14. 餞別の思い出話

 教会のベンチで、クリストファーは昔の思い出を話してくれた。

 手切れ金だと思って聞いて行け。そう言って。



──クリストファーがユウヒを初めて見たのは、家の近くの道端だった。赤毛で色白のちびすけが、家のすぐそばにあるレモンの木の下で、いじめっこに叩かれていた。クリストファーは、それを助けに行った。

 泣いてるちびすけを背負って、彼の家に行ってみたら。“ハンサムで優秀”と近所で有名なコガネの、年の離れた弟だった。

 あのかっこいいコガネの弟?

 みんなの、そして小さなクリストファーにとっても、憧れの人。その弟がこんなに弱虫だなんてと、クリストファーは心底がっかりしたらしい。


 それでも、がっかりした気持ちはすぐに無くなった。

 ユウヒとコガネの家の屋根裏部屋は、秘密基地。音楽の機材であふれかえってる。キーボードにエフェクター、音楽を飲み込むパソコンに、スピーカー。

 コガネが音楽を演奏して、2人で踊っているうちに。気づけばクリストファーもユウヒも、DJのまねごとをし始めた。


 コガネの仕事が忙しくなって、屋根裏部屋は2人だけのものになった。子どもだから、コガネみたいに立派な音楽は出来ない。DJだって、知ってる曲のつぎはぎだらけ。それでも、2人は楽しかった。

 ユウヒは、コガネがくれた鍵盤で上手に音楽を作った。2人で飛び跳ねて、ユウヒのお母さんに嫌がられるのも面白かった。──


 ここまで話すと、クリストファーは私に、コガネの死因を聞いて来た。私が知らないと答えたら、彼は「俺が言うことじゃねえ」と言葉を濁した。


──それでも、コガネは確かに死んでしまった。次第に、ユウヒの家に遊びに行きにくくなった。ドアを叩いても、返事が来なくなった。夜に家から怒号が聞こえると、噂が広まった。ユウヒが学校に来なくなった。

 最後に見たユウヒは、機械頭に変わっていた。

 やがて、家は空き家になった。──



 話し終えたクリストファーは、わざとらしいため息を吐いてから伸びをする。もう、どこへも行けないのに。


「あー、これで、もうおしまいだ。お前らと俺が、関わる理由もねえ」


 彫刻みたいな顔は、今年のキングで、寮長で、パーティーが好きで派手な車を乗りこなす、よくいるハイスクールの男の子の顔をしていた。


「ご学友の誤解も解いておけ? “クリストファーはなにも企んでない、ユウヒを気遣う優しい人だった”って言えばいい。いいか?」

「……うん。そうだね」

「これからも俺は、お前らのいない華やかな世界で生きていく。次のキングが決まるまでのキングで、寮長で、みんなの憧れフットボール部のクリストファーだ」


 自分の役目だから。そう言いたげな顔で、クリストファーは軽々しい笑みを浮かべる。

 そうして、教会の重たいドアを自分で開けた。


「俺の親友だった男を、頼んだぞ」


 ドアはゆっくり閉まる。なんの音も聞こえない。振り返れば、青白い光の中で、パイプオルガンだけがこちらを見ていた。

 やっぱりここには、神様なんていない。

 もしいるのなら、顔のひとつも見せればいいのに。




 金曜日は当たり前のようにやって来た。昨日の夜は、メイリが帰って来る前に寝ちゃったし、朝は慌ただしく寮を出た。


 1週間前の今頃は、みんな、ダンスパーティーの準備で浮足立ってわくわくしてた。ドレスはどれにする? やっぱりこっちがいい? 誰と行くの? 誰か誘う? って、きらきらしてた。私だって、メイリほどじゃないけど楽しみにしてたのは覚えてる。

 あの時は、このまぶしい時間に、終わりなんて来ないと思ってた。


 授業はいつも通り過ぎていく。歴史に数学、コミュニケーションに文学に外国語。

 忙しいものばっかりでよかった。授業中なら、そのことばっかり考えてればいい。休み時間は、次の教室がどこにあるか思い出しながら走ればいい。


 こんな日に、おんなじ授業が多いのが、クララで少し安心した。メイリやビアンカだったら、私に元気がないことを、口に出して心配しちゃうから。肩を抱いて、ぎゅっと抱きしめて。「大丈夫だよ」って言ってくれる。

 私には、そんなこと言ってもらえる価値なんてないのに。


 今週最後の授業が終わって、クララと寮まで帰る。金曜日なのに、授業が終わるのは夕方近く。それでも、1人になるのは少し嫌だった。寮の部屋の前で、クララを呼び止める。


「ク、クララ、あのさ」

「ん?」

「一緒に、アイス食べに行かない? ほら、すぐ近くの……」

「野菊があたしだけ誘うの、珍しいね」


 それは確かにそう。だけど、そんなことにクララが気づいてるなんて、ちょっとびっくりした。


「でも、ごめん。今日、クラブ・ジャックでバイトなんだ。支度したら行かなきゃいけない」

「あっ、そっか……。金曜日だもんね」

「ユウヒも出るよ。みんなで来れば? なにかあったら、守ってあげるし」

「頼もしいね」

「その返事、来る気がないと見た」

「……うん。今日はちょっと、そういう気分じゃなくて」


 少し高いところから、クララが私を見てる。頭のてっぺんを見てるのかな。それとも、顔?

 クララはいつも、なにを考えてるかわからない。いざ口を開いても、なんで今それ考えてたの? って不思議に思うことばっかり。


「野菊は弱いけど、あたしは好きだよ。強いからね」


 ほら、またちんぷんかんぷんなことを言う。


「もう、なにそれ」

「だって野菊、誰かが弱点だらけでも、その人を諦めないから」

「……どうしたの、急に」

「急じゃない。いつもそう思ってるけど」


 心外ですと言わんばかりに、クララは首を傾げてる。もう、本当に、きっと永遠に、この子がなにを考えてるかはわからない。


「野菊が今、なにでしょんぼりしてるのかわかんないけど、それもどうせ、誰かを諦めないためでしょ。諦めたら、とっくに全部忘れて、みんなでクラブ行こうってはしゃぐだろうし」


 ハイスクールに入って初めて、目の周りが熱く、痛くなった。頭がきんと鳴って、奥からじんわりと涙が出そうになる。

 だけど、私は泣けなかった。その前に、することがあるから。


「ありがとう、クララ」

「なにが?」

「全部だよ! バイト、頑張ってね!」


 急いで部屋に戻って、荷物を置いて耳たぶに触れる。

 通信画面を出す。昨日からなんのやり取りもない履歴を開く。ごめんカイル、迷惑かけて。そう思ってから、私はあの名前に触れた。


“ユウヒ・スズキ・クロフォード”


 ユウヒが出るまで、何度もかけようと思った。もしダメなら、カイルに頼もう。最悪、クラブ・ジャックに行けば……。


『はい』

「ユウヒ! 今どこ?」


 勢いで転びそうになりながら、声が出た。裏返ってもいないけど、落ち着いてもいない声。それにユウヒが、苦笑いする音が聞こえた。


『あー……。どこって言うかー……。君、まだ学校?』

「ううん、寮に戻って来たところ」

『窓の外、見てみたら?』


 言われた通り、カーテンと窓を開ける。寮生用の駐車場と、寮から外へ出るための出入口。授業終わりの学生に紛れて、バイクのハンドルを押して歩くユウヒの姿が見えた。

 思わず、大声で叫ぶ。


「ユウヒ!」


 黒い機械頭が、きょろきょろと周りを見渡す。そうだよね、私の部屋がどこかなんて、ユウヒは知らないから。


「ここ! 2階!」


 大声で手を振ると、ユウヒより先に、歩いてる学生何人かが私の方を見た。すぐに関心はなくなるけど、慌てたのはユウヒの方だ。


『の、野菊、わかったわかった。見えたよ』

「話がしたいの。あなたと。どっか行くんだよね? その前でも後でもいいから、5分だけでもいいから、謝りたいの」

『落ち着いて。別に、今からでもいいよ。バイク持って来られる?』


 ユウヒのバイクの後ろには、いくつか黒い箱が積んであった。


「わかった、すぐ行くね」

『ああ、じゃあ君が着くまでに、どこへ行くか考えておくよ』



 メイリにメッセージを送って、それから急いでバイクを出入口に呼んで、私も走る。

 息を切らしてユウヒの前に飛び出した時は、さすがにユウヒも困ったように首をかしげてた。恥ずかしかった。でも、仕方ないよ。


「ご、ごめんね。どっか、行く予定だったんでしょ?」

「ジャックの出番まで時間があるから、どこかで考え事がしたかったんだ。機材があるから、君を乗せては行けないけど」

「じゃ、邪魔してごめん」

「別にいいよ。君のことを考えようと思ってたし」


 私が返事をする前に、メイリのバイクがやって来た。だから私はヘルメットをかぶって、バイクに飛び乗る。


「ど、どこ行く?」

「海かな。まだ夕焼けには間に合いそうだし、その後には新鮮な夜が見られるよ」

「うん、いいね」

「それに、君と話すなら、BGMがあった方がいい」


 そのまま、バイクで走り出す。機械頭の後を追って、私たちは海へ向かう。

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