第8話

 食事が終わると私は皿洗いをしながら、隣で食器を拭いている胡桃に話しかけた。


「胡桃、今日のサイン会…」


「うんうん!図書館王子と行って来たんでしょ?楽しかった~?」


 胡桃は手際よく次々と、皿を拭いては片付けている。


「うん。楽しかったんだけど…」


「…どうしたのよ、何かあった?」


 私は洗っている皿を落とさない様に気を付けながら、切り出した。


「私、『未来志向』で胡桃を待ってたの。一緒にサイン会に行くつもりで」


「ええっ?!」


「でも白井君がカフェに来て、…一緒に行くことになったの」


 胡桃は

「え~~~!!」

という叫び声をあげながら濡れた布巾を取り落とした。


「私、電話で、沙織にちゃんと断ったよ?」

 胡桃は落とした布巾を拾い、別な乾いた布巾に手を伸ばした。


「…そうなの?!」


 私は皿洗いをしていた手を止めて、まじまじと胡桃を見つめてしまった。


「やっぱり、私の声がよく聞こえてなかったんでしょう!『日曜は高野さんとシフト変わってバイトだから行けない。ゴメンね』って私、言ったもの」


「……じゃあ…」


「いきなり電話切っちゃうし!」


「…」


「ああいう話は、電話じゃなくてメールの方が確実なんじゃない?」


「そうだね、ゴメン。急いでてつい…」



 あの時の、最後のあの言葉。

 あれだけが妙に、不自然だった気がする。






『…はい。わかりました』






 あの言葉を、私が胡桃の言葉だと勘違いした、という事…?



「ちょっとぉ、沙織!気になるからちゃ~んと全部、聞かせてよね?」


「…うん」



 聞いてもらう方が、いいのかも知れない。








 皿洗いが終わると、

「有沢さん、こっちに来てご覧」

と燈子さんから声がかかり、リビングルームへ胡桃とやって来た。

 

 私は思わず声を上げた。


「…わ!すごい!!新しい麻雀卓とテーブル?!」


「今まで気づかなかったの?沙織」

 胡桃に聞かれ、私は頷いた。


 真新しい正方形の麻雀卓が、広いリビングルームの中央に堂々と設置されている。


「燈子さん、これ今日届いたんですか?」

 私に聞かれると、燈子さんは頷いた。


「そろそろ新調しようと思ってたからね。それ、特注」


 特注?


「リビングの雰囲気に合うものを、知り合いの家具屋に作ってもらったの」


 確かに見た事が無い!こんな麻雀卓。


 深いブラウンの木材で出来た、ヨーロピアンアンティーク風の正方形テーブル。美しい彫刻が随所に施され、何と猫脚になっている。


 動くラタン調のガラスサイドテーブルを二つ、王者の卓が従者の様に侍らせている。


「ピッカピカ!趣味がブレないですよね。あえて全自動卓にしない所が燈子さんらしい」


 高野さんは呆れながらも感動した様子で呟いた。


「人は頭と手を動かさなくなったら、終わりだからね。全自動じゃないけどこのテーブル、充電する場所が4つも付いてるの」


「やった!」

 胡桃は自分の携帯をポケットから取り出し、差込口を探し始めた。


「麻雀やろうよ。今、ちょうど4人いるし。二人は明日学校休みでしょう?」


 高野さんがこう言うと、楽しい遊びが大好きな燈子さんがすかさず、


「じゃあ、1チャンだけね」

と続けた。


「青少年は勉学が命~…でも、麻雀やりた~い!」


「私も!」



 というわけで。


 恒例『シェアハウス深森』麻雀大会が始まった。

















 4人麻雀を楽しみながら、私は3人に今日の事を、赤裸々に打ち明けた。


 司君の名前と、彼が神原先生の息子だったという話を除いて。


 自分1人だと、どうしても心の迷宮から抜け出す事が出来無い。だから胡桃の他にも人生の大先輩二人のご意見を伺う事が出来るのは、とても有り難い。



「…図書館王子ね…面白い」

 場の状況を見ると、燈子さんは索子を集めている、…と思われる。


「…いきなり近づき、手を握り…」

 高野さんの待ちは間違いなく、ピンズだ。ゲーム中盤になっても、場に一つも出ていない。きっと集めているに違いない。


「いきなりマフラーを巻いてくれて…」

 胡桃は萬子をを集めている可能性が高いが、どうもこの子は奇想天外で、何を考えているのか読めない所がある。


「いきなり抱きしめ、...頬にキス!」

 声と同じタイミングで勢いよく、字牌を捨てる燈子さん。

 

「…とんでもない王子だな…」

 高野さんはそう呟きながら、胡桃が捨てたイーピンを指差し、


「カン!」

と叫んだ。


「え?!ちょっとマジ?!それドラなんですけど!!」


 胡桃は迷惑そうな声を出し、キラキラと輝くストーン入りのイーピンを握りしめ、よしよしと撫でながら守った。


 燈子さんは忌々しそうに、高野さんの捨て牌を睨んで何かを考えている。


「だからカン。いいから、こっちにそれをよこしなさい…」


「うわ、もう絶対私死ぬ~。高野さんにはあがらせてあげな~い…」



 みんなゲームに夢中なので、話はなかなか進まない。ほとんど全部話してしまっただけに、何だかとても恥ずかしくなってくる。



 高野さんは少し迷った挙句、パーソーを捨てた。



「ロン!」



 燈子さんは、高野さんの捨てたパーソーを指差し、混一色(ホンイツ)であがった。


 しかも、一気通貫の手も見事に出来上がっている。



「…アンタその王子に今日一日、騙されたんじゃない?」



「…うわ!!」


「燈子さ~ん…それハッキリ言い過ぎ~」



……。



「…そうなんでしょうか?」



 全員、そう思っているの?



 3人は私の顔を真剣な表情で見つめ、頷いた。



「ファンタジーだよね、その状況は」


「そうそう、まるで現実的じゃない。彼の作り話だったんじゃないの?」


「図書館の中は静かだし、…いくらポケットに入っていたとはいえ、携帯電話から聞こえる私の声くらいは、彼にも聞こえてたんじゃないのかな~…」


 4人でまた麻雀牌をジャラジャラと混ぜ、次のゲームを再開する。



 確かに…!!


 その可能性は高いかも…!!




 …疑いもしなかった!!!





「…そうだったのかな…」



 体中の力という力が、抜けていく気がする。



 そうだとしたら、どうして彼はあんな態度を…?




「多分そう。どこからどこまでが真っ赤な嘘なのかは、知らないけど」


 燈子さんは再び麻雀牌を揃え、見事な速さで積み上げていく。


「純粋だね…。有沢さんは」

 高野さんがサイコロを振る。


「いい子なんです、この子は本当に~」

 胡桃がドラ牌をひっくり返す。



「彼はちゃんと、アンタの話を聞こうとしたの?アンタは何度も本当の事を言おうとしていたんだろう?」


 燈子さんは、私に聞いてきた。





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