Report49: 女神は微笑まない
「終わりだ、次はそっちの、もやし男だ――」
リクセンが曲刀を振り上げる。
ペイズリーが何とか立ち上がろうとするのだが、顔は苦悶に歪んで、動けそうになかった。肩膝を着いた状態で、腹を押さえている。
ペイズリーは今、死に瀕していると言って良い。このままだと全員やられてしまうだろう。
そう考えたのか、無謀にもラッシュが全速力でのタックルを繰り出した。捨て身覚悟である。例え斬り捨てられようとも、相手を行動不能にする。そんな意思が感じ取れるようだった。
あの時と同じ……ラッシュがまだ日本に居る時、線路に転落しそうになっている女の子を助けた。それは無意識下での行動であり、犯罪者である彼の奥底に存在する善意によるものであった。自らの命を犠牲にした決意。自己犠牲。それは、もしかしたら……犯罪に手を染めた自分なんかよりも生き残るべき人間が居るならば、この身に代えて救うべきだという思いに起因するのかもしれない。
もしくは――人が死ぬ、目の前で。助けられるかもしれない。そう思った時、人は元来生まれ持った本質を顕すのかもしれない。無我夢中でラッシュは駆け出していた。
嘲笑するリクセンは、猛進してくるラッシュを冷ややかな目で見つめると、曲刀を構え直した。
だが、リクセンの腕に鈍痛が走り、彼は顔を歪めた。曲刀が握れずにガラン、と音を立てて落下する。彼が右腕を凝視すると、風穴が開いていた。撃ち抜かれたのだと気付くと、ジロリとその相手を睨んだ。視線の先には、銃を構えたメガミが居た。
そこへ、身を低くしたラッシュが獅子奮迅の一撃をかました。死を覚悟した人間の底力故か、それは重い一撃だった。
リクセンの身体はバキ、という嫌な音を立ててへし曲がり、地面を転がる。
「捕まえたぞ!! 動くな!!」
リクセンが動こうとするのだが、ラッシュが彼を羽交い絞めにした。近くに落ちていた曲刀は即座にメガミが蹴り飛ばし、リクセンの下から遠ざけられた。
全てが終わったようだった。パトカーのサイレンの音も先程より大きく聞こえ、近づいているのだと知れる。
この頃になると、遠目からこちらの様子を窺っている野次馬が幾人か、現れ始めていた。路上故、時折車両も通過していく。その際、こちらを気にする様子の運転手も居た。
「お父さん……?」
見物客の囁き声、自動車が走り去る音、サイレン。それらに混じって車輪の軋む音が聞こえてきた。やがて、戦場に居た彼らの視界に、車椅子と少女が現れる。それはリクセン・エバーローズの娘、キャロル・エバーローズだった。
「お父さん、だよね……?」
大きな車輪には不釣合いな、華奢な腕で車椅子を動かし、ラッシュ達の下へと歩み寄っていく。
偶然か必然か。《ブラックドッグ》とカーチェイスを繰り広げた結果、リクセンは娘であるキャロルの小学校付近にまで、戻って来てしまっていたらしい。
この日、キャロルは小学校を早退して、病院で足の治療をする予定だった。さしずめ、その道中、銃声を聞きつけたのだろう。
「声が聞こえた……お父さんでしょ……?」
自信なさげに発せられたその言葉は、か細くて消えてしまいそうだった。辺りは既に騒然とし始めて、少女の台詞は人々の声に重なり、掻き消されていく。
「……笑って暮らせる世の中にするんじゃなかったのかよ」
「確かに、こんな最期というのは……あんまり、か……」
リクセンを拘束していたラッシュの口から、言葉が漏れた。仲間を討たれて憤っていたペイズリーも、今は口を噤んでいる。
満身創痍のリクセンは冷笑し、何やら呟いていた。
「お父さん、なの……?」
キャロルは拘束されたリクセンの背中を遠くから窺うのだが、ラッシュが羽交い絞めにしている為、男の顔がよく分からなかった。
ボロボロの男が父なのか、確かめたいと思うと同時に、不安や恐怖といった感情でいっぱいなのか、声は震え、今にも泣き出しそうである。
そんな怯える少女の前に、メガミが立ち塞がった。キャロルへの、せめてもの優しさだろうか。無言でキャロルを見つめ、ただ行くな、と目で語っていた。
その時、リクセンが最後の力を振り絞った。ラッシュを振り解くと、走った。ひた走る。慌てて掴みかかろうとするラッシュの腕を払いのけ、ペイズリーの制止も振り切り、走った。
そして、通過しようとしていたトラックの前に、転び出た。
野次馬も含め、その場に居た全員が凍りついた。あっ、と思った瞬間にはもう遅い。クラクションが鳴り響く。
何を、何故、と思った事だろう。その答えも分からぬまま、トラックはリクセンの身体を攫い、十メートル程進んでから停車した。
言葉を失い、立ち尽くすメガミ、ラッシュ、ペイズリー。彼らを余所に、キャロルは慌ててリクセンの後を追おうとする。しかし、メガミがそれを止めた。
「お姉さん、誰!? どいて!」
「……お前のお父さんはここには居ない」
キャロルは声を荒げて抗議するのだが、メガミは彼女を放さなかった。メガミの表情はいつもと変わらず、ポーカーフェイスだ。感情が読み取れない。
ただ、その心中を察する事が出来そうな、どこか影のある顔をしているように思えた。
「でも、お父さんが……!」
「お父さんは、ここには居ない!!」
尚も食い下がるキャロルに、先程よりも大きな声でメガミは言った。その剣幕にキャロルは気圧されてしまう。
少女の目から、涙がじわりと込み上げてくる。
視界の端では大勢の人達が慌てふためき、慟哭さえも聞こえてくる。
「……危ないから帰るんだ」
諭された少女は押し黙ると、車椅子を反転させた。その憐れな後ろ姿を、ラッシュ達はただ見ているしかなかった。
サイレンが遠くでこだまする中、すすり泣く音が混ざって聞こえていた。
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