第26章 shingan
「この暑さじゃ大変だな」
真堂玄心は額の汗を拭った。
紺色の作務衣に、白い手拭いを頭に撒いている。
彼は僧職に就いている故に、毛髪を綺麗にそり落としているので、この強い日差しを直に受けるのは流石にきついのだ。
昨日ミートフェスタが開催された公園は、今日も朝から警察の捜査が続いていた。
突然、刃物を持った数人の男性が乱入して七人を殺害後、逃亡した――メディアはそう、事件の内容を伝えている。
救出した人々には集団催眠術で虚偽の記憶を植え付け、スマホやデジカメは押収し、画像も動画も消去している。
公園の監視カメラのデータも、こちらで回収した後に消去し、AIで造った別の画像と差し替えて戻すはずだった。
だが。
監視カメラのデータはハードごと全て抜き取られていたのだ。因みに、監視カメラの動画を管理していた一室に行くまでの通路に仕掛けてあったカメラデータも同様にだ。
『KEEP OUT』と書かれた黄色テープの向こうで行き交うのは警察の鑑識だろうか。
作務衣姿の青年の姿に関心があるのか、それとも犯人が現場に舞い戻ってきたかと疑念を抱いているのか、捜査の途中で時折鋭い視線が彼を直視する。
「真堂さん! 」
公園のメインストリート入り口に、白い半袖のワイシャツにグレーのスラックス姿の青年が立っていた。身体は真堂と同じく細身の体躯だが、そのシルエットは絞り込まれた筋肉の鎧を纏っているのをありありと物語っていた。
「弥刀さん、お疲れ様。調査係で招集が掛かったのは、私達以外にいるのかな? 」
真堂は眼を細めながら弥刀に尋ねた。
「葛原と須藤が来ています。警察の鑑識が入っているので、遠巻きに様子を伺いながら痕跡を探しています」
「まあ、その辺の物証に関しては警察に任せておきましょう。いずれその情報も我々の所にも入ってきますから」
「そうですね。では、こちらへ」
弥刀が真堂にそう促すと、彼は、直立したままの姿勢で、軽く跳躍してテープの結界を飛び越えた。
物音一つ立てずに着地。
弥刀にとっては特に物珍しい訳ではないのか、ノーリアクションなのだが、鑑識の何人かは驚きの表情で真堂を見つめている。
足首のばねだけで一メートル程の高さを跳躍したのだ。常人なら在り得ない跳躍力だった。
「こっちです」
弥刀が足早にメインストリートを進む。
その後を追う真堂。
二人とも足音一つ立てずに、滑る様に移動する。その様は、まるで忍者を彷彿させる動作だった。
「ここが現場です」
弥刀は徐に立ち止まると、通路の中央を指差した。
つい先ほどまでは切り刻まれた橋本や首をへし折られた巨漢二名と一般人被害者
の遺体が地に伏し、周囲は血の海になっていたのだが、処理班が瞬く間に対処した結果、見た目の痕跡は跡形も無く消え去っている。
「封を出したと思われる店の特定は出来たのですか」
真堂が弥刀に問い掛ける。
「恐らくは、ここではないかと」
弥刀は立ち位置から二店舗後ろにある、他の店の倍のスペースを確保しているブースを指差した。
「凶変発症までの時間を計算すると、あの辺りですね。あそこは主催者の企業が確保しているエリアになります」
「成程ね」
「隠形が動いているとの情報が入りましたので、使用する原料肉は我々も保健所との合同で検閲したのですが、怪しいものは無かったです。確定は出来ませんが、主催者側に隠形の内通者がいる可能性が高いですね」
弥刀は額に汗を浮かべながら、真堂にそう伝えた。
「確かに、そう考えた方が自然ですね」
真堂は大きく頷くと、橋本達凶変者が横たわっていた辺りをじっと見据えた。
(何も感じない)
(凶変者は発症すると同時に自我を失ってしまう・・・やはりこの世に未練を抱く事は無いのか)
真堂は今だ建ち並ぶ出店のテントに目を向けた。
事件発生直後にFと警察で規制線を張った為、テントや調理器具は今だに片付けられないまま、放置されていた。
「弥刀さん、ちょっとテントの裏にまわっていいですか」
真堂は弥刀にそう声を掛けた。
「どうぞ」
弥刀がそう答えた時には、真堂は既にテントの中に足を踏み入れていた。
巨大な鉄板の横を通り、業務用の冷蔵庫が並ぶバックヤードへと抜ける。
真堂は冷蔵庫のドアを開けた。
途端に、心地良い冷気が彼を包み込む。
電源は入ったままのようだ。
彼は中に残っている肉のパックに手を伸ばした。
「封ではなさそうだな・・・」
「私も調べましたが、其れらしいものは残ってはいませんでした」
真堂の背後で、弥刀がそう答えた。
「このテントの裏側で、女性二名が不審死を遂げています」
弥刀の説明に真堂は頷くと、バックヤードを抜け、テントの裏側に出た。
「これは・・・」
真堂は眉間に皺を寄せた。
遺体は既に処理班によって回収され、痕跡一つ残っていない。
だが。
彼の眼には、はっきりと捉えられていた。
壁に貼り付き、泣き叫ぶ血だらけの女性と、口から液体を吐き出しながら地面で身悶えする女性の姿が。
「壁に一人、足元に一人・・・体格のいい、若い女性ですね。かなりひどい殺され方をしている」
真堂の顔に、沈痛な表情が宿る。
「分かりますか? じゃあ二人はまだ・・・」
弥刀は蒼褪めた表情で真堂を見た。
「ええ、まだここにいます。死んだことは分かっているみたいですが・・・縛られていますね、この地に」
「聞き出せますか? 誰にやられたのか」
弥刀の眼に鋭い光が宿る。
「やってみましょう・・・その為に私が来た訳ですから」
真堂は歩みを進めた。彼は、足元で口から液体を吐き出し続けている女性からは、見るからに聞き出すのは困難と判断し、壁に貼り付いている女性に近付く。
「それにしても、凄まじいお亡くなり方をされているな」
壁に貼り付いている女性の姿を間近で確認した真堂は、殺人鬼が犯した残忍な所業を目の当たりにし、顔を背けた。身体の半分が潰れてうじゃけ飛び、頭部は砕け散った頭蓋骨から脳漿が溢れ、胴や四肢は皮下脂肪と筋肉が弾けて壁に付着しているのだ。
何故、彼女が立ったまま命を失ったのか、彼には漸く理解出来た。強力な力で叩きつけられ、飛散した体液や組織が接着剤となって、彼女の身体を壁に繋ぎとめていたのだ。
勿論、実際の遺体がある訳ではない。彼はその地に呪縛された魂の姿を捉えているのだ。
「あなたを殺めた人物について教えてくれないか」
真堂は静かに女性の御霊に語り掛けた。
だが、かっと眼を見開き、絶叫し続ける彼女の表情に変化はない。
彼は何度も問い掛けた。
しかし、結果は同じだった。
「駄目か」
彼は吐息をついた。
そして、気付く。
彼女が絶叫し続けているのは、生への未練ではなかった。
恐怖、だった。
彼女を死に至らしめた存在への恐怖が、恨みや生への未練を凌駕し、魂を無間地獄へと陥れているのだ。
真堂は彼女から離れると、地に横たわり身悶えしているもう一人の御霊に近付いた。
彼女は苦悶しながらも、近付いて来る真堂の姿を目で追った。虚ろな眼の奥に、何かを訴えかけようとしているかのような、か細い光が宿っている。
「こちらの女性の方が脈があるな」
真堂は彼女の傍らにしゃがみこんだ。
途端に、据えた様な異臭が鼻を突く。
糞尿の臭いだ。
「私の問い掛けに答えてくれるか」
真堂の問い掛けに、彼女は縋るような視線で答えた。
「あなたをこのような目に合わせた犯人を教えて欲しい」
真堂の声に、彼女は微かに頷いた。
それを見た真堂は、更に続けた。
「相手の事を知っているか」
彼女が頷く。
「男か、女か」
ぐぶふぉっ・・・んな
「女か。名は分かるか? 」
ぐぶひっ
ぶふぉっ
ぶふぁっ
ぶふひっ
真堂の言葉に反応し、彼女は必死に答えようとしているものの、口に注ぎ込まれている液体が邪魔をしてそれを阻んでいた。
「この液体・・・犯人の尿か」
真堂の呟きに、彼女は小さく頷いた。
(彼女は犯人を知っている。それも、知り合いの女性のようだ。彼女の口を満たしているのは、犯人の尿。その残留思念が、彼女に言葉を綴らせない様に阻んでいるのだな――そうかっ! この手があった)
「弥刀さん、紙と書くものあれば貸して欲しいんですけど」
真堂は振り向くと、傍らに立つ弥刀に声を掛けた。
「これしかないですけど、いいですか? 」
弥刀は即座に小さな手帳とノック式のボールペンを真堂に手渡した。
「有難うございます」
真堂は弥刀から手帳を受け取ると、紙面にさらさらと文字を書いた。
紙には、ひらがなで書かれた五十音。
「あなたを殺した人の名前を指で綴ってくれ」
真堂の言葉の意味を理解したらしく、彼女は頷くと、震える指先でメモに書かれた文字を指差した。
し・の・ざ・き・あ・や・か
「しのざきあやか、だね? 」
真堂の問い掛けに、彼女は大きく頷いた。
途端に、彼女の身体が硬く硬直した。
犯人の残留思念が、これ以上彼女に語らせまいと妨害しているのだ。
「弥刀さん、大至急、『しのざきあやか』という人物を調べて下さい。彼女の知り合いらしいですから、会社や友人関係をあらえばすぐに分かると思います」
「分かりました」
弥刀はスマホを取り出すと、すぐに本部に報告をし始めた。
「有難うございました。二人とも、楽にしてあげますからね」
真堂は眼の前の彼女の御霊に優しく語り掛けた。
彼は立ち上がると、懐から数珠を取り出し、静かに読経を始めた。
程なくして、二人の女性の顔から、苦悶の表情が消え、安らかな顔へと変貌した。
「今、本部に連絡しました――彼女達は、どうなったんです? 」
弥刀はスマホをスラックスのポケットにしまいながら、やさしい表情を浮かべる真堂に声を掛けた。
「今、上に上がりましたよ。但し、彼女達自身も業が深そうですから、天国に行けるとは限りませんけどね」
真堂の言葉に、弥刀は苦笑いを浮かべた。
「真堂さんは全てお見通しですね、調べでは、被害者女性の二人は部下へのパワハラが酷くて悪評の高い人物だったようです」
「と言うことは、ひょっとしたら私怨が絡んでいるかもです。今まで虐げられてきた非力な存在が、突然超越した力を手に入れたとしたら・・・恐らく犯人は彼女達の部下かもしれませんね」
真堂大きく吐息をついた。
彼の表情に悲し気な翳りが過ぎる。
因果応報――どちらにせよ、どちらも救われない存在なのだ。
彼は眼を閉じると、静かに合掌した。
「
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