第15話 同棲

「うーん、ここの間隔を少し広げて欲しいかな」

「わかりました」


この一言でA0の紙がまたパーになる。

俺はプラント配管のフロー図を描いていた。

フロー図は実際に配管するわけでなく配管図の元になる図面。

バルブの位置や配管径、ポンプやタンクや装置などにどうつなぐかを示す図面。

実際の寸法等は関係ないので自由に配置できる……かのように見えるがそうでもない。

配管図が実際に寸法通りに収まるかを重視するのに対してフロー図は見た目を重視する。

例えば4本のラインがあったとして、それぞれにバルブがついてるとしたらバルブの位置は縦か横にちゃんと並んでいないといけない。

ラインの間隔は等間隔に。

ライン名が記載できるように広めに取っておく。

レジューサの寸法はちゃんと基準通りに書く。

あとは作成者のセンス。

綺麗に並べて描け。

そして担当の好みでころころ変わる。

その担当の気分次第で図面を描きなおしてそしてA0のロール紙を消費する。

コンプライアンスがあるのでそのままポイ捨ては出来ない。

小さな家庭用のシュレッダーが悲鳴を上げるくらい使用される。

俺は今千葉にいる。

どうしてか?

次の仕事が千葉の半導体工場のプラント配管工事の図面だから。

高校程度で学んだ知識なんてほとんど役に立たない。

てか卒業して10年以上も経てば忘れてしまった。

真夏の8月の盆休みに冬莉とちょっと旅行しようかという願いはあっさり消えた。

最初は1週間だけというのが毎週日曜日に「延期して」の一言で終わる。

もう一ヶ月近くになっていた。

ヘルプでプラント部門の佐藤さんが入ることになった。

ホッとしてる場合ではない。

高校総体が開催されるこの時期にホテルを一部屋確保しなければならない。

支配人に頭を下げて何とか確保してもらう。

千葉といっても少し離れた場所。

駅の周辺は地元以上に廃れている。

目立った建物はパチ屋くらい。

最初ネカフェを探していたら徒歩40分くらいかかった。

最初のホテルはネット回線が無い。

毎日徒歩40分歩くのは辛いので自力でホテルを探した。

総体の時期だからなかなか見つからなかった。

ホテルから現場までは徒歩20分程度。

さすがに千葉まで車を持ってこれない。

貸し出す車両もない。

休日?何それ美味しいの?

月曜から日曜までみっちり仕事だった。


「宮成もこの際だからアパート借りたらどうだ?」


全力で拒否した。

そんなことしたら絶対に戻れなくなる。

佐藤さんが遅れて来たのは、奥さんが出産したから。

出産して間もない奥さんと赤ちゃんを地元に残して出張してきた。

ちなみに石井さんは滋賀県に出張。

石井さんはまだ結婚していないから問題ない。


「千葉か、都会だし羨ましいな」


地元とさほど変わらないように思えたのは気のせいだろうか?

地元と違うのはファミレスと回転寿司屋のチェーン店くらい。

そのファミレスや回転寿司屋もそんなにない。

それどころか工場とホテルの間にあるのはコンビニが一件くらい。

あの社長から「お前大丈夫か?」と言われるほどの環境で俺は働いていた。

そう言うわけで夏休みは仕事になった。

冬莉に「ごめん」と伝える。


「私は平気。それよりナリこそ体調気を付けてね」

「うん、ありがとう」


夏の終わりになるとやっと俺だけ地元に帰れることになった。

ちなみに最後の日も日曜日。

22時近くまで働かされた挙句「最後だから飯おごってやる」と居酒屋に連れていかれた。

散々食った挙句、締めにうな重を食べる2人。

俺には無理なので茶漬けにしてもらった。

そのあと担当の人は帰って俺もホテルに戻ろうとすると佐藤さんに一件付き合えと言われた。

俺はスナックに連れて行かされた。

女性が1人ついて話し相手になってくれる店。

冬莉にバレたら怒られるかな?


「お前、いい相手に巡り合えたな」


佐藤さんがそう言った。


「冬莉のことですか?」

「ああ、片桐さんだよ」


その後、佐藤さんの話を聞かされていた。

佐藤さんが地元を発つ何日か前から、冬莉が社長に訴えていたらしい。


「一ヶ月休みも無しで残業なんて立派な労基違反じゃないですか!?」


少しは休ませろと冬莉が嘆願したらしい。

そんなことしてたのか。

それで帰れることになったのか?


「帰ったら優しくしてやれ」


佐藤さんはそう言う。

確かにここのところ残業と出張が続いてろくに相手して無いな。

店を出ると2人でホテルに帰ってシャワーを浴びる。

さすがに寝てるだろうからメッセージを送った。


「明日の朝の飛行機で帰るから」


するとすぐに電話が鳴る。

冬莉からだ。


「どうしたの?」

「本当に明日帰れるの?」


また延期になるんじゃないかと心配したらいい。


「さっき駅前のコンビニで高速バスのチケット買ったよ」

「よかった、気を付けて帰ってきてね」

「うん、冬莉が社長に掛け合ってくれたんだって?」

「佐藤さんから聞いたの?」

「まあね」

「余計なお世話だったかもしれないけど、心配でつい……」

「ありがとう」

「うん、明日迎えに行こうか?」

「じゃあ、駅前まで来てもらえるかな?」


空港から高速バスで帰るから。


「わかった何時ごろ?」

「多分昼前くらいには着くと思う。ついでだからどこかで昼食食べて行こう?」

「うん、楽しみにしてる」


電話を切るとそのまま眠ってしまった。

朝にスマホのアラームが鳴ると起きてから仕度をする。

仕度が終ると駅前に向かう。

もう高速バスが待機していた。

荷物を載せてバスに乗り込むと羽田に着くまで眠っていた。

それから地元まで飛行機で帰ってそこから高速バスに乗る。

見事なまでの接続時間だった。

駅前のターミナルで降りると、冬莉に連絡する。

冬莉は南口で待ってるらしい。

南口に向かうと冬莉の車を見つける。

車に荷物を積んで助手席に座る。


「何食べたい?」

「冬莉に任せる」

「向こうでは何食べていたの?」

「コンビニでカップ麺とおにぎり」

「……そんな事だろうと思った」


冬莉はため息を吐いていた。


「じゃあ、麺類以外で探すね」


そう言って連れてこられたのはしゃぶしゃぶの店。

肉も当然だけど野菜が有名な店。

2人で食事して家に帰る。

さすがに疲れていたのですぐに眠ってしまった。


「ナリ、起きて。夕飯出来たよ」


冬莉に起こされると頭を抱える。


「どうしたの?」

「いや、今日くらい冬莉を休ませてやりたかったと思ってたのに……」

「私より今はナリが休む方が優先だよ」


冬莉は「冷めないうちに食べて」とグラタンを用意してくれていた。


「ありがとう」

「ナリこそお疲れ様」


そう言って冬莉はワイングラスにワインを注ぐ。

夕飯にワインなんて珍しいな。

ワインで思い出した。


いかがわしい店に入ったらだめ。


そのルールを破ってしまった。

隠しておくことも可能だけどバレた時のリスクもでかい。

素直に白状することにした。


「冬莉、ごめん」

「どうしたの?」

「昨夜実は……」

「いかがわしいお店に入った?」


へ?

唖然とする俺の顔を見て確信したようだ。


「そんな事だと思ったよ」


最終日、夜遅い、食事は済んだ……考えたらやりそうなことなんて限られてる。

それが分かるのは冬莉だけだと思うんだけど。


「で、どんなお店に入ったの?」

「女性と話をしながら酒を飲むだけ」

「それ、別にいかがわしくないじゃん」

「そうなのか?」

「だってナリ今何してる?」


冬莉はにこりと笑っていた。


「冬莉と夕食と酒を楽しんでる」

「でしょ?どっちが楽しい?」

「冬莉とに決まってるだろ」

「そう言うと思った」

「それでワインを用意した?」

「うーん、正確にはちょっと違うかな?」


そう言って冬莉は名刺を俺に見せた。

そういや昨日もらってポケットにしまっていた。

洗濯する時に気付いたらしい。


「私は怒ってないよ。心配しないで」


ちゃんと正直に話してくれたし。

それに冬莉がいういかがわしい店とは全くかけ離れているらしい。

冬莉の話だと会社の2次会で女性もスナックくらいなら入るらしい。


「じゃあ、どういう店がダメなの?」

「うーん、それは彼女に言わせることじゃないよ」


まあ、魔法使いだとわからないのかな?

冬莉はそう言って笑う。

食事が済むと冬莉は片づけを始める。

当然俺も片づけを手伝う。


「先にシャワー浴びていてよ。私も後から入るから」


え?


「冬莉、今日は日曜だぞ」


当たり前だけど明日は月曜……平日だ。家に帰らなくていいのか?


「それならちゃんと愛莉とパパに許可もらったから問題ない」


どうして?

冬莉は毎日俺の家に寄るのが面倒になったらしい。

だから荷物を全部運び込んだ。

道理で部屋の感じが違っているんだ。

ってちょっとまて!


「俺の部屋で寝るのか?」

「どうせ何もしてくれないから」


グサッと刺さるぞその言葉。


「知ってる?女性から仕掛ける事もあるんだよ」


そう言って冬莉は笑っている。


「てことは明日からは一緒に出勤か」

「ナリがまた出向なかったらだけどね」


いつも家にいないから少しでも一緒にいたいという冬莉の願いだった。


「わかった。とりあえず風呂に入ってくる」

「うん」


俺の家の住人は俺とフェレットだけだった。

そこに冬莉という住人が増えた。

少しずつだけど俺と冬莉は着実に一歩ずつ進んでいる。

しかしこの期に及んで俺は冬莉に触れる事すら躊躇っていた。

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