19.共に歩む日々
最近、日曜日になると憲司がうちにいることが多くなった。日曜日に午前中事務所に行き仕事をしてからアパートに来て晩御飯を作るようになった。月曜に早く帰るためにすっかり習慣になったようだ。
私は税理士の仕事はよくわからないけど、月曜日に銀行や俗に言う公共機関が動き出すのでこの曜日が遅くなってしまいがちらしい。それを当然のことと今までは諦めていたが、憲司は努力を重ねてくれていた。
隔週に一回は私も日曜日が休みになったのでその時はせずに公園にいってみたり、例のパン屋に行ってみたりした。少しずつずれていった私たちの時間がパズルのように合わさっていく感覚がした。
憲司は今でも私を泣かせたことを忘れてはいないらしく、一緒に映画を見て思わず涙を流した時に一瞬切なそうな顔をした。何事もなかったようにすぐに箱からティッシュを引っ張り手渡してくれた。私も何も気付かないふりをした。
憲司と過ごす時間は穏やかで、心が静まる。
このまま、二人が歩み寄って過ごせたらいいなと思う。
いつだったか仕事からの帰りに最寄り駅の構内で菊田さんに会った。相変わらず彼女は生き生きとしていた。
「上手くいってるみたいね」
そう言って私の肩を叩くと腕時計を見て「いっけない、またね!」といいホームに向かう階段を駆け足で上って行った。彼女はきっと今すごく幸せなのだと思う。
いいな……私達も菊田さんたちのようになれるといいな。
憲司と同じベッドで向かい合って寝ている。その寝顔にそっと触れる。暗闇の中、憲司が目を覚ました。
「ん、おいで」
半分寝ぼけているんだろう。そういうとすっぽりと憲司の胸の中に入る。憲司の温もりと、足と足が触れ合っている感覚が鋭くなる。顔と顔がくっつきそうな程近い。 憲司の寝息が聞こえ出すと里美もゆっくりと夢の中へと落ちた。
──あの日から私達はボタンをはめていった。少しずつだけれど着実に。
爆発してよかったのだと思う。きっとあのままだと取り返しのつかないところまで落ちていた。憲司を愛していた分、憎み、それを自分の心へ戻しキリキリと締め上げただろう。
◇
里美は少し変わった。今までは遠慮させてしまっていたのだろう、甘えるようになった。自分が支える、してあげるというだけではなく、俺に頼むようになった。
ドライヤーをかけて
寝るまで抱きしめて
会える?
里美は我慢していたのかわからないが、里美のおねだりが嬉しい。必要とされているのもあるが五年間のすれ違いを埋めているような気がする。俺は、里美を深く傷つけた。その事実は変わらないがこの十字架を背負っていく。
菊田さんが言っていた言葉の意味はきっとそうなんだと思う。
里美を大事にしたい。
泣かせたくない。
笑顔にしたい。
里美がベッドに横になり携帯電話の写真のアイコンに触れると憲司と書かれたアルバムを開く。
「それ、何?」
「あ、憲司の送ってくれたやつ」
二人で一枚一枚見直していく。
だいぶ枚数が溜まっているようだ。あの日から積み重ねてきた日々を思い出す。里美を大事にしたいと始めたことだったが、いつのまにかこんな数になっていたことに改めて気づく。その一枚に目が止まる。だいぶ前に送った里美と同じ名の居酒屋の写真だ。
「これ、二駅向こうにあるんだけど店主は大将だったよ、里美みたいな女将じゃない」
里美は瞬きをしてこちらを覗き見る。疑っているようだ。
「や、マジだって! ねじり鉢巻きのハゲ頭だぜ? 今度休みの前の日にでも行こう。お前笑うなよ? 顔にすぐ出るから」
「笑うなって言われたら無理だし、じゃあ笑わなかったら憲司が奢ってよ?」
憲司は里美の額にデコピンを食らわすとニヤリと笑う。
「もらったな──この勝負……その日昼飯抜いとくから」
里美が仕返しとばかりに憲司の脇腹をくすぐりだす。ドタバタと夜遅くにもかかわらずベッドの上で暴れる。笑い声がしばらく響いていた。
◇
日曜日の晩、俺たちは駅で待ち合わせをして念願の居酒屋の前にいた。
居酒屋 里美
看板を二人で見上げているが、里美は初めて来たというのに感動すらしているようだ。写真で繰り返し見ていたので、まるでドラマの聖地巡りのような心境なのかもしれない。
「さ、入ろう」
「…………」
何を緊張しているんだろう。同じ名前の店なだけだが里美は周りをキョロキョロとしている。
空いているカウンターに座るとすぐに若い店員がおしぼりを持ってくる。
オススメを聞きとりあえず注文すると里美はカウンターにいるであろう大将を探していた。
「あ、あそこだよ」
冷蔵庫の中をのぞいていて見えなかったが大将が立ち上がり注文したビールを俺たちに手渡す。
きっと厨房は暑いのだろう真っ赤な顔してねじり鉢巻をした大将が満面の笑みでこちらを見ている。
「あ、あの……大将のお名前は……里美さんですか?」
「ん? あぁそうだよ里美だ」
「そうですか……いいお名前ですね」
里美はドヤ顔でこちらを見ていた。大きい目で凄む里美に思わず笑う。
すっかり賭けのことを忘れていた。どうやらさっきから静かなのはそういうことだったらしい。
「里美、俺の負けだ。もう笑っていいよ」
「ぷ、ははは……よかった」
それから里美は大将と意気投合して里美同盟とやらを設立した。無邪気に笑う里美を俺はじっと見守った。
電車に乗って最寄りの駅に着くと俺たちは手を繋いで里美のアパートへと向かっていた。今日は天気も良かったので夜空がきれいだった。深い群青色の空を見上げながら二人で歩いた。里美は酒も入り上機嫌だ。時折子供のように腕を振り俺の腕にしがみつく。その仕草に思わず笑みがこぼれる。
数ヶ月前の里美からの別れ話から俺たちは変わった。
一緒にいるために色んな事を変えて努力もしたし、今までの自分を見つめなおした。同じ境遇で別れるという選択肢をする恋人たちもいるだろう。だけど、俺たちは再び愛しさを紡いだ。それが正解かどうかなんてものは誰にも分からない。それが人間だろう。
俺は大きな過ちを犯したことに変わりはない。
でも……この世の中には己の罪を悔い改め、歩み寄り、共に歩み続ける人たちがいる。その人たちは──今幸せである、そう思いたい。
道中にある公園に気付くと里美は駆けて行きブランコに飛び乗り、嬉しそうに漕ぎ出した。しばらく電灯の下で里美の姿を見ていたが、俺に隣に来るように里美が声を掛けた。ゆっくりと歩み寄ると、俺は里美のブランコのチェーンを掴み勢いと揺れを手で止めると座ったままこちらを見上げる里美にキスをした。
顔を離れると電灯に照らさせた里美ははにかんだ表情を見せた。
「里美……」
「なに?」
「里美、俺と……結婚してくれないか?」
俺はずっと胸に抱いていた大切な言葉を伝えた。
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