かつて愛した女性は異世界に転生してとんでもなく強くなっているらしい
御剣ひかる
あれが俺の願望だなどとは認めたくはない
真っ暗な中、リカルドは一人佇んでいた。
不意に、目の前が明るくなる。
かつて愛した女性、ディアナが現れ、微笑みかけてくる。
緑の瞳、ウェーブのかかったくすんだ金髪、清楚な立ち振る舞い。何もかもを愛しいと思っていた。
ふっと、また景色が暗くなる。
今度は、遠くに街の景色が見えた。しかしリカルドの知っているどの景色とも合致しない。しいて当てはめるなら本や画像などで見る中世ヨーロッパの街といったところだ。
そこには様々な人種、いや、人に限らず獣人やエルフと呼ばれる外見の者達もいる。
ファンタジー世界。
そんな単語がリカルドの頭に浮かんだ。
街を行き交う人々の中に、ディアナを見つけた。ファンタジックないでたちで歩いている。
物語で魔術師が好んで着ているローブとハットをかぶり、腰には剣を差していて、体が透き通っている。
自分が知っているディアナとはかけ離れた恰好なのに、なぜだかリカルドには彼女がディアナだという確信があった。
彼女が、ふと顔をリカルドに向けた。
「ディアナ……」
懐かしさに頬を緩めるリカルドに、ディアナも笑いかけ、近づいてきた。
「久しぶりね。あれから五年ぐらいかな」
服装は全然違うのに、声も、姿も変わっていない。
彼女と死に別れてから五年、リカルドは年月相応に容姿が変化したというのに。
「リカルド、誰かいい
挨拶の次に発せられたのがそんな質問でリカルドは苦笑する。
『わたしのこと、忘れて、……幸せに……』
命の火が消えようとしているディアナの最期の言葉と切なげな表情を思い出して胸が苦しくなる。
「その様子じゃ、まだみたいね。見つけようともしてないでしょ」
図星だった。
「無理だよディアナ。もう俺は誰も愛そうとは思えない」
彼女ほど愛せる女性はいないだろう。いるとしても見つけようとは思えない。
この五年でリカルドがなしたことは、父を毒殺することだった。
結果、父の地位を受け継いだ。無理やり押しとどめられ続けたマフィアの世界から、これで完全に逃げられなくなった。それでも、そうしてでも父の暴虐から逃れたかった。
そんなことばかり考え実践したリカルドが、誰かを愛することなどできはしない。
リカルドが口に出せない本音を考えていると、ディアナは何もかもを見通すような顔で静かに微笑んだ。
「わたしね、死んじゃってから異世界に転生したのよ」
……は?
思考が途切れた。
「思った通りの顔」
ディアナが笑う。
「でも本当なのよ。この格好見て判るでしょ?」
理屈は判るが理解はできない。リカルドはなんと答えていいのか頭を悩ませた。
「わたしは新しい世界で新しい人間関係を築いて新しい目標のために働いてるの。だからリカルド、あなたも前を向いて。あなたの世界で目いっぱい生きて、できる限りの幸せをつかんで」
ディアナが新しい世界で。
幸せに暮らしているのか。
俺のことを吹っ切って。
それはいいことだ。
俺は? 俺はできるのか? しないといけないのか?
いや無理だ。できるわけがない。……したくない。
しかしこの思いは口にしてはいけないとも思えて、リカルドはかぶりを振ることしかできなかった。
ディアナは肩を落として息をついた。
「とどまってばかりじゃ駄目よ。――あ、そうだ。いいこと思いついたわ」
彼女はにっこりと微笑む。ちょっとした悪ふざけを考えている顔だ。
「わたしと勝負してよ。わたし強くなったのよ。一生懸命生きることがどれほどの強さを得るのか実感したらいいわ」
言うと、ディアナは腰の剣を抜いた。
形はいわゆる片手剣だ。特徴的なのは刀身に赤い文様が施されているところだ。だが鋭利さは見受けられない。
あれで斬れるのか? とリカルドが剣を見ていると、ディアナは「それじゃ行くよ」と力強く言葉を吐きながら斬りかかってきた。
払いからの斬り返し、フェイントからの突き。
ディアナの剣裁きは悪くない。
だが異能者であり戦い慣れしているリカルドにとって彼女の攻撃は大振りすぎる上に速さが足りない。やすやすと刃をかわしていく。
亡くなる前のディアナはもちろん剣など持ったことがない女性だった。それを思うと確かに強くなったのだろう。だがこれぐらいで自分に勝てると思われたのかと考えると、リカルドの口に笑みが浮かんだ。
「さすがに極めし者相手にこれでは通じないか。そんなほほえましいものを見る顔されちゃったら、本領を発揮するしかないわね」
軽く息を切らせたディアナは剣を掲げ持った。
「風の力よ、剣に集え」
彼女の言葉に応えるように、刀身の文様が光を放ち始める。
何か、来る。
リカルドが身構えると時を同じくして、ディアナが切っ先を向けてきた。
「エアリアルスラッシュ」
ディアナの声と共に咄嗟に防御の姿勢をとったリカルドの腕に痛みが走る。
見ると、服が裂け、血がにじんでいる。
「……これは、
つぶやくリカルドにディアナはうなずく。
「極めし者の力とは違うわ。わたし、精霊術を扱う魔術師なの。さぁ、それじゃ本気で行くわよ」
今の攻撃もかなりの衝撃だった。これで手加減しているというならば、確かにディアナは強い。
次の攻撃は回避しなければ。リカルドは本気で身構えたが。
ディアナの姿が掻き消えた。
どこにいるのかがまったく掴めない。
焦るリカルドの耳にディアナの声がどこからともなく聞こえてくる。
「風よ、闇よ、我と共に――」
先ほどとは比べるべくもない魔力が動くのをリカルドは感じ取っていた。しかしディアナの居所はつかめないままだ。いつどこから攻撃されるのかも判らない恐怖がリカルドをわしづかみにする。
朗々と紡がれる呪文はまるで死を誘う
それでいいのではないか。リカルドは思った。ディアナの手にかかって死ぬのも悪くない、と。
「吹き荒れろ闇の風、“ルインストーム”」
ディアナの声がひときわ大きくなり、目の前に彼女の姿が現れる。
同時に、黒いもやが集まり、渦を巻いてリカルドに襲い来る。
全身を切り裂かれる痛みを想像したが、強烈な圧を受けて吹き飛ばされた。
体中が痛い。だが死ぬようなダメージではない。
「今、死んでもいいって思ったでしょ」
ディアナの呆れ声が上から降ってくる。
「リカルドの馬鹿。わたしがあなたを殺すわけないし、そもそもそれなら勝負なんて言わないわよ」
片膝をついて体を起こすと、ディアナがかがんでリカルドをふわりと抱きしめた。体温はないが感触は生きていた頃のそれと似通っていた。
「生きて、一生懸命。あなたの幸せを祈ってるから」
ディアナは笑顔を向け、そのまますぅっと姿が薄くなっていく。
リカルドは大きく息を吐き出して目をかっと見開いた。
寝室だった。
「夢……、だな」
思わずひとりごちるほど、夢と現実が混ざり合っていたように感じる。
ディアナが異世界転生しているなど信じられないが、夢であることを否定したくなるほどに生々しかった。
「夢は脳が見せる願望という面もある、とは聞くが……」
あれが俺の願望だなどとは認めたくはない。
言葉にできない複雑な思いが去来し、まだ真っ暗な寝室にリカルドのため息が漏れた。
今見た夢は願望ではなく事実であることを、彼は知る由もない。
(了)
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