第2話
「おめでとう」
祖父がしわしわの手で、僕の頭に花輪をかけてくれた。毎年、僕の誕生日にはそうしてくれる。所々、花が飛び出していたが、これでも随分上手くなった。最初の頃は、輪にさえなっていなかった。
「お前は頭の形が良いな」
「坊主はプレゼントは何がほしいんだ」
言葉を発するたびに、おじさんがくわえた煙草から煙が散った。無精髭で煙草をくわえるおじさんの姿は格好良かった。僕も大きくなったらたばこを吸いたい。以前、一度だけすわせてもらったことがあるけれど、全く美味しくなかった。これが、大人になると美味しく感じるらしい。
二人ともいつも優しいが、この日は特別優しい。
「お馬さんが欲しい。真っ白なお馬さん」
丁度、白馬の王子様が悪と戦いお姫様を助け出す物語を読んだばかりだった。僕がそう答えると、おじさんたちは顔を見合わせて笑った。
「お馬さんかあ」
祖父が目尻を下げた笑った。ツルリとはげた頭とは対照的に、長く伸ばした白い髭が揺れた。
「俺は馬が好きでな」
おじさんは鞭で馬を叩くような仕草をした。脂ぎった髪の毛がフサフサと揺れる。
「お前の馬好きは、意味が違うだろう」
「ちげえねえ」
祖父とおじさんは笑った。
「よし、坊主。俺の背中に乗れ。一着を取ってやる」
「一着ってなあに」
おじさんは笑って、煙草を吐き捨てた。
「一番ってことさ」
「一番、儲かるんだ」
おじさんはどこからかみつけてきた鞍をつけ、鞭を僕に持たせた。僕の知っている感じとは少し違った。
馬は本の中でしか見たことがなかった。牛なら見たことがある。厩舎があり、そこで牛を飼っているからだ。人類が滅んでも、牛は滅ばなかったようだ。牛は増えるが、どうして人間は増えないのだろうか。いつか、それを聞いたら、おじさんたちは大声で笑った。そのあと、何か言ったが聞き取れず、聞き返そうと思ったら祖父に怒られて黙ってしまった。結局、どうして人間が増えないのかはわからず仕舞いだった。
本の中では、馬は乗り物だった。
「馬に乗ったらどこまでも行けるぜ」
「車に乗った方が簡単じゃ無いの?」
おじさんが深い溜息をついて、僕を非難するような目で見た。
「古今東西、お姫様を迎えに行くのは白馬の王子様って決まってるの。お前はそういうところなおさないと、女の子にもてねえぞ」
「女の子なんて、どこにいるのさ」
おじさんはハッとした顔をした。
「ば、ばっきゃろう、おめえ、それはな、ほら、たまたま海の方から流れてくるって事もあろうが」
「そんな、流木じゃ無いんだから」
祖父が笑った。
「お前も、もう十歳か。大きくなったな」
祖父に数の数え方を教わっていたから、十がどれくらいの大きさなのか知っていたし、それよりもっと大きい数も言えた。たとえば、祖父は八十七歳だったし、おじさんは確か六十歳より上だったと思う。祖父より年下の割には、おじさんたちの方が歯が少なかった。
誕生日は、一日中お肉や果物を食べて良かった。誕生日は八月だったので、海にも入れた。八月というのが、一年で一番暑い季節らしい。僕は八月が一番好きだった。
海は本や写真で見るような、透き通った碧ではなかった。それに、僕が泳いで良い範囲は限られていて、目印に網が張ってあった。それを超えてはいけないと堅く祖父に言われていたので、超えたことは一度も無かった。一度、ゴムボールが網の向う側へ言ってしまって、それを取ろうとしたらひどく怒られたのを憶えている。怒られている間に、ボールは流されて沖へ行ってしまった。
「どうして、網の外へ行ってはいけないの」
僕が聞くと、祖父が動揺したのがわかった。
「網の外には魔物がいるからさ」
祖父の代わりにおじさんが答えた。
この世界には、魔物がいる。実際の姿を見たことは無いが、雄叫びを聞いたことがある。どんな風貌をしているのか、絵を見たことがあるが、二足歩行の獣のようだった。魔物は、度々僕たちの牛や鶏を盗んでいった。彼らが来るときは、決まって恐ろしい雄叫びが聞こえる。僕たちは家の中にじっとこもってやり過ごす。それでも、一生懸命育てた家畜を盗まれるのは気に障る。どうして戦わないのか、と尋ねたが答えてくれなかった。
誕生日は一日が過ぎるのが早い。あっという間に夜になってしまった。夜はいつも、家の前でバーベキューをする。そのあとはテントで寝るのだ。これが格別に楽しい。
炎を囲んで、ハーブティを飲む。このハーブは僕が育てたものだった。
「また、おじいちゃんのお話を聞かせて」
僕は祖父の若い頃の話を聞くのが好きだった。祖父は世界が滅ぶ以前、世界中を旅して回っていたらしい。だから、世界が滅ぶ瞬間も見ていたようだ。おじさんとは、世界が滅んだ後に知り合ったと言っていた。
「世界にはたくさんの国があって、今よりもずっと土地は広かった。人もたくさんいて、皆豊かに暮らしていたよ」
現在は、世界が滅ぶ以前と比べて、土地がずっと狭いらしい。祖父が世界の果てと呼ぶ場所には、コンクリートの大きな壁が、どこまでも続いていた。僕がいくら成長しても、その壁を越えることはできないだろうし、いくら歩いたところでそれに終わりは無いと祖父は言っていた。でも、本当だろうか。いつか僕は世界の最果てに行ってみたいと思っていた。
唸り声が聞こえた。炎がそれに呼応するように揺らめく。僕たちの影が悪魔のように地面を躍る。影が体から離れて意思を持ったようだ。いつか、地獄の底に引きずり込まれるのではないかと、小さいときに怯えたのを思い出す。
「魔物だ」
おじさんが呟いて煙草を靴のつま先でもみ消した。
祖父が僕の肩を抱いた。そっと家の中に誘導される。おじさんが炎に砂をかける。炎は消え、辺りは闇と静寂に包まれた。
「前回の襲撃から間もないぞ」
「奴らも必死なのだろう」
暗闇で祖父とおじさんが話している。
実際のところ、魔物とは何なのだろう。見てみたい気もするが、魔物を見て生きていた人はいないらしい。僕が生まれる前にいた仲間たちは、みんな魔物に殺されてしまったらしい。奴らの殺し方は残忍だ、とおじさんが言っているのを聞いたことがある。僕は恐ろしくて、奴らの正体も知りたくなかった。
どうも果物を食べ過ぎてしまったようだ。我慢できず、トイレに行きたくて立ち上がった。すると、窓の外、遠くに人影のようなものが見えた。
「人だ! 人だよおじいちゃん!」
ここにいる人間以外に、生きた人間の姿を見るのは初めてだ。生き残っていたのだ。僕は嬉しくなって、大声を出した。
祖父が血相をかえて僕に駆け寄ってきた。
「絶対に家から出ちゃだめだぞ」
彼は激しい剣幕で僕にそう言い、僕の口を塞いだ。
「え、どうして? 人がいたんだよ」
いつもはふざけてばかりいるおじさんも、いつになく緊迫した雰囲気だ。それに感化されて、僕も緊張し始めた。手が震える。
「あれは魔物だ。だまされてはいけない」
祖父が搾り出すような声で言う。僕はとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
「魔物は俺たち人間も喰っちまうぞ。奴らの好物は脳みそなんだ」
おじさんが僕の頭にかみついた。
「でも、人間に見える・・・・・・」
「人間の姿に化けているんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます