第70話 騎士になった美少女は、僕のおでこに頭突きする
「ん~……暇」
「それは私もそう」
つぶやくと、彩香さんが頷いた。
体育の授業。サッカーのミニゲーム。
僕は突っ立って、ぼーっとしていた。その隣には、いつもどおり彩香さんがいる。彼女もぼーっとしていた。
ん? 補欠? いや、僕はれっきとした選手だ。ちゃんとゼッケンも着ているし、コートの中に立っている。いつでもコーナキックができるように、隅っこにね。
別にサボりではない。
目の前で繰り広げられる壮絶な戦いに僕はついて行けず、邪魔者になることを怖れて退散したのだ。
決して僕はサボりなんかではない。まぁ彩香さんはサボりだろうけど――……いや、前言を撤回しよう。
僕は隣からの睥睨に身をすくめ、話を戻す。
ゴッドハンドやバーニングキャッチ、ぶっとびパンチ等々、人類の限界を超えた、神々の戦い――。
まさしく、
「——版権問題、気にして? あと全部それゴールキーパーじゃない?」
「ネタ動画ばっかり見てるからこれしか知らないんだもん」
「ま、私もそうだけど。それにこのレベルはただの蹴鞠遊び。そこまですごくない」
人のボケにツッコんだ後に正論をかましてくるのは如何な物か。そして、確かに高校素人サッカーとはいえ、それを蹴鞠呼ばわりとは……。
そう思っていると、僕の方にボールが転がってきた。パスでも何でもないはずだ。みんな僕に期待していないのだから。とはいえ、ここで蹴り返さないと流石に味方にキレられる。
そう考えた僕は足を引いて――
「わぶっ!」
蹴ろうとしたボールの上に乗ってしまった足は、球体の回転に流されて落ち、捻られる。それはもう、グニッと。捻挫するように。
当然、僕はその場に転んだ。
「だっさ……」
彩香さんは呆れた声でそう言い捨て、僕の代わりに器用にボールの真ん中を蹴り、無駄に高難易度な無回転でコートの中心に戻した。
そして僕が立ち上がるのに、手を貸してくれる。僕はその手を借りながら聞く。
「どうしてボールは球体なんだろ……」
「三次元において唯一、平面と接する点は常に一点のみの形状だから……っと。立てる?」
彩香さんは、その後の『故に、立体の中で最も均一性を保つ』という説明を省き、僕に向けて首を傾げて見せる。
「うぐっ……結構つらいかも……」
足が痛みを訴えてちゃんと立たせてくれない。どうやら捻挫したようだ。ジンジンとした熱を感じる。
彩香さんが僕に聞きながら、片足立ちする僕を支えてくれる。
「保健室行く? それとも日陰で座っとく?」
「保健室がいい――でもベッド、入ってこないでよ?」
「処置は湿布だけなんだから、この変態」
彩香さんは僕を睨みつつ、僕の腕を肩に回して歩くのを手伝ってくれる。最終的に僕を助けてくれるのは彩香さんなのである。
もう僕には彩香さん以外の
「――……ばか。それ、アレの常套句だから」
「え? アレって?」
「……はぁぁぁっ。ホント、無意識はずるい」
彩香さんがまた意味不明なことを言い出した。よく分からないので首を傾げてみたが、彩香さんは説明してくれなかった。あまり重要なことではないんだろう。
そこで思考対象が自分の感覚に戻ってきて、気づく。
密着したことで濃くなった彩香さんの汗の匂いに、心臓が少しづつ高鳴りを始めていた。
頭の中の名探偵がそれぞれの匂いの識別を始める。
すんすん、これは髪の汗! すんすん、これは首裏の汗! すんすん、これは脇の汗――
「汗なんて嗅がないでッ! この変態!」
「あ、いやっ、別に臭いと思ってないよ? 良い匂いだなって、彩香さんの匂いだなって思っただけだよ?」
「違う! このばか! あほ! 変態! おたんこなす!」
彩香さんはかなり焦ったように叫び、僕をボコスカ殴る。
どうやら、乙女的に汗の匂いの話はダメだったらしい。良い匂いなのにな、なんで恥ずかしがるんだろ? もったいない。
そう思いながら、僕は先ほどまで健常だった――そして今では捻挫してしまった、もう片方の足を押さえて蹲った。
――そう、殴られたせいで転けた僕は、捻挫した方の足をかばおうとして無理な体勢をしてしまい、結果、両足とも捻挫したのだ。
地面に仰向けに転がって、痛みを堪えるために深く呼吸する。
彩香さんは頬をぷっくり膨らせてブツブツと呟き、気が済んだのかぷしゅぅっ、と鋭く息を吐いたら、僕の横にかがみ、首を傾げた。
その顔はもう怒っていない。単純に僕を気遣う顔だ。
一体全体、誰のせいだというのだか……。
「一応謝る、ごめん。で、柚、歩ける?」
「いや、僕が悪かったから――ごめん。んでもって歩けない。誰かさんのせいで両足とも捻挫したからね」
「へぇ、そっか。根本原因は誰のせいだっけなぁ、って思うんだけど。まぁいいや。私がちゃんと責任取るね」
彩香さんはそう言うが速いか、ニヒルに笑い、僕の膝下と脇下と腕を差し込んだ。
直後、感じるのは軽い浮遊感と、濃密な彩香さんの匂い。もちろんこれは汗も混じっている。
——よかった、ココロは読まれていないみたいだ。
汗のことを考えていたのに怒られないのを見て、安堵した僕は彩香さんを見上げた。
彩香さんはちょっと誇らしげな、でもって嬉しそうな笑顔をしていた。なんだか少し、カッコいい。
そして気づく。
これ、お姫様抱っこだ。
すぐさま僕は暴れて逃げだそうとした。
だけど、僕を見下ろす彩香さんと目が合うと、身体が固まってしまう。僕は長年の経験で、それが超能力のせいだと悟った。
【石化】あるいは【金縛り】と名付けよう。
冷えた頭はそんなことを呟いていた。
「正解、超能力です、柚姫様」
「柚姫ってなんだよ!」
「ちなみに柚姫様の体重も念力で軽くしてるので、私には負担はありません。ご安心ください。全ては柚姫様の騎士、彩香にお任せあれっ……てね」
「彩香さん離して! お姫様呼ばわりもやめて!」
「ふふっ。それにしても柚って軽いね」
軽い――確かに僕の体重は50kgだし、身長もそれほど高くはない。それに念力だって使っているのだ。
そりゃ、軽く感じるだろう。
って、そうじゃない!
僕は叫びながらも、ふと、自分の腕が彩香さんの首にかけられていることに気がついた。僕の無意識のうちの行動だった。
彩香さんが緩いかけ声と共に僕を浮かし、担ぎ直した。
「柚の身体は正直だね♪ もっとココロも正直になったら?」
僕の腕のことを言っているのであろう。彩香さんは僕を見下ろしてニコニコする。
辱めを受けるのがイヤで、『腕を解け』と体に命令するも、身体は全く動かない。そんな僕の思考も読み透かしたような彩香さんの顔がイヤで、僕は言い訳する。
「これは安定を保つためでっ、安全ベルトみたいな感じの――」
「はいはい、分かった分かった。
まぁ、おんぶは両足捻挫してたら無理だろうし、抱っこは接触面積多すぎるでしょ? これが一番だから、じっとしててね」
そう言うと、彩香さんは僕をからかうのをやめる。
確かに、この状況ではお姫様抱っこ——無機質に言えば『横抱き』が最適解だ。
理屈ではわかっていても、ココロは納得いかない。
必死の言い訳を軽くいなされた事への怒りと、お姫様抱っこされてる事への恥ずかしさで、僕は錯乱した。
いや、ちょっとした願望も僕の行動を手伝ったのだろう。
僕は顔のすぐ横の、彩香さんの脇のところに顔を埋めた。片頬に彩香さんの胸の柔肌を感じつつ、目一杯に鼻で呼吸する。
「ちょっ! 柚!?」
へへっ、驚いてる驚いてる。このままもっとやってやれ。
ちょっと悪者っぽく、僕はココロで呟いた。
彩香さんの匂いだ。バラ科の花のような石けんの匂い、体操着にしみこんだ柔軟剤の匂い、本来の彩香さんの匂いであろう、ほんの少しのミルクっぽい甘い匂い、そして汗の匂い。
癖になりそうだ。
別に僕は汗フェチじゃないが、彩香さんの汗の匂いが嫌いじゃない。一般的に良い匂いか、と聞かれると首を傾げてしまうが、僕としては良い匂いだと思ってしまう。
「柚ッ!」
「ひゃっ、はい!」
「頭突きするから覚悟して!」
呼ばれて我に返ると、彩香さんは覇気のある声でそう言い、少し体を仰け反らせた。
僕は反射で強く、目を瞑る。
ひゅんっという風切り音の直後、額に感じたのは不思議な感触だった。衝撃でも痛みでもない。柔らかい感触。
恐る恐る目を開けると、彩香さんは既に顔を上げていた。
歩調は速く、下から見上げる頬は赤い。
「ず、頭突きだよね?」
「――うん、頭突きだよ?」
「……え、今の頭突きなの?」
「へぇ、疑うんだ。じゃあ逆に聞いたげる。
柚はなんだと思ったの? 今の頭突きが何に感じたの?」
「い、いや……なんでもない」
「そ、ならいいけど」
僕は彩香さんから目をそらして、目の前の保健室の扉を見、いい加減恥ずかしさで死にそうなこのお姫様抱っこが終わることに、ココロから安堵した。
——別に、もの悲しくは思っていない。
こっそり、額に手を当ててドキドキしながら、いつか彩香さんにお姫様抱っこをしようと、ココロに決めた。
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