぞ良い旅を」
「はい、では行ってきます」
「じゃあね、タタ爺~!」
「ごちそうになりました」
俺達はタタ爺に別れを言い、竜の元へ向かった。
竜の手綱を解きながら、
「ねぇ、タタ爺って何で独りで住んでるのかな?」とクロネが訊いてきた。
「う~ん、奥さんを早くに亡くしてしまったとか……」
「おモテになりそうですのに」
と、その時、村の若者が駆け寄って来た。
「どうもー。タタさんから、これを渡すようにって」
若者はぐいっと麻袋を差し出す。
「これは?」
「ん? ヨルトティーの葉です」
「え? 悪いよ」
「いや、受け取ってもらわないと、僕がタタさんに怒られちゃうんで」
「そ、そう? じゃあ、遠慮無く……」
俺は麻袋を受け取り、葉の匂いを嗅いだ。
おぉ! 香ばしくて、良い香りがする……。
「ねぇ、君。タタさんには奥様はいらっしゃらないの?」
リターナが訊ねると、若者は少し困ったように目を泳がせた。
「まぁ、あんた達は悪い人じゃなさそうだから……。僕が言ったって言わないでね?」
「「約束する!!」」
俺達は若者に向かって頷く。
若者は仕方ないと小さく息をつき、
「ここからレグルスに向かう途中の岩場に洞窟がある。そこを覗いてみればわかると思うよ」とだけ言い残して、村の中へ戻って行った。
「洞窟……」
「ね? ね? 気になるよね?」
クロネが好奇心の塊みたいに目を輝かせている。
「気にはなるけど……レグルスにも急がないとなぁ」
「えーっ⁉ ここまで聞いて行かないとかないでしょ⁉」
「そうよねぇ……ちょっと気になるわよね」
「ほらほら! おっぱい姉さんも言ってるじゃん!」
クロネがリターナの胸を指さした。
「ちょ、その呼び方はやめろ!」
「ふふ……まあまあ、二人とも。洞窟は往き道にあるんだから、ちょとだけ覗いて行けばいいじゃない?」
「ま、まあ、そっか、そうだよな」
「よ~し! 決っまりーー!」
俺達は再び竜に跨がり、レグルスを目指して走り出した。
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