03 秋空
俺の家に到着するまでに、時間はそれほどかからなかった。
二階建てのアパートの二階に俺の家はある。
階段を上がり鍵を開けて、家の中に入った。
「お邪魔します」
「スリッパいる?」
「あるの?」
「ない」
ないんかい、と突っ込みながら彼女は玄関を上がる。
他人に入ってもらうことを想定してなかったので、室内は雑然と散らかっていた。
「少し片付けるから待って」
「分かった」
机の上にある勉強道具やそこらに置いてある本を片付ける。
モップで簡単に埃を掃除した。
「家、結構大きいね」
「前は親と住んでたから」
親が死んでから一人暮らしだ。
「聞くの忘れてたけど、布団はあるの?」
「多分ある。どうぞ入って」
あらかた掃除し終えたので、彼女をリビングに入れる。
俺は襖ふすまを開けて隣の和室に入り、その奥にある押入れの中から布団引っ張り出した。
「布団あったけど、ずっと使ってなかったやつ」
「ん、多分大丈夫」
彼女は持ってきた荷物を整理してした。
着換え、本、ゲーム、食品。食べ物を冷蔵庫に入れていく。
「お、冷蔵庫の中にいろいろ入ってる」
「頑張って並んで手に入れたんだ」
「そうなんだ。で、今日は何食べる?」
「何でもいいよ」
食べ物はスーパーで押し合いへし合いの戦いの末に、一週間は保つくらいの量を手に入れた。もともとカップ麺や缶詰、レトルト食品、冷凍食品は備蓄していたので助かった。
「佐藤君は料理できる?」
「多少なら」
「じゃあ手伝ってもらおうかな」
彼女の横に立ち、一緒に野菜を切ったりとした。
作るのはカレー。レトルトのカレーもあったが、今日は手作りカレーだ。
彼女の手は淀みなく動き、レシピも見ずにカレーを作る。
時々俺にも指示を出したりして、彼女を手伝った。
二人で料理を作るのは案外楽しい作業だった。
「よし! これでいいかな」
「ご飯はよそったよ」
「ありがと」
最後に皿にチーズをかけ、カレーのルーを皿に装って机に持っていく。
お茶を組んで夕食の用意は完了した。
「食べよっか」
「うん」
いただきます、と食べ始める。
久々に食べた手作りカレーは美味しかった。
「美味しい」
「ね!」
俺が言った言葉に彼女は相槌を打つ。
「うずら卵も買えば良かったな」
「うずら卵をカレーと一緒に食べるの?」
「うん。うずら卵のフライとカレーの組み合わせは絶品だよ」
「へ〜、佐藤君がそこまで言うなら死ぬまでに食べてみたかったな」
死ぬまでに、という言葉に引っかかった。
彼女は一週間後に死ぬことを明確に意識しているようだ。
「……そうだな。よく考えてみると、このカレーも人生で最後に食べるカレーかもしれない」
カレーを味わう。
野菜の溶けた甘み、香辛料の香り、ルーとチーズのコク。
俺は生きているから、カレーを食べられる。
そのことに気づいていなかった。
「うん。でもまた食べたかったら、あと一回くらいなら作れるよ」
「じゃあ、また作ろう」
「ふふふ、分かった。佐藤君、カレー好きなんだね」
「好きだけど、この藤原が作ったカレーは特別美味しい」
「二人で一緒に作ったでしょ」
「いや、俺は手伝っただけだし」
話が平行線になると思ったのか、彼女は少し笑って口を閉ざす。
俺も言い争いたいわけではない。彼女にお礼を言いたいだけだ。
今日食べたカレーは本当に美味しかったから。
「まあでも、これは本当に美味しい。作ってくれてありがとう」
「もう……、まあいいや。どういたしまして」
料理も美味しかったが、二人で話しながら食べる夕食は楽しい。
思い返すと、最近はずっと一人で夕食をとっていた。
俺と彼女は学校についての他愛もない話をする。それが『斜陽』を除けば、唯一の共通の話題だ。
二人で食べる夕食は、あっという間に食べ終わった。
――――――――
二人で食器を洗い、風呂に入る。
「一緒に入る?」という彼女の冗談は、鉄壁の理性で跳ね除けた。彼女が言うには恋人ならお風呂は一緒に入るものらしい。本当なのかは知らないが、心臓に悪いと思う。
湯船に肩まで浸かり、一息つく。
四十ー度の湯。湯面からふわりと湯気が立っている。
換気扇の止まった浴場で、行き場を失った湯気は天井にて水滴に変わった。
数分浸かると、額から汗が滲むのを感じる。熱い。
普段は寒いときに四十度。面倒なときはシャワーで済ませているので、四十一度の湯に全身を浸けるのはかなり熱い。ただその熱さが気持ちいいのだと彼女は言っていた。
この状況、自宅に女の子(恋人)が来ているというのは初めての経験だが、そこまで緊張はしない。
彼女は美人であり、夕日を浴びる彼女の美しさをまるで神秘的だとまで思ったが、話すうちに年相応な女の子だと分かったからだ。
それに彼女はまだ恋をしたことがないと言っていたので、俺よりも精神年齢は下な可能性もある。
俺が死ぬまであと一週間しかない。恋人ができるのも最後のことだろう。
変に怖じ気つくことなく、積極的に行くべきだと自分を鼓舞する。
これからする行動は、すべて人生最後になる。
夕食を食べているときに、彼女の言葉で気付いたことであり、気付かされてしまったことだった。
本当は、ずっと知らないふりをしていたかった。
……ならばもう一度、そんなことは忘れて、蓋をしてしまえばいい。もう一人の俺が言う。
「……あつい」
のぼせる前に風呂から上がることにした。
寝間着を着て、リビングに行く。
彼女は窓から外を見ていた。
周りにそこまで大きな建物はなく、高低差の激しい地域なので二階の家の窓からでも遠いところまで見渡せる。
「藤原、明日どうする?」
彼女は先に風呂に入ったので、湯は捨てた。
「夜空を見るとすると、昼前くらいから山に登ろっか」
彼女と話して、近くにある山を登ることにした。
ロープウェーがあるが、営業はしてないと思うので歩きだ。
「どうせならキャンプしない? 山の上で一泊するの」
「それはいいね」
幸いにも俺の親はキャンプが好きだったので、一通りの道具はある。
問題はキャンプできる場所はあるのかということだが、山の上には公園があった。本来キャンプしていい場所か分からないが、この世界の状況で文句を言う人は居ないはずだ。
俺と彼女は明日に持っていく準備をした。
準備も終わり、明日は登山ということで早めに寝ることにした。
俺が和室、彼女がリビングに布団を敷く。
俺は明日が楽しみでなかなか寝付けない。
そんな経験は初めてだった。
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