第19話 助け出さない!?
小田さんは、軽い笑みを浮かべた。俺の不安を取り除くための、だ。
「遠藤が送り狼になっているからには、心配は不要だ。
まして、国内であれば手の打ちようはいくらでもある。『つはものとねり』の総力を挙げてもすぐに助け出す。すでに、他の要員が遠藤をバックアップするために、A2クラスの装備で追っている」
小田さんの答えが、こんなに力強く感じたのは初めてだ。
A2クラスならば、国内で通常時に用意できる最大の武装だ。
安心していいんですよね?
それなのに……。
「いや、それはいけない」
えっ?
なぜ、武藤さんがそれを言う?
それも断定的に、強い語調で……。
「どうして……」
半泣きの呟くような声。
弥生ちゃんだ。
弥生ちゃんは、姉に懐いていた。
俺だって泣きたいよ。
小田さん、明らかに不審な顔つきになっていた。
たぶん、遠藤さんから武藤さんのことを聞いていても、どういう人かの本質までは知らないだろう。真気水鋩流のことだってきっと知らない。
小田さんにとっての武藤さんは、直属の上司の夫という以外の何者でもない。その人が、極めて専門性の高いジャンルに首を突っ込んであれこれ言うのだから、不審を通り越して不快でも不思議はない。
いや、組織に関わる顛末は知ってはいるだろうから、不快までは感じないかもだけど、そうするとますます謎の人に見えるよね。
「小田さん、遠藤君が跡をつけている以上、双海君のお姉さんの行方不明は心配しなくていいですね?」
「俺は、遠藤を信頼している」
「解りました。
ならば、双海君のお姉さんには辛いですが、すぐの救出は避けたほうが無難です。
理由は四つあります。
一つ目、救出時、もしくは救出後に相手が大規模な対抗部隊を編成した場合に抵抗できますか?
また、抵抗できるとして、それによって生じた損害は許容できますか? こちらは人的資源が最大の長所の組織ですから、そのアドバンテージを減らす選択は避ける方が良くはないかと思いますが。
二つ目、お姉さんの誘拐の理由からして、すぐに殺傷される危険は極めて低いと思います。人質にはいろいろな種類がありますが、今回の事態の場合、賓客を迎えるように遇しなければいけない人質です。
なぜならば、まず、殺傷を前提とした見せしめを目的とする人質ではありません。殺傷した場合、双海君は決して協力しないどころか敵に回ることが明らかだからです。
敵に回った双海君をあっさりと殺すこともできるでしょうが、その行動は無駄というものです。念の為に殺すならば最初から双海君だけを殺せば良かったのに、人質を取った上で敵に回られたのであれば、姉弟の両方殺さねばならないですからね。
さらに双海君を殺しても、双海君の遺伝情報の利用にあたっての遺伝子特許に関わる問題は、何一つ解決しません。むしろ、遺伝子の持ち主への直接交渉という手段を失う愚策です。
ということは、誘拐目的は等価交換に絞られます。
天秤の片方に乗るものが、双海君の未来という側面を持つ以上、お姉さんへの接遇方針は、まずはお客を迎えるように優遇し、弟を説得させるための道具として洗脳するのが一番の目的になるでしょう。
双海君ですら、グレッグからのスカウトにぐらつきましたから、双海君のことを心配しているからこそ、お姉さんの洗脳は容易だと成算をつけてもいるでしょう。
三つ目、アメリカ国内の組織間で意見が割れているとなると、人質となったお姉さんの存在は、アメリカ国内の組織間で火種になります。人質に取られたからこそ、取った組織を別組織が制御する口実にできるかもしれません。
まずはこちらで動くよりグレッグ側の組織に事態を伝え、その助力を得るべきです。今回のことを原因として向こうの国内の情報の提供をさせ、さらには矢面にも立って貰い、こちらへ報復がされるような流れは避けておくことです。
四つ目、アメリカとの国交は誤れません。
アメリカ国内の各組織間のパワーバランスの観察は重要です。大統領選も近いですからね。十年後を考えておくべきです。今回のことは、各組織がどう動くかの観察の機会となります」
小田さんの、武藤さんを見る目が変わるのが判った。
武藤さんは続ける。
「同士討ちをさせるのは、自分より大きな勢力を相手にするときの作戦の基本です。三つ目によって、牽制し合うよう仕向けられれば、これにより、一つ目の条件はクリアされます。また、そのために必要な手を打つ時間ですが、それも二つ目の条件から
さらに、これだけでなく、決定的に大きく時間を稼げる要因があります。
人質を取ったら、交換条件を伝えねばなりません。
それが人質を取る目的ですから。
ところが、今回、相手はそれができないのです。
真っ先に伝えるべき交渉相手の双海君は、期せずして人工衛星の目すら逃れて行方不明です。
双海君は携帯すらも手放していますから、『つはものとねり』の解析材料として回収が可能になった反面、双海君への連絡手段を自ら破棄したことにもなります。
これは菊池君に対しても言えますね。
なので、小田さんが言うように、解析して得るような中身もないということなら、持ち帰った判断を後悔することになるでしょう。
加えて、この家の電話番号も電話帳にも載っていませんし、関係者しか知りません。坪内君経由でこちらに伝えようとすると、グレッグ君の組織を経由しないといけなくなります。
この家のシステムに侵入し盗聴でも始めれば、ますます連絡が取れなくなります。こちらにアクセスすれば、その方法はどこから知ったかということになり、盗聴に気がついて、まともに話さなくなるからです。
もしかしたら、この先、美岬の個人情報から連絡先を得ようと、高校の事務室あたりに忍び込むかもしれませんね。
どちらにしても、目算が大きく狂っているでしょう」
武藤さんは、そこまで言って口を閉ざした。
「遠藤から話としては聞いていましたが、聞きしに勝る人ですね」
「いえ、単なる数学的必然ですよ」
解かんねーよ、そんなこと言われたって。
どこが数学なのかすら、俺には解らない。ゲーム理論だってまだまだだし、学ぶことが多すぎて全然追いついていないんだ。
「組織を動かすことについては、武藤佐の了解のもと、私が行うのは
小田さん、組織の人間として線を引いた。でも、引いただけだというのも解る。
だって、武藤さんの頭脳は利用しない方がもったいないもんな。
小田さんは続ける。
「では、まず具体的方針ですが、まずは遠藤が走りすぎないよう、この話を伝えます。
彼への武器等とバックアップの二ユニットの手配は、ここに来ながら済ませていますから、任せておけばベストの対処してくれるでしょう。
武藤佐、報告しておきますが、武装にはテイザーを加え、銃弾は暴徒鎮圧用低致死性ゴム弾を主体としています。対象の殺傷が好ましくないと思われたからです。
もろもろが事後承諾になったことについては、深くお詫びします。
遠藤と私はS国で半年、盗聴下で暮らしていたノウハウがありますから、隠語だけで話ができます。これで双海のお姉さんについては、ひとまずは安心でしょう。
武藤佐配下で使用している、『小石システム』はぎりぎりまで使用を控えます」
あ、あの去年情報のやり取りに使った、ださださの昭和の遺物のホームページ、「小石システム」って名前がついていたんだ。
まぁ、「私の拾った小石」って、誰も見ないようなホームページがカバーだからねぇ。「システム」と呼ぶのは過分にも程があるわ。
あれは、システム自体もクローラ(ウェブ上の自動データベース化プログラム)を躱すように設定されているし、絶対的に見つけにくいものではある。でも、一旦見つかったらHTMLソースを見るだけで全てがバレてしまう。だから、たしかにあれはギリギリまで使えない。
そもそもの設置条件が、世界中のどれほど遅い回線からでも、どれほど旧式なパソコンからでもアクセス可能なデータベースということなのだから、目的が違うのだ。仕方がない。
小田さんは続ける。
「次に、坪内佐への連絡と、これからの作戦方針と、それに関わる督や表の機関との連携ですが……」
「私が行きます」
「待って!」
武藤佐が言うのを、美岬が遮って話す。
「私が行きます。坪内佐に確認を取らなくてはならないことがあります。
今は理由を言えないけれど、どうしても行かないとならないの」
全員の視線が美岬に集中する。
美岬、よほどのなにかがあるのだろうか。
「美岬、行ってきなさい」
美岬の、何らかの決意を伺いとったのだろう。
武藤さんのバリトンが深く響く。
「足は確保しましょう」
小田さんも言ってくれた。
「ここの警察署の公安で、あえて非番の人間を呼び上げて運転手にし、パトカーでさいたま新都心まで移動です。それならば、その人間が向こうの息のかかった人間である確率は下がりますし、襲撃のリスクは相当に低いはずです。
すでに双海の姉を人質に取っている以上、屋上屋を架す作戦は採らないでしょう。また、公安といえど、『つはものとねり』や軍の諜報機関に比べれば表の組織です。その人員を大っぴらに襲撃するのは躊躇うはずです。
手としては姑息、小細工の部類ですが、この際そんなことも言っていられません。
この時間から運転手に割り振られる人は可哀相ですが、やむをえないですね」
このあたりも考えて、小田さんがこちらに回ってくれたのかもしれないとも思う。
遠藤さんだと、自衛隊の車両ってことになるし、そっちの方がめんどくさい気がする。
「いつ出発しますか?」
俺は、小田さんに聞いた。
「先程、この建物に入るとき、相当に偵察をしましたが人的な貼り付けはありませんでした。すでにセンサーが張り巡らされているこの建物に、外部から新たなセンサーの設置工事はさすがに厳しいでしょうから、監視は人工衛星だけです。上空から外れる合間を縫えば大丈夫でしょう。
ただ、坪内佐に会うための
「おそらくは、去年会った場所で、待っていてくれます
真とグレッグが会ったことを知らないはずがないのに、連絡をしてこないことが根拠です」
美岬の言に、俺と慧思は大きく頷く。
坪内佐ならば、絶対にこちらの考えを読んでいる。それを確信している。
今回の遺伝子関係の話だって、予測して手を打っていた。
ただ、その事態が起きているのが、
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