少年期10
はっきり叩きつけた言葉は、当然のようにノインの顔色を一変させた。むろん瞬く間に激怒させたのである。
とはいえアドルフは、その程度の反応で怖じ気づく男ではない。
「フン、我は他にも知っておるぞ、お前の抱える弱み、弱点を。まだ山ほどあるのだ」
重ねて言い放つと、ただでさえ紅潮したノインの顔がさらに赤みをおび、ティーカップを手にした指はカタカタと震えだす。
容赦ない挑発を突きつけるアドルフには遠慮というものがない。〈施設〉で暮らす他の生徒たち同様、あるいは存在が目立つぶん、アドルフはノインのことを細かに観察し、どういう人間であるかを十分理解していたからだ。
性格は簡単に折れないほどには頑固だが、同時にいろんな生徒とも接点をもち、お嬢様育ちのわりに高慢ちきとまでは言えない。
ノインがそうした少女に育った理由を、アドルフは親の養育と見定めていた。つまり院長先生が優しくも厳しく教育を施し、世渡りのルールのごときものをノインに課したのだろう。現に激しい口撃を食らいながら、ノインは自制を保っており、口汚い反論を抑えているように映った。
だがそういう品格の良さこそが弱点になりうるのだ。親の決めたこと以上の行動がとれない。自分の意志よりもつねに親の言ったことを優先してしまう。
つまりアドルフの暴言は、彼女の秘めた部分をほじくり返すことが目的でなく、ある種の挑発行為によってノインをむき出しの本気にさせることがいちばんの目的だった。
今回の〈計画〉に協力をさせるうえで、院長先生の指示だから動くのでは主体性がもてなくなる。そういう他人任せな連中は必ず足手まといになることを、数多くの部下を指導したアドルフは熟知しているのだ。
「ノインよ、我は決して意地悪がしたいのではない。何となく先生の指示だからと、惰性で付き合って貰いたくないのだ。必ず目的を達成させるのだという意志が見たい。お前の弱みは、自分の行動を自分で決めてないことが原因である。与えられた自由で満足かね?」
挑発めいた口調は変わらずだが、アドルフは次第に声のトーンを落としていく。
良識人ぶっているノインも、強く押し続ければ反発して前に出たがる。しかしそのとき、急に後ろへ引いたら、反発する側はたたらを踏むに違いない。
現にノインは、アドルフの言葉の圧力が弱まったのに戸惑ったのか、やにわに視線をそらし、頭にのぼった血を冷ましているように映った。
ここが勝負どころだと判じた彼は、もう一度上から目線で縦横無尽に捲し立てた。
「院長先生の教えを尊重することが、お前自身を押し殺すことであっては意味がない。差別を変えられる可能性の有無など聞きたくないのだ。差別が悪いことだと本気で考え、本当に変えたいと思っているかどうかを我は知りたい。中途半端な協力は逆に迷惑である」
そう、人間は自分に嘘をついていると、やがてその嘘を真実だと思うようになる。アドルフの分析によれば、おそらくノインは正しいことを諦めさせる材料探しに余念がないタイプだろう。
数が足らない、力では敵わない。しかしそれは目的に合致した理由を探しだし、あてはめているだけ。
「はっきり言ってやろう。院長先生が人格者だからと言って、お前までそうなる必要はない。ノインはノインのままでいればよいのだ」
怒濤のように畳みかけるアドルフの言動を、普通の人間は受けとめ損なうだろう。圧倒的な言葉の力に押し切られ、正常な判断力を放棄してしまうからだ。
しかしノインは、ゆっくりと時間をかけ、かろうじて冷静さを取り戻し、カップに残った紅茶をひと飲みする。そのあとに浮かべた表情は、アドルフにどこか院長先生を彷彿させた。やはり親子なのか、醸しだす雰囲気が似ているのだ。
「さっきからひどい言われようだけど、反論はしないわ。そうしてもあんたの指摘が正しいことを証明するだけだし、間接的に認めさせられるのは悔しいじゃない」
やがてノインがこぼしたひと言は、アドルフの完勝を意味していた。
人間どうしが言い合いになったとき、相手を論破することは次善にすぎない。ならば最善はいかなる結末か?
それは、相手のなかにある望ましき答えを引き出せたとき。その点でいうと、ノインのとった態度はアドルフの期待したとおりだった。
育ちがよくて我がままな彼女は、穴の空いたコップのようなもの。どんなに優しさを注いでも下から洩れてしまう。だからノインのような人間を相手にするとき、うわべだけ優しくしても意味がないのだ。大事なのは底に空いた穴を塞いでやること。具体的にいうとタフな目に遭わせ、自分自身でその弱みを埋めさせるのだ。
むろんそれは、相手を間違うと諸刃の剣である。しかし、幸いなことにノインは、アドルフがかねてより見込んでいたとおり、ただのくそガキではなく、大人の議論に耐えられるしなやかな知性をもっているようだった。さもなければ、たった八歳の子供が最善の答えにたどりつけるはずがない。
前世においてアドルフが指導した部下にグレゴール・シュトラッサーという男がいた。彼はとにかく理論家で、ナチス党は理論に依拠したルールのもとに動くべきだと考える男だった。
しかしアドルフはそのような考えを嫌い、党首である自分がルールを超越すべきだと述べ、そのとき対立して以来、シュトラッサーの指導者観に問題があるとみなし続け、最終的に〈長いナイフの夜事件〉で粛清するに到った。
大げさに聞こえるかもしれないが、こうした過去の体験はたとえ二度めの人生でもアドルフの言動を束縛する。
自分の味方に引き入れるからには、ノインが院長先生の教えに従っているだけでは満足できなかった。いずれ難しい壁に直面したとき、自分で考える頭がほしい。そう、他人に要求する我がままの度合いでいえば、ノインなどアドルフの足元にも及ばないのだ。
ちょうどそのときだった。隣に座るフリーデが押し黙っていた口をおもむろに開いた。
「論争はこのくらいでいいんじゃないか。本題を引き延ばされる側になって貰いたい」
言葉尻は批判的だが、顔色を見るとそうでないことがわかる。
差別を克服すべく共闘する間柄になったものの、アドルフは亜人族差別をどうやって無くすか、トルナバという町をどうやって変えるか、その方策を一切明らかにしていなかった。
つまりフリーデはいい加減じれったく感じたのであり、夕食を待つ子供のような目つきでアドルフをじっと眺め、さらにこう付け加えるのだった。
「僕は君に託しているんだ。危険でも怖がらない。どんなことでもやってみせるさ」
まるでお預けを食らっている猫だが、彼女の期待が不満に変わっては意味がなく、大胆にして柔軟なアドルフは、ここで肝心の〈計画〉を二人に話してやることにした。
「我も勿体ぶるつもりはない。だがこの話をする以上、裏切りも後戻りも許されない。その覚悟で聞いてほしい」
「見くびらないでよ。パパに言われたからじゃなくて、あたし自身の考えで受け入れるわ」
「いまさらだぞ、アドルフ。僕の心は決まっている」
それぞれが、自分の意志でアドルフの言葉を待つ。ある者は涙を見せた悔しさを払拭すべく、またある者は自分の足で歩くために。
両者はきっと、アドルフという触媒が存在することで、これまでと違う自分を人生に刻みつけようとしている。その若々しい眩しさに目を細めたアドルフは、フリーデとノインを交互に見つめ、肌触りの良いシルクのような声色で言った。
「亜人族差別をなくしていくにあたり、子供の相手は二の次だ。本当の攻略対象は大人たちである」
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