感謝祭最終日は、目に痛いほどの晴天に恵まれた。


 初日にも負けないくらい多くの人々が宮殿前の広場へ押しかけ、今度はそれを上から見下ろす立場になったエミリアは、朝から感嘆のため息が止まらなかった。


 城内を埋め尽くし、それでも収まりきれずに城の外まで広がり、町の中央広場まで延々と続く人人人。

 これらの人々を自分の大声一つで止めなければならないのかと思うと、その発想の異常さ以上に、これから自分たちがやろうとしていることはあまりにも荒唐無稽に思えてくる。


 実際、フェルナンド王子から計画を打ち明けられたランドルフは、

「はい。そうですか……」

 と承りながらも、どこか納得できていないふうだった。


「本当に大丈夫かな……?」

 呟くエミリアは王子に肩を叩かれ、軽く目配せされる。


「大丈夫だよ」

 

 露台へと続く真紅の絨毯の上に立つ王子は、黒い大礼服に身を包み、既に準備を終えている。

 金の飾諸や肩章が眩しく、裏地が赤のマントもあでやかな、いつにも増して気品のある華やかな雰囲気だ。


 周りにはいつものように近衛騎士たちが付き従っていたが、その中にランドルフの姿はなかった。

 ランドルフは今日は、アウレディオと行動を共にしている。

 指示された位置で待っているはずの二人に思いを馳せ、エミリアは隣に立つフィオナと手を繋いだ。


「大丈夫よ」

 目を目を合わせて頷きあって、勇気をもらい、自分と同じくらい冷たくなったフィオナの指をそっと離し、エミリアも所定の位置につく。


 高らかに吹き鳴らされるファンファーレと共に、フェルナンドはマントを翻し、優雅に歩き始めた。

 その左前方という位置をキープしながら、エミリアも広い露台に向かって、長いドレスの裾を踏みつけてしまわないように注意し、歩き出す。


 ワーッという大歓声が、建物の中にいた時よりも間近に響き、王子を始め王族方の身を守る術が、一つ少なくなったことをエミリアは強く意識した。

 どきどきと緊張感が増す。


 先日の経験から考えると、向こうが狙ってくる可能性が高いのは、今この時だ。

(いくわ!)

 覚悟を決めてエミリアは息を大きく吸いこんだ。

 お腹に力を入れて、体の奥底から声をふり絞る。


「フェルナンド様! ランドルフ様! ディオ!」


 大声を出すのにも限界があるため、『ぜひ自分の名前も呼んで!』というフィオナの訴えは敢えて無視しての、最善の人選だった。


 渦のようだった人々のざわめきが、不自然極まりなくピタリと止まる。

 次の瞬間、広い城の中で動きだすことができたのは、エミリアと彼女が名前を呼んだ三人だけだった。


 フェルナンドを狙っていた弓使いは、尖塔の中ほどの階段でランドルフによって取り押さえられた。


 弓をつがえようとした次の瞬間、時が止まり、気がついた時には目の前に近衛騎士が立っていたその人物は、すっかり気が動転し、ランドルフに簡単に捕まったあとも、いまだにわけのわからないことを口走っているのだという。

『な、なんでだ? 確かに誰もいなかったはず……! こんなはずは……⁉』


(確かに信じられないわよね、うんうん……私も信じられないもの……)

 自分でおこなったことではあるが、エミリアも心情的には、彼にとても同意するところがあった。




 滞りなく行事は終わり、自室へ帰ったフェルナンド王子に付き従い、エミリアとフィオナとアウレディオも、その豪華絢爛な部屋へ入った。


「しばらくの間なぜか体が動かなかったなんて……そんなことあるわけないのにねぇ?」

 捕まった男の主張を蒸し返して、にこにこと笑いながら、長椅子に腰かけて優雅に足を組むフェルナンド王子は、案外人が悪い。


 そう評価しながらも、優美な姿には、エミリアはやはりため息を吐かずにはいられない。

「お役にたててよかったです……」

「ああ、ありがとう」


 それまで二人のやりとりを、壁に背中を預けて立ちながらじっと聞いていたアウレディオが、ふいに遮った。


「じゃあそろそろ、今度は俺たちの願いを聞いてもらえますか」

 腕組みを解いて、体を乗り出した姿に、エミリアの心臓はドキリと跳ねる。

(あ……)


「ああ。約束だからね」

 悠々と頷いた王子に歩み寄ったアウレディオは、耳元に口を寄せ、何事かを囁いた。


 王子は再び頷くが早いか、

「なんだ。そんなことぐらいお安い御用だよ」

と上着の釦に指をかけ、それを外し始める。


「ち、ちょっと待って下さいっ!」

 悲鳴を上げて部屋から出ていこうとするエミリアに、わざと悪戯っぽく笑いながら、

「別にここにいても構わないよ?」

とさらりと言う。


「そ、そういうわけにはいかないです!」

 フィオナの手を引いて急いで退室しようとしたエミリアだったが、そのフィオナは足に根が生えたかのように動いてくれなかった。


「私も、別にここにいてもかまわないんだけど?」

 いかにも、単に動くことが面倒だと言いたげに、気だるげに首を傾げてみせるので、エミリアは力の限りに、彼女の華奢な腕をひっぱる。


「だめよ! 絶対にだめなの!」

「えー……」

 ひきずるようにしてフィオナを部屋から出し、ようやく閉めた扉の向こうからは、我慢できなくなったと思われるアウレディオの大爆笑が聞こえてきた。


 エミリアはムッとしながらも叫ぶ。

「ディオ! あとは頼んだからね!」


 返事はなかったが、ひとまず隣の王子用の二つ目の応接室で待つことにした。




 すぐに部屋から出てきたアウレディオに、どうだったのかを尋ねなくても、答えはあらかじめわかっていたような気がした。


 アウレディオもランドルフの時とは違って、実にあっさりと、

「フェルナンドさまは違った」

 と教えてくれる。


(やっぱりね)

 ホッとする気持ちと、

(ああ……これでもう本当に、フェルナンド王子とランドルフさまとの接点もなくなるのか……)

 と寂しく思う気持ち半分で、エミリアは少し切なくなる。


 すっかり暗くなった家までの帰り道を、ひさしぶりにアウレディオと二人で歩きながら、エミリアはこれまでの怒涛のような数日間を思い返した。


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