<ノーブラッド編>第二話 IV

「ほ、ほんとだ………」


 紅白と一緒に下へ降りた氷野は、眼前の光景にホッとしつつも、どこか信じ切れない様子だった。しかし、無事保護されている楓を見れば、信じるしかない。


「あ!あんたねぇ!」


 下へと降りてきた紅白に気づいた天姫は、すぐに紅白に詰め寄った。その表情からは怒りが見て取れる。氷野はその形相をみて、自分の感覚が間違っていなかったと、少し安堵した。


「なんでもっと早く落とさないのよ!下で待ちくたびれて、おかげで危うく保護し損ねることだったじゃない!」

「え、そっち!?」


 天姫の言い分に、氷野はまたしても驚いた。さっきからの驚きの連続で、そろそろ心臓がもたないんじゃなかろうか。


「仕方ないだろ!こっちにも色々あったんだ。全部が全部スムーズにいくわけないだろ。そんなに言うなら、自分で行けばよかったろうが」

「私が行ったら誰が下で受け取るのよ」


 今回、紅白たちが取った行動は、紅白が上から落とし、天姫の重力操作によって、下で安全に保護する、といったものだった。打ち合わせしていたわけではないが、何も言わずに実行できるのは、日々一緒に過ごしているからだろう。


「それはお前が一緒に下に跳び降りればいい話だろうが」

「そんなことしたらパンツ見えちゃうじゃない!」

「おめーのパンツなんて誰が見るんだよ!パンツ一つで人を助けられるなら安いもんだろ」


 たった今保護された楓や、唖然としている氷野を置いてけぼりにして、いつもの通りギャーギャー言い争いを始める二人。まだ周りにほかの人がいると言うのに、気にしている様子もない。


「だいたい、あんたg………」

「……………」


 すると急に二人の動きが止まった。それは意図的に動かないようにしているわけではなく、まるで時が止まったかのように微動だにしない。よく見ると、二人の身体は少し白くなっていた。


「二人とも、一度落ち着きなさい」


 冬夏がそう言うと、二人はまた時間を取り戻したかの様に動きだした。


「「さむっ!」」


 紅白と天姫は同じ言葉を口にして体を震わせた。冬夏が瞬間的に紅白と天姫の周りの温度を下げて二人を凍らし、そして一瞬で解凍したというわけだ。


「仲が良いのはいいことだけど、今は喧嘩している場合じゃないでしょ」

「………すいません」

「へーい」

「へーい、ってあんたねぇ!真面目に謝る気ないでしょ!ちゃんと謝りなさいよ!誰のせいで怒られたと思ってるの!」

「それは俺のせいじゃn………」


 またしても凍らされる二人。


「同じことを何回も言わせないでね?」


 解凍された二人の視界には、まったく安心できない、物理的にも精神的にも背筋が凍りそうな上級生の笑顔が浮かんでいた。


「と、とりあえず、私たちが出来るのはここまでですよね。なんとか最悪の事態は回避できましたし、早く病院に戻してあげないとっ!」

「あー、ちょっと待ってくれ。少しこの人に聞きたいことがある」


 天姫を制止して、紅白は、地面にへたり込んでいる楓と視線を同じくした。


「先程は手荒なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。それで、少しお伺いしたいんですが、あなたは先程、俺のことを知らないとおっしゃっていましたが、本当に俺に見覚えはありませんか?」


 紅白はいつになく真面目な表情で楓に問うた。そしてそれを見た天姫と冬夏は少し驚いていた。学校ではいつもふざけてしかいない紅白の真面目な表情を見ることなど、ほとんどないからだ。


「………さっきも言った通り、あなたのことなんて知らないわ。会ったこともないはずよ」

「………そうですか。もし、差支えなければ、あなたが自殺しようとした理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「ちょっ!?」


 紅白の質問に、さすがに天姫は焦った。横の冬夏も焦りの表情が見て取れる。昨日の今日、さらに今さっき自殺しようとしていた人に、単刀直入でその理由を聞こうとするなど、デリカシーがないにも程がある。天姫と冬夏は、さすがにそれはまずいだろうと、紅白を止めようとした。


「……………能力が、使えなくなったの」


 しかし、意外にも楓は口を開いた。紅白を止めようとした矢先のことに、天姫と冬夏も、驚きを隠せなかった。さらに、その発言の内容が二人を混乱させる。


「……………」


 紅白は、その言葉に何の反応も示さず、黙ったままだった。眉間にしわを寄せ、目を細めている。


「コウ?」


 何も話さない紅白の顔を覗きこむ天姫。すると、


「ええ!?」


一番驚いていたのは紅白だったようで、大きく目を見開いている。


「わっ!」

「ぉぅ!」


 その紅白の声にびっくりして、天姫は咄嗟に紅白に能力を使ってしまい、重力によって、頭に来た急激な鈍痛に、紅白は涙目で頭を押さえた。


「おまっ、急に能力使うなよ!」

「あんたが急に大きな声出すからでしょ!」


 人目もはばからず、またしても喧嘩を始める紅白と天姫。この二人には、学習能力というものがないのだろうか。


「はいはい、二人とも。いい加減にしなさい」


 その二人の間に割って入り、喧嘩を止める冬夏。二人は、冬夏から感じられる、身の覚えのある冷気に体を震わせ、静かになる。


「でも、能力が使えなくなるって、滅多に起きることじゃないわ。いったい何をしたら、そんな事になるのかしら」


 紅白と天姫を静かにさせた後、腕を組み、思考を巡らす冬夏。


「そう、ですよね。私もそんな事例聞いたことありません」


 冬夏に同調するように、落ち着いた天姫も思考を巡らす。

 そんな二人を見てか、ますます表情が暗くなっていく楓。たまらず、近くにいた氷野に跳びつくように近づく。


「先生、本当に、私はもうどうしようもないんですか?もう、能力は使えないんですか?」

「そ、それは………」


 氷野は、言葉を詰まらせ、楓から目を反らす。その様子を見れば、良い返答が帰ってこないことは、容易に想像できる。


「能力が使えなくなる事例も、それが回復した事例も、世界的に見ればなくはないですよ」


 紅白の言葉を聞き、皆一様に紅白の方を見る。


「ほ、ほんとに!?」


 一番早く反応したのは、能力が使えなくなった本人、楓だった。


「如月、それは本当なの?」

「本当です」


 紅白の返答に、表情が明るくなる楓、しかし、


「ただ…」


喜んでばかりもいられなかった。


「それはあくまでも、内的要因によるものです。トラウマなどの感情の問題によって、能力が使えなくなった場合は、正しい対処をして、克服すれば使えるようになっています」


 楓の顔は、またしても暗くなっていく。無理もないだろう。


「しかし、おそらく今回はなんらかの外的要因によるものでしょう。俺の知る限りでは、外的要因で能力が使えなくなった、という事例はないです。だからこそ、今回は異例と言えるでしょうし、氷野さんも手を出しようがない、という状況なんだと思います」

「………如月君の言う通りだ。私も事例を調べてはみたが、治療に役立つような情報は得らなかった。診察をすればするほど、内的要因ではない可能性が高くてね。外的要因によって能力が使えなくなるなんて、聞いたこともない。もちろん、まったく内的要因の可能性がないというわけでもないから、カウンセラーを探してはいるんだが………」


 氷野の表情から察するに、現状では良い治療法はないのだろう。だからこそ、楓も絶望し、自殺を図るまでに至ったわけである。


「なんで………、なんで私なのよ!どうして!ねぇ!」


 楓は、氷野に当たるような形で、たまらず暴れ出してしまった。


「い、伊吹さん!落ち着いてください!まだ可能性がないわけじゃないですから!」

「でも、ほとんどないんでしょう!?」


 おそらく、今の楓に言葉は届かない。感情の整理が出来ていないのに、落ち着けとは無理な相談だ。


「落ち着いてください」


 紅白は、見かねて氷野と楓に割って入る。


「あなたもよ!なんで止めたの!あなたが止めなかったら、楽になれてたのに!」

「ですからそれは…」

「これ以上生きてても、意味なんて…っ!」


 声を荒げて暴れていた楓だったが、急に気を失ったかのように、静かになった。いや、事実気を失っている。


「え?」


 その様子を見て、氷野が目を丸くしている。


「すいません。このままだと落ち着きそうにないと思ったので、ちょっと気を失ってもらいました」


 紅白は楓を支えながら、氷野に謝罪する。


「気を失ってもらったって、何をしたんだい?」

「あ~、いや、その、俺の能力で、ちょちょっと………」


 氷野から視線を逸らす紅白。何のとは言わないが、自覚はあるらしい。


「如月君!彼女は病人なんだ!そんな手荒なマネはよしてくれ!」

「す、すいません。ちょっと、うるさかったもんで」

「うわ、サイテー」

「男の風上にもおけないわね」

「……………」


 たじろぐ紅白に、冷たい視線と厳しい言葉を浴びせる女性陣。紅白も、二人の言葉に反論できずに、言葉を失っている。


「で、でも、なんで彼女はそんなにも能力に固執してたんでしょうね?確かに今の時代は、みんな能力を持ってますけど、なくても生活には困らないだろうし」


 周りの空気の悪さに、居心地が悪くなった紅白は、あからさまに話題を変えた。そのせいなのか、声が少し上ずっている。


「あぁ、それは、彼女も自治会の役員だからだよ。大学のね」

「…なるほど、それであんなに」


 紅白たちが入ってる自治会は、何も高校生に限った話ではない。大学にも同じような組織は存在している。大学の数は高校より少ないが、より大人に近い存在ではあるので、信頼度が高く、自由度も高い。

 自治会というものは、自ら志願して入ることがほとんどなので、能力が使えないとなると、楓が絶望するのも、それはそうだろう。能力が使えないということは、活動ができなくなるのと、ほぼ同義だ。


「それはそうと、如月君、今日は診察に来たんでしょう?伊吹さんを病室に運んだあと、診察するので、院内で待っといてください」

「え?あ、いや、あの」

「神操さんも、まだ完璧ではないんですから、如月君と一緒に待っていてください」

「はい」

「あの、先生?」

「それでは」


 氷野は、楓を抱えて病院の中に入っていく。一人だとつらそうなので、冬夏が手伝う形で、楓は病院へと戻っていった。


「ほら、私たちも行くわよ」


 紅白はため息をつき、天姫に引きずられるような形で、病院の中へと入っていった。

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